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根治手術-転院

りきちゃんとすごした日々 その2




手術後は順調で、りきちゃんはだんだん成長してきている。
パパは仕事の都合もあるので、平日はママだけが面会に行くこととなった。
パパは、行きたいときは半休を取ることになるが、毎日いけるほど残っていない。パパはこれが辛かった。
面会時間になるといつもならウキウキしているのに、逆に我慢の時間になってしまった。



りきちゃんは、顔はあまりパパ似ではないが、首から下はパパそっくりだった。
体つきや骨格など、体の特徴が本当にそっくりであった。
特に、手なんかはまるきりパパの縮小コピーである。これがまた可愛かった。
たまに、りきちゃんはパパの手をきゅっと握ってくれる。
ココが医療機器に囲まれたNICUであるということを忘れ、無邪気に喜んでしまうパパであった。



手術後の経過も良く、本来ならば、退院に向けて準備をするはずだったが、呼吸器を外すことが出来ないでいた。
いろいろ試してみてもダメだった。
おそらく喉頭軟化症あるいは気管軟化症で気道がつぶれてしまうからだろうとのことだった。
そこで、耳鼻咽喉科のある別のSセンターに転院して、そこで気管切開をすることになった。
しかし、Sセンターもなかなかベッドの空きがないようで、ずるずると時間だけが過ぎていった。


そして、年は明け、2004年へ。
とりたてて発展のないまま、1月、2月と過ぎていく。

りきちゃんは安定していて、特に何事もない。パパは、週末ごとに面会に行って、りきちゃんと遊んだ。

NICUはうるさい。どこかでしょっちゅう鳴るアラーム、呼吸器その他いろんな機械の音、
看護婦さんにほかのママさんパパさんの声。子供だって泣く。
そういう環境をあたりまえのように受け止めている自分が恐かった。



そして春になり、年度も変わった。
りきちゃんは身長・体重とも余り変化なく、ずっと4500グラムぐらいだったと思う。

5月辺り、先生から話があった。
気管切開を先にしてしまうと、心臓手術のときに感染症の原因になるので、先に心臓の手術を行いたいが、やっぱりまだからだが小さく、手術の成功率もそれなりに下がる。
先に気管切開をして、いったん家に帰り、体の成長を待って気管切開を閉じたあとに心臓の手術をするという手もアリだが、それまでりきとが持つかどうか分からない。

ここは、一つお父さん、お母さんの間でじっくりと話し合って、どうするか決めて下さい。

そういう内容だった。

要するに、将来を見据えて、リスクが高くなるのを承知で心臓の手術を先に行うのか、
ずっと縛られている状態をとりあえず解放するために先に気管切開をするのか、
パパとママで決めて下さい。
あなた方の考えるお子さんの幸せって、なんですか。

そういう、いってみればりきちゃんの人生の選択を迫られた。


パパとママは悩んだ。本当に悩んだ。いろいろ調べた。
そして最後に、りきちゃんに聞いてみた。
その時のりきちゃんの顔は、自信あふれる顔だった。
手術なんて大丈夫だよ。しっかりしなよ、パパ!
そういっていたような顔だった。

そして、先に心臓手術(根治手術)をする事にした。
手術日は7月6日となった。


手術の前日。

心配なので、大阪からパパのママ(つまりおばあちゃん)に来てもらった。
人が多い方が何かと便利かもしれないし、万が一、これで最後だったら、後悔するかも・・・と思ったから。



手術前日に、執刀医の先生の説明があった。
先生は、自信を持って明快な説明、包み隠さずリスクも何もかも説明してくれた。

手術は、まず胸の真中を切り、あばら骨がバラけないように胸 骨を縦に半分に切断して心臓を露出させ、一度心臓を止めて、人工心肺に切り替えます。
心臓が止まっている2時間ほどの間に心臓を開けて、パッチ(布のようなもの)で穴を塞ぎ、形の悪い僧帽弁を修復します。その後、漏れがないかなどをテストして問題ないようなら心臓を再び起動させ、元に戻して完了です。手術時間はおよそ4時間ほどです。

話には聞いていたが、実際に聞くと、やはりオソロシイ手術だ。
しかし、不思議と心配はしなかった。きっとうまくいくと信じていた。



翌日。
手術は10時からだが、その前に、朝9時ごろから面会させてもらえた。
「何でパパとママがいるの?」って言うような顔をしていた。
相変わらずかわいい顔で、こっちを見ていた。
これから生死をかけた大手術が始まるのに、なんて無邪気なんだろう。

ひとしきり遊んだあと、先生がこられて、手術室への移送のための準備をはじめた。
りきちゃんは、「いったいなんなんだ?」というような顔していた。
パパ、ママ、看護婦さん、先生がりきちゃんの周りについていっせいに移動する。

そして、ついに、りきちゃんは手術室へ・・・・

がんばってね。きっとうまくいくからね。
そういって送り出してあげた。



そして、我々(パパ、ママ、パパのママ、ママのママ)は親族控え室へ。
ここで長いような短いような数時間が経過した後…

「手術は終わりました。ICUの方に来てください。」
あわててみんなでICUの方に行った。まずパパとママが面会に。


りきちゃんが寝ていた。
モニターを見ると、サチュレーションが100で安定している・・・・おおぉ、すげえぇー
肌の色も明るくなった。
手術部にはテープが張られていて良く見えなかったが、首の下あたりからまっすぐ数センチにわたって切ったようだった。

先生がきた。

手術は予定通り行えました。穴はきれいに閉じました。
弁の方ですが、漏れなんかを調べてみたところ、多少の逆流があります。
経過を見ないと分かりませんが、とりあえず大丈夫です。

夕方に面会した時には血圧も心拍も少しづつ上がってきていた。

りきちゃんは順調に回復をとげ、ドレーンや点滴なんかも少しずづ外れ、
1週間ぐらいで小児病棟のNICUに戻ってきた。
そして少しづつ、普段の様子に戻っていった。



術後、ますますりきちゃんは元気になった。

次なるステップとしては、やはり問題である呼吸器をはずすことである。
S病院では気管切開の手術は行えないので、Sセンターに転院して検査の後、手術を行う。
そこは子供の病気を専門に見ている病院なので、総合的に治療が行える。
心臓はもちろん、将来問題になるであろう、耳や目、発達、リハビリ、なんでも総合的に見てもらえる。


りきちゃんは、ひとつおにいさんになった。
そう、再び9月22日が来たのである。それはりきちゃんの1才の誕生日。
そして感動的なことがこの日にはあった。

看護婦さん達がりきちゃんのためにお誕生日のプレゼントを用意してくれて、
みんなでお祝いをした。それはすごくうれしかった。

そして、なんと、今日だけ特別に、ついに、生まれてはじめて、りきちゃんを抱っこできたのである。

それは、パパとママがずっと望んでいたことだった。
りきちゃんは、生まれてずっと裸だったので、このときだけ特別に服を着せてもらうことができた。
そして、呼吸器をつけたまま、抱っこすることができた。

りきちゃんは1才になるが、体は4300gぐらいしかなく、しかも首はまだ据わっていない。
ほとんど新生児みたいなものである。

最初にママが抱っこした。ママは緊張していた。そして、泣いていた。

りきちゃんも緊張した顔だった。


そして、パパも抱っこした。
細くて軽くて今にも壊れそうなカラダ。でも、暖かい。りきちゃん暖かい。
パパも感動した。泣きはしなかったが。いつか抱っこできる日が来ると信じていた。
みんなで記念撮影をした。みんな笑顔だった。


その夜は、ずっとりきちゃんを抱っこした感覚が残っていた。
今も残っている。
ずっと忘れないだろう。



Sセンターへの転院の日は突然やってきた。
10月25日、これが転院の日になった。

25日の朝にりきちゃんを迎えに行った。
そういえば手術の時も朝から面会したっけ。でもそれとは全然違う、おきらくムード。
看護婦さんとか、先生とか、みんなで集まって記念撮影をした。
今度は元気になって、Sセンターを退院してから遊びにくることを約束した。


Sセンターからの迎えも到着し、ついにりきちゃんはS病院を退院した。
これで、1年間通ったS病院のNICUともお別れ。戦友?とも言うべき、ほかの子供たちともお別れ。みんなにバイバイを言う。


Sセンターは子供の疾患を専門的に見る病院であるため、心臓病が中心だったS病院とは異なり、本当に様々な症状の子供たちが入院したり通院したりしているらしい。

搬送は無事終了し、受付に行くと、内科病棟の方に案内され、そこでいろいろ説明を受けた。
Sセンターは面会時間が14~20時と長い。
これなら、パパも仕事が定時過ぎてから面会にいける。毎日でもりきちゃんに会えることがすごくうれしかった。

今までは裸だったけど、ココでは赤ちゃん用の服を着ていた。なんかかわいい。
S病院では手袋着用だったのだが、Sセンターでは素手でOKだった。これもうれしかった。
素手でりきちゃんに触るなんて、生まれた直後に触ったきり。
1年1ヶ月ぶりにりきちゃんに素手で触れた。このとき、素直にうれしかった。

普通のパパママなら、普通にやっていることなのに、ひたすら感動した。


そうして、Sセンターでの入院生活が始まった。



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