2006年03月04日
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三浦 綾子著  『天の梯子』  1991  (株)集英社  p.136

「なさざるの罪」とはなにもしないことによって犯される罪である。

「見知らぬ子供が、車の往来の烈しい路上でボール遊びをしているのを、誰一人注意しないという光景に、時々出会うことがある。車の中からでも叱り付けるか、歩行者が注意してもよいはずなのだが、みんな無関心なのだ。」

ここで三浦は無関心という表現を使っているが、実際には無関心だけではない。
電車に座っていて、目の前にお年寄りが立っているのを知りつつ、恥ずかしくて席を譲らず狸寝入りをしているのだって「なさざるの罪」だ。
大きな荷物を持ち、四苦八苦しながら階段を上っている人に、一声かけることができず、しかたなく脇を通り過ぎるのだって「なさざるの罪」だ。

実はぼくも昔、大学生のとき下宿にモルモン教の宣教師が布教活動で訪問し、外人だったこともありなんとなく話しこんでしまったのだが、そのときに、この「なさざるの罪」について初めて教えられた。
彼に罪というものを犯していないかと聞かれ、胸を張って犯していないと答えたまではよかったが、毎日善いことをしていますかという質問には正直詰まってしまった。
さらに、善いことをしないということも罪なんですといわれたときには、かなりどきりとした。


一日一善というが、知らない人への善というのは和を大事にする日本人にとっては難しいことなのではなかろうか。
自分のしっている人や身内にはとことん親切なところがあるが、それだけにその輪の外の人には無関心というか手を差し伸べない。
ぼくもアメリカで暮らしてからようやく困っている他人に声をかけることができるようになった。
そうなのだ。
アメリカだとこちらが道に迷ったり、大きな荷物で四苦八苦していたりすると、ほぼ100%、声を掛けてくるのである。

まあ、中には自分もわからないくせに地図を見ながら困っている日本人に声を掛けてきてくれる旅行者すらいる。
それでいいと思う。
困っている人に声を掛けられず後悔の念に苛まれるよりも、たとえ自己満足でしかないにせよ、とにかく困っている人に声をかける。
で、自分ができることをしてあげる。
ちょっと前まで、そういう困った人を見たときに掛ける言葉は「Can I help you?」であったが、今は「How can I help you?」ともっと積極的に自分ができることはなに?という問いかけになっている。
それでいいんだと思う。






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最終更新日  2012年04月13日 22時08分31秒
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