宝彩有菜のプロフィールを見ると、画家・瞑想家としか書かれてない。
経歴や年齢など一切伏せられている。
それでも何故か、僕には肌触りがよく、今までに数えてみたら16冊を読んでいた。
いずれ紹介するつもりではいたが、どの本も内容は似たり寄ったりで迷っていたところに、今回「般若心経」の要望があったので、『気楽なさとり方・般若心経の巻』を開帳する。
般若心経とは、お釈迦様が、弟子のシャーリプトラに示した教えです。
シャーリプトラというのはサーリプッタ、舎利弗、舎利子ともいいますが、お釈迦様の十大弟子の中でも、知恵第一といわれるほど頭の良い人でした。まぁ、でも、お釈迦様にかかれば、今でいう、頭でっかち、考えすぎ男というイメージです。なんでも理屈をつけて考えなければ納得できない人でしたから、なかなかさとりの修行がうまくいきません。
何も考えるなと言われると、「考えないようにしよう、考えないようにしよう。でも、考えないようにしようと思っていることも、そう考えてることだよなぁ。本当に、何も考えないってできるんだろうか」
お釈迦様は、舎利弗の顔を見て
「本当に困っているようじゃな。よろしい。それでは、知恵の第一人者の舎利弗に、本当の知恵の完成というさとり方を教えてあげよう」
と言って、お釈迦様が舎利弗に説いた教えが、「知恵の完成」と言われる般若心経です。
第1章 「欲」とはなにか
欲があると悟れません。でも、欲を取り除こうとしても、欲がどこにどのようにあるのか知っていないと無理です。取り除こうにも取り除けません。
「何々したい」「何々が欲しい」という自分でも良く分かる「欲」も、さて、その欲をなくそうとしてもその発生の元を知らなければ、ただ押さえ付けるだけになります。
押さえ付ける、つまり、我慢したり隠したりしても欲は消えません。
欲が消えませんから気分はずっと悪いままです。
欲が起こると必ず悪い気分になりますから、それをチェックします。
逆に、欲が満足されたり、解消されたりすると、必ず良い気分になります。つまり欲がなくなると必ず良い気分になります。
気分の悪さの発生の元は、二通りあります。
一つは肉体から発生しているものです。
例えば、眠い、気分が悪い。空腹で気分が悪い。暑い寒いもそうです。身体を健康に元気に保っていこうとする欲が満たされていないので悪い気分になっています。
もう一つは、精神的なところから発生しているものです。
怒り、心配、後悔、不平、不満、嫉妬などです。これらは精神的な欲が満たされていないから悪い気分になっています。
肉体的な気分の悪さは肉体から直接「頭」に信号が来ています。でも、精神的な気分の悪さはどこからやってくるのでしょう。
気分が悪くなる瞬間を細かくみると、気分の悪くなる直前に、必ず何か物事を解釈しています。
解釈とは「頭」が思考していることです。
思考とは、そのことに集中して考えていることです。つまりそのことに執着していることです。
その執着を外すと、悟れます。その時、すべては「空」になります。これが「色即是空」の「空」です。
第2章 「空」とは何か
「愛」と「欲」は同じところを占めている正反対のものです。例えば同じ月でも光の加減で「満月」にも「新月」にもなるようなものです。
愛という光の部分が増えると、欲というくらい部分が減ります。愛が満月のように心の中の全部になると、欲はなくなります。逆に欲が心の全部を占めてしまうと愛は消えてなくなります。
具体的に「愛」を実践しようと思うと、欲の反対をすれば良い訳ですから、こうします。
なんでも「欲しい」と思ったらすぐに「あげる」に代えます。例えば、「手伝って欲しい」と思ったらすぐに「手伝ってあげる」。「お金が欲しい」なら「お金をあげる」。「守って欲しい」なら「守ってあげる」。「愛して欲しい」なら、「愛してあげる」。この時実際そうしなくても、そう思うだけでもかまいません。
欲とは、自分が得になるように考えることですから、既に充分得をしてこれ以上何も望むものはない状態になっていれば、欲が動くことはありません。
つまり、思考することは無くなります。
無欲になれます。
では、自分が充分得をしてこれ以上何も望むものがない状態になるには、どうするか。それは感謝することです。
具体的には何ごとにも、「ありがたい」と言ってみるのです。
貧乏なら「貧乏でありがたい」。病気なら「病気でありがたい」。なかなか悟れなかったら「なかなか悟れなくてありがたい」。
とにかくなんでも「ありがたい」をつけて解釈を変更する修行が「感謝」から悟る道です。
大肯定、明け渡しで悟る。
大肯定とは良いことも悪いこともみんな肯定して生きて行こうというものです。どんなことが起こっても何も否定しないで、全部を肯定して解釈します。
すると、今までのことも、今からのことも何も問題では無くなってきます。
過去も未来も何も考える事がありませんから、意識は「今ここ」にだけ働きます。
大肯定はどちらかというと過去に向きやすい「頭」を現在にとどめるやりかたですが、明け渡しは、未来に行きそうな「頭」を「今ここ」に留める方法です。
「頭」は、このままでは損をするとか、危険なことが起こるかもしれないと思うと、なんとかしようといろいろ考えます。
つまり、心配や不安ですぐに「頭」がフル回転になります。
これを止めるには、自分の人生や運命をすべて天に任せてしまうことです。
自分は守られているから大丈夫。
自分は宇宙から愛されているから大丈夫。
神様にお任せして大丈夫。
第3章 「知恵の完成」とは何か
「般若波羅蜜多」とは、もともとは「パンニャパーラーミーター」で、「知恵の完成」という意味です。
知恵とは、般若心経では、「受」(情報を受けること)「想」(連想や比較をすること)「行」(それらを組み立てて理解すること)「識」(自分が何をすべきか判断すること)と、意識の働きを四つの段階に分けて説明しています。
「頭」は何かを考え始めると、そのことに意識を集中しているのがわかります。
集中をさらに細かく観てみると、考えた道筋を忘れないようにしています。
「頭」は考えたことを忘れないようにするために、「頭」の中に、考えた道筋の溝を掘る作業をしています。
この溝堀りがしっかりできるようになるのは、「頭」の働きが向上したことだと言えます。成長です。
でも、溝堀りの能力があがってくると、しっかりものが考えられるようにもなりますが、問題も起こってきます。
溝堀り能力が上がってくると、同じところをぐるぐる何度も通り、溝がどんどん深まって、次第に溝の底に沈んでいきます。
ではどうすればいいか。
どんどん土を入れて溝を埋めるのです。
「土を入れて溝を埋める」作業が上手になってくると、地表のあらゆる溝も埋めたいときにすぐ埋めることも可能になります。
すると、地表は真っ平らになります。
掘る事は集中することで、同じところを掘って溝を深くするのは執着だと言えます。
埋めるということは、その執着を解消することだから、執着を手放すということになります。
執着を手放すと、どんな堂々巡りからでもすぐに抜けることができ、「空」も体験できます。
心にどんな凸凹も無い状態ですべてを映し出している状態。
その鏡をみようとしてもあまりにきれいなので、鏡も見えません。
「空」は、そういう状態です。
と言うことを前提に、宝彩有菜約の「般若心経」を読んでみよう。
ほんの少し解った気がするかな?
〇〇般若心経(意訳)〇〇
観自在菩薩という修行者が、「般若波羅蜜多」つまり「知恵の完成」という悟り方の修行をしていた時、「色」「受」「想」「行」「識」という、意識の働きがすべて「空」である、つまり、実体ではなく単にそのように映しているだけだと見抜いて、一切の苦しみから離れることができた。
いいかい舎利子。だから「色」が見えると言っても、それは「色」があると思うだけで実体ではないのだ。鏡に映っているようなもんだ。
つまりそれは「空」と異なるものではない。反対に「空」だからといって実際の「色」が無いともいえない。
すなわち「色」は「空」であり、「空」は「色」だ。これは「色」という刺激を受けたあとの意識の各段階でも同じことが言える。つまり「受」「想」「行」「識」もみんな同様だ。
いいかい舎利子。このように世の中にあるものは、みんな意識作用により認識、把握されているものだ。でもそれは今も言ったように「空」だ。鏡に映っているものはあるが、じっとのぞき込んでも何もない。すると、それはもともと「空」なのだから、不生不滅であり、不垢不浄であり、不増不滅である。なぜなら、「色」「受」「想」「識」も「空」だからだ。
当然、目・耳・鼻・舌・身・意もない。色・声・香・味・触・法もない。限界もなければ意識界もない。
無明も無ければ、無明がつきることもない。老死もなければ老死が尽きることもない。苦集滅道、すなわち苦しみが起こってそれが消えるということもなければ、知るところもえるところもない。
知ることも得ることもないので、悟った人、つまり菩提薩タは、この般若波羅蜜多という「知恵の完成」により、心に執着が起こることもなくなった。心に溝や凸凹がないから、あるものをあるがままに映しているだけだ。だから、恐怖もなくなった。心の堂々巡りをいつでも止められるようになったので、すべての倒錯した夢想から離れて、悟りに到達した。
他にも多くの人びとや、三世諸仏がこの般若波羅蜜多という「知恵の完成」によって、おおいなる悟り、つまり、「宇宙と一つ」「至福」「無我の境地」など、言葉や表現はどうであれ、本当の悟りを得た。
それゆえに般若波羅蜜多という「知恵の完成」を実践しなさい。
これは大いなる神々のジュであり、大明ジュ、つまり大いなる明らかなジュであり、無常のジュであり、並ぶもののないジュである。つまり、科学的に納得したい現代人向けの最良の修行の方法である。
これは執着することから起こる一切の苦しみを除くことができる、真実にして確かなものである。
それゆれに、般若波羅蜜多のジュを説く。すなわちそのジュとはこれである。しっかりおぼえて、このジュで修行しなさい。
「ギャーテイギャーテイ パーラーギャーテイ パーラーソムギャーテイ ボーディスバーカァー」
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