華麗の空~本を楽しく読むブログ

仮想家の人々




⇔⇔⇔   旅のはじまり   ⇔⇔⇔

―― Thus The Story Has Begun ――






筆者は仮想家当主である。


一族の長なワケだが、何代目かは定かでない。
伝統ある家系らしいのだが、さりとて家系図があるわけでもない。

ないなら作ればイイじゃん、と 家計簿 を遺した人もいたが、
子孫の 「さむっ」 の一言で燃やされかけた。

そんな、一族。


それならば、と 筧トシオ のブロマイドを遺したチャレンジャーもいた。
それは子孫のツボに入ったらしく、今でも大切に保存されているという。

そんな、一族。


仮想家の伝統とは、発想を遺すことである。後世に伝えることである。
自分が生きた瞬間に、何を考えたか――

思考空間において、 から を生み出す。それが、仮想家の伝統である。

から 、ではない。
とは、漂っている事象を指す。
一見関連性の無さそうな 達を、独自の視点でもって繋げてゆく。

発想力は無限である。

そう考え、実践する一族。それが、仮想家。

想像力+行動力。それが、仮想家。


例えばこんな教訓。

「One of these days is none of these days.」

(訳:やっちゃえ、やっちゃえよ――byつんく とよた変わらなきゃ)



子孫は、先祖が遺したモノを鑑賞することで、一族の歴史を垣間見るのだ。

大抵の場合、作品には 本名 が記されていない。 ペンネーム が殆どである。
発想を伝える一族なのだから、不思議はない。

「筆者」 もまた、ペンネームである。本名は明らかでない。

ちなみに幼少の頃は 坊やテツ と呼ばれていた。
なんでも夏目漱石の 「我輩は猫である」 を読んで、

「わが牌はイーシャンテンである。リーチはまだない。」

と呟いて周囲を驚かせたとか。


しかし麻雀は強くなかった。仮想家 坊や哲 は単なる言葉マニアだったのだ。

「ツバメ返し!」

ただその響きに酔いしれていただけ。

■注■ツバメ返しを習得するには!!――
生卵を13個直列に並べ、素早く持ち上げる 練習が必要である。
決して 並列 になど並べてはいけない。
ここは 落合ヒロミツ的「俺流」 を貫く場所ではないのだ。
世の中、黙って慣習に従うべき時がある。
「二子玉川」を「にこたま」って呼ぶのは分かるが
「僕の地球を守って」を「ぼくたま」って略すのは何故だ!!などと怒ってはいけない。

さて、すっかり話が逸れましたね。
ソッレータ!! って書けば、 イタリアっぽくて 許されるかもしれない。


そんな、筆者。


ある時期を境に、彼は 行動する言葉マニア の道を歩み始める。
その行動の結果が、 「ワンダーランド」 であり 「笑心旅行」 なのだ。

彼は自らを 「筆者」 と名乗った。
坊やテツ は人がつけた綽名であったが、筆者はペンネームである。

つまり、仮想家の人間として本格始動したのだ。


筆者を駆り立てたモノは、何か。

それは、仮想一族の膨大な作品群から彼が見つけた、一篇の日記であった。


「父兄記」――

表紙題箋には、そう書かれてあった。

父親が家族のことを面白おかしく記した作品 のようにも見えるが、 騙されてはいけない。
発想を重要視する一族にとって、ただの日記なんて有り得ないのだ。

日記調の小説、 そう考えた方が良いであろう。
従って、著者は父親ではなく、母親の可能性だってある。

筆者は「父兄記」が気に入った。目指す方向性を、見つけた。

そして、 書き始めた。
発想を、 行動に移した。


「ワンダーランド」は、生まれた。


「笑心旅行」は、書かれた。



「父兄記」の後継記――


そんな、 筆者。


そんな、 仮想家。


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