2006年03月02日
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山本 文緒著  『ブルーもしくはブルー』  1996 (株)角川書店 p.13

山本文緒にちょっとはまり気味だ。
彼女の文章は何も考えなければそれはそれで面白く読めるし、深読みすることもできる。
もちろんぼくは深読みする。

このセリフはよく言われるせりふだ。
ここでは刺激的な恋を非日常とし、恋と旅を対比している。

「恋は旅に似ている。非日常の楽しい毎日。けれど、それはいつか必ず終わる。そしてまた日常が始まるのだ。退屈な日常があるからこそ、刺激的な非日常がある」

たしかにそうかもしれない。
旅しているときは完全に非日常だ。

わくわく、どきどきの連続なのだ。

まあそれはいいとして、問題は後半である。
「退屈な日常があるからこそ、刺激的な非日常がある」
これにはにわかに賛同しがたい。
このブログで何度も主張してきたのであるが、ぼくは日常にもどきどきがいっぱい隠れていると思っている。
もし、どきどきした時点で、それは非日常だよというのであればそれでもいい。
日常は非日常の一部として考えればよいのだ。
つまり、いろんな意味を持つ非日常のほんの一部だけを見て理解して、やりすごしているのが日常だからだ。
そこにあるのは退屈ではなく、看過である。
そこにあるものを見る努力をしないで、退屈のひとことで片付けているような気がしてならない。
そういう努力をすればいくらでも日常の中に非日常性を見つけることは可能なのではなかろうか。


そこには自分の身体性に基づいた判断基準がないゆえに、時として現実の世界を凌駕する。
人間は、それらの外的な刺激としての非日常性を観念で完璧に押さえ込めるほど強くはないとぼくは思う。
だとしたら、やっぱり普段の生活の中で、小さなことでもいいからとりあえず感動したり驚いたりしてみることができたらいいなって思うな。





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最終更新日  2006年03月04日 22時58分20秒
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