飛鳥山のまさひこ

飛鳥山のまさひこ

パチンコ

パチンコ

昭和40年前後のパチンコは、立ってやっていた。
受け皿や、いすは、ずっと後だったと思う。
今みたいに、スロットもなかったし、いたって地味な遊技場だった。

玉は、買うところが列のはじにしかなくて、100円だったかな。

親父にくっついて行ったり、栃木のおばあちゃんといった覚えがある。

一つずつ左手で、玉を穴に入れながら、右手で、はじく。
結構それが、すげえって感じで、手品を見ているように感動的だった。

チューリップが出てきたばかりで、 玉がはいると、
真中が 明るくなるようになっていた。

チューリップに入ると、二個玉を入れて、いっぺんに玉をはじく。
そうすると、運良く二個入るので、また、チューリップが開く。
そんな裏技(?)もあった。

その頃は、しんせいを吸いながら、パチンコをする姿が、
「大人」だと、思っていた。

おばあちゃんは、とても上手で、ひとつずつ大事に、はじいて、
かならず、缶詰や味の素、タバコ(おばあちゃんは、わかば)を
紙袋いっぱい、とっていたっけ。

でも、親父が、パチンコに買ったことは、見たことがなかった。

おれも、高校時代には、結構はまっていて、学校で、
ライターをとってきてやる、
といっては、調子に乗っていたことを覚えている。
あの頃は、まだ、飛行機なんかが、結構受けていた時代。

でも、決して不良ではなかった。(十分、不良だろうが?)

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