『夜と霧の隅で』



この物語は第二次世界大戦中、正確に言うとヒトラー率いるドイツ軍が徐々に弱まり、撤退を強いられだした頃の、空爆とは全く縁のないドイツの片田舎の精神病院で起った出来事を綴ったものである。
この中でとくに注目されるのは以下の3人の生き様である。

まず一人目。
この精神病院の医者であるケルセンブロック。
当時ドイツ軍は治らないと診断された患者を強制収容所へ連れて行き処分していた。
ケルセンブロックは人間としてというより、一研究者として検体である患者が連れ去られることに憤りを覚え、ひとりでも多く治る見込みのあるレベルにまでもっていこうとした。
しかし、彼には時間がなさ過ぎたため、治療も目を覆わんばかりのものとなり、患者へ与える苦痛は常軌を逸したものとなる。

二人目。
精神病棟で静養する日本人医師の留学生、高島。
彼はユダヤ人であるアンナと結婚し、アンナは身分証明書上は日本人となる。
そのため、アンナの家族がごそっとゲシュタポに連れて行かれたとき、アンナだけは高島の手によって、元の社会へと戻ってくることができた。
しかし、そのときの苦労により、やや精神を病んでしまった高島はこの病院へ送られる。
最初、愛する妻アンナへスパイ疑惑を掛けたドイツ人を憎んでいたが、親友佐藤からアンナの自殺を聞かされて、本当に気が狂ってしまう。

三人目。
病院の医院長、ツェラー。
実は彼はほとんどこの物語ではしゃべっていない。
ゲシュタポがこの病院にやってきて、治る見込みのない病人を差し出すように命令していくのであるが、実はその直前に半身不随となるほどの病に倒れ、意識も朦朧とし、半ばこの精神病院の患者と同じような状態で生活を送っている。

まず、この物語の大きな背景に戦争がある。
しかも、ヒットラーと言う絶対的な権力者がいたのである。
この戦争が暗示しているのは、宗教と同じく人が生きるためにすがらなくてはならないものだ。
そこには他のだれかと共有できる価値が必要なのである。
正しいか、間違っているかは問題ではなく、自分がそこにどれだけのめり込めるかが大事なのだ。
そのような状況下でも、ドイツによるプロパガンダも手が届かないほどの田舎では、戦争自体に疑問を持つものも多い。
とくに人道的な不義を許されない医者であればなおさらだ。
彼らは戦争の矛盾に気づきながらもあがなう術を目の前の患者を治療すること以外見出すことができなかった。
それでも、人間として生きていくために、戦争と同じレベルの心の拠り所として、患者の治療に病的に執着していく。

そんな中、高島とツェラーが非常に対照的に描かれている。
基本的にこの病院に収容されている精神分裂患者は『外』の人間である。
この世の中で暮らしていない。
高島は最初こっちの世界にいたのであるが、アンナの死を知ることにより、外の人間となる。
ところが、幸か不幸かケルセンブロックの治療により、ほぼ完璧にこちらの世界へ引き戻され、自殺してしまう。
一方、ツェラーのほうはいつも曖昧な笑みを浮かべており、病院の患者達から絶大な指示を得ている。
それが最後、半分障害者となった後のほうがより患者達に受け入れられることとなった。
すなわち、彼は初めからこっちに行きながらも『外』の世界を理解するものであり、最後、自分自身、『外』の世界の住人となる。
『外』の世界は自由だ。
なにも共有しなくて良い。
そこには戦争も宗教もなにもないのである。

ケルセンブロックはこっちの世界に絶対的な優位性を認め、『外』の住民達を強引に連れ戻そうとした。
彼の行為と、不治の病人を処刑するゲシュタポとなにが違うのか。
人道的や倫理など、所詮こちら側の人間の作ったものでしかないのではなかろうか。
北杜夫はこれに対して高島の自殺とツェラーの生き様をもって自分なりの意見を主張したのではなかろうか。

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