満天の星の下

満天の星の下

2021.03.21
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カテゴリ: 海外
当時の北京では、何かにつけて外国人は現地の人たちと区別されていた。
まず、使用する通貨が違った。街で流通している通貨は人民元だが、外国人が使用できるのは外貨兌換券(FEC)だった。FECは、空港、中国銀行、ホテルでパスポートを提示して外貨から交換できる。メリットは、交換時の証明書があれば外貨に戻すことができた。また、市内免税店や友誼商店ではFECしか使えず、当時圧倒的な人気があった日本製の家電製品を購入する際は必需品だった。公式には同価値のはずだが、20%くらいのプレミアムがついて交換されていたように思う。
国内線チケット、電車チケットから紫禁城の入場料に至るまで、外国人料金は別枠で設定されていた。ざっと2倍の差があった。外国人料金の設定がない場所には、入れないと理解していた。タクシーだけは料金に区別はなかったが、当時は現地の人でタクシーを使う人はほとんどいなかったと思う。
一方、一部のホテルでは、パスポートを提示しないと建物の中に入れてもらえないこともあった。パスポートを持っているのはほぼ外国人に限られたので、実質的に現地の人が使えないホテルもあった。
病院も外国人専用の病院しか使えなかったように思う。病気をした場合、市内にある北京協和病院か、少し郊外にある日中友好病院にほとんどの人がかかっていたと思う。
学校の寮に住んでいたので直接は関係なかったが、外国人が住める場所はもちろん限られていた。
当時日本はバブル経済がはじまりかけた頃でイケイケの時代。一方北京では、街中で食事したり、日用品を購入する分には驚くほど物価が安かった。寮に住んで贅沢をしなければ1ヶ月1万円も必要なかったと思う。ところが同じ時期に外国人専用のアパートに住んで日本レストランで昼ごはんを食べる生活をする日本企業の駐在員の生活費は、東京で生活するよりもはるかに多くかかったと思う。外国人というだけで、良くも悪くも特別扱いされた時代、今思えば、矛盾に満ちた不思議な世界、不思議な経験だった。





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Last updated  2021.03.21 19:30:02
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