『壁』



主人公はある日突然名前を失う。
いや、失うというよりは、名前が名刺という形をとって自分の意志をもって彼から独立する。
名前だけではない。
ズボンも眼鏡も洋服も、それまで意識をもたずにかれに従属してきていたと思われていたすべての『モノ』たちが意識をもって反旗を翻す。
彼の秘書であり、彼を庇護し、彼が愛したY子は、彼が淡い恋心を抱いたマネキンと同化する。

存在とはなにか。
存在に人間の意志が介在する余地などないのではなかろうか。
『存在』を介して、人間だろうと、動物だろうと、モノだろうと、マネキンだろうと、すべてが同位に還元される。

そのようなラディカルな世界の中で自分の拠り所は、結局自分の存在にしか求めることができない。
同列に並べられたほかのモノとの関係は不安定で、『他者』ですら同化してしまう。
存在自体に求められた存在の意義とは何なのか。
意志というのは存在に対しての理由付け。
それをしなければあまりの存在の軽さに人間は押しつぶされてしまうのかもしれない。

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