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昨日、級外でいつものように給食を食べながら、給食について、いろんな話をした。「年度末を控え、給食費滞納の問題、頭痛いです。今年は例年以上に滞納が多い。多分回収できないと思います。どうしたものやら・・。」と事務職員。今年から給食費・PTA会費・学級費などの諸経費を一括「引き落とし」にしていただいた。(今までは保護者選択)しかし私は滞納率が上がると予想していた。子どもを通しての集金であれば無理しても準備する保護者がいる。しかし銀行引き落としとなるとそのプレッシャーがなくなり、ほったらかしになると考えていたからだ。残念ながら、この予想は的中した。集金の督促はまず担任。お手紙がダメなら家庭訪問。この借金取立てが辛い。それでもダメなら管理職の家庭訪問、それでもダメなら市教育委員会の職員による教育長名の書面を携えての家庭訪問と督促。それでもなかなか集金できない・・。「給食事務も大変なんですよね。」と担当教員。これもあまり知られていないが、給食関連の集金以外の事務処理は事務職員ではなく、級外の教員が受け持っている。今年の場合は「音楽専科」の女先生。遠足・発表会・社会科見学など学校行事で給食を止める、臨時休校で給食を止める、学級閉鎖で給食を止める、陸上大会の選手だけの分を止める、長期欠席者の給食を止めるなどなど、毎日毎日食数が変化し、それをすべて「給食センター」に連絡、詳細に記録して600人を超える児童・教職員の一年間の食数を割り出し、調整月である3月の給食費を個別に割り出す。食材だけでなくセンターの運営費なども含まれるため大変煩雑。それまでは公的施設であった給食センターは、早々の「仕分け」(民営化の動き)により民間に委託されているためだ。また、今月が「給食月間」ということもあり、給食センターの栄養職員と連絡をとり、栄養指導の打合せをする。栄養指導にこられる職員を各教室に案内し,同席するため、その日は給食も食べることができない。これが毎月ある。給食試食会などの企画運営もこの担当職員の仕事。その上給食センターからは学級別の「残債チェック」が詳細に送られてきて、残菜が多い担任を指導するよう、圧力をかけられる。何と本来の音楽指導を半分に削り、半分を給食事務に当てている。こんな現実を保護者の皆さんはあまり知らない。届けられた大量のパンや副食を学級ごとに数え、分類するのは「学校嘱託職員」、昔の言い方で言うと「用務員さん」。毎月の検便を義務付けられ、徹底した衛生管理の下、半日近く給食室に張り付きのため、本来の教員の印刷補助や学校整備、玄関周りの掃除や植物の世話などなかなかできないが、めまぐるしく動き続け、何とか仕事をしておられる。そして各教室では給食指導。「給食当番」を引率し、整然と給食室まで来て「いただきます」といって食缶やパン箱などを持ち帰る。そして配食。「窓際から順番に」とでもしなければ、同じ子どもの配食が一番後になるといったいやあなことも起きる。私は久々に2年生担任したとき、保護者から厳しいお手紙をいただいた。「私の娘が八宝菜のうずらの卵が一つしか入っていなかったと泣いて帰ってきました。平等に配るべきではありませんか。気をつけてください!」長らく高学年を担任していた私は不覚にも2年生の子ども任せにしていたため、偏りが出てしまってたのだ。それ以来、大きいおかずの前に張り付き、子どもが配るのを監視するようになった。「うずらの卵はみんな3つずつ。数えながら入れなくちゃダメだよ」と。食は学習以上に好き嫌いの個人差が大きい。平等に入れると、今度は「私の息子はうずらの卵、食べられないのに3個も入れられたと言っています。減らしてください!!!」もういやだ!!そう叫びたくなる配食が終わると、今度は食が細く、なかなか食べられない子どもへの手立て。「少しずつでもいいから、出されたもの、食べようね。一つも箸をつけないのはいけないよ」「家では嫌いなものは食べなくていいと言われています」「・・・・」そして恐るべき時間、それは「おかわりタイム」。人気のあるメニューには殺到し、そうでなければ大量に残る。私は何度ルールを変えた。しかし一度としてすべての子どもが納得したことはない。どんな方法をとっても、偏りが生じてしまい、またまた保護者から「うちの子は好きなものでもおかわりできないといって帰ります。平等にすべきではありませんか」と苦情が届く。そして、苦労しても苦労しても結果として、どうしても出てしまう「残菜」。30人学級であれば、毎日5合くらいのおいしそうな真っ白なご飯が残され、温野菜や豆料理、魚料理が大量に残され、焼却処分となる。牛乳も半分位飲んで水道に流す子も多い。なんと「食缶にもどしてはいけない」という給食センターからの奇妙なお達しがあるからだ。水の汚染問題はどうなる???600人規模の学校の残債合計量はすさまじい。以前のように残菜は「飼料」にはならない。もったいない・・。心からそう思う。こんな状況で「食育」はもとより「環境教育」なんてできるのか・・。そのくせ、ハンバーグとか肉、カレーなどには動物のように群がる子どもたち。日常の食生活そのものが、学校に持ち込まれ、教師はそれを矯正することを強いられる。不可能である。箸のもち方、姿勢もすさまじい。指導しようと思えばできるが、そうすると自分が食べる時間がなくなるだけでなく何となく学級の雰囲気が楽しくなくなる。いすの上に左手を置いて食器に顔を近づけてかき込む子我多い。共通して多いのが食器を持たない子ども。しかし保護者からは「食器の形がいけないからです。持ちにくいと言っています。変えてもらえませんか!!」とクレーム。一人ひとりの手にあった食器など準備できるか!!「三角食べ」(おかず、ご飯、お汁といったローテーションで食べる)はほとんどできない。真っ白なご飯だけかき込み、おかずだけ食べる子、反対におかずだけ食べてしまい、ご飯を残してしまう子、牛乳を一気飲みしてお腹いっぱいにしてしまう子、まずそうに一つずつおかずをつまみ上げ、においをかぎながら食べるため、5分の1も食べられない子、肘をついて食べるのは当たり前、いすの上に足を上げて食べる子さえある。大声でしゃべるのも当たり前、しゃべる続けるから残す。だから「もぐもぐタイム」のような奇妙な時間が生まれる。ラスト10分くらいしゃべってはいけない。ひたすら食べ続ける。それでも残る給食。箸の持ち方にいたっては、職員さえ正しいのは半数程度と見ている。だから子どもに指導できない。子どもで正しく持てているのは2割にも満たない。ほとんど「握りばし」で、動かせない、つまめない。幼児期の発達に課題があるそうだが、鉛筆のもち方とも共通しており、大切な指導になるが、個別指導には限界がある。「給食、やめてみたらどうでしょう」と私。「いやあ、できないでしょう。食育の時代ですしね」と給食担当。「困ります。弁当準備するなんて」と嘱託職員。子育て真っ最中だから、朝が忙しい。「でも、栄養補給の時代は終わりましたよ」と私。「いやいや、朝はお菓子かお菓子のようなパンだけ、夜はハンバーガーという子も実際います。学校給食だけがバランスが取れているんですよ」と養護教諭。「給食やめたら、弁当持ってこられない子、出ますね。今滞納している家庭を中心に」と私。「高校みたいに食堂や売店つくったらどうですか?親の考えに任せれば。」と家庭科専科。「だったら、単独方式がいいな。学校ごとに給食作れる場と職員を確保して顔が見えるようにする。残菜も減るかも。」と私。「単独方式がセンター方式になる時代。何千食も一度に作ったほうが安上がり。無理です」と給食担当。「人気のハンバーグもさばの味噌煮も冷凍食品じゃないですか。食育といいながら、効率ばかり。手作りの弁当がいいですよ」と私。「私模基本的には賛成。でもご飯しか持ってこられない子どもも出ますね」と養護教諭。実際、給食の歴史は古く、明治時代から始まっているが、必要だったのはやはり戦後。それまでは、農家の子どもを除き、弁当が用意してもらえなくて、家に帰って来るだけの子、食べる振りして山で過ごしていた子どもも多くいた。現代でも、遠足や運動会は休ませてしまう親がいる。弁当が作れないからだ。コンビに弁当の詰め替えでもと思うのだが、それもしてくれない。私が担任した子には両親がおらず、小学校3年生だというのにけなげにも自分で弁当を作って持ってきていたなあ・・。楽しいはずの運動会、おじさんの車の中ですごしていた・・。(こんな日だけはおじさんが弁当を準備してくれた)同僚からはおかずがないので、白だけの弁当がはずかしくて、桜の花びらで隠していた女の子がいたと聞いた。だから給食は否定できない。でも、現状を保護者にもっと知ってもらい、本当の意味で「食」を考える契機としたい。秘密裏に動いている「米消費アップ」や「地産地消」政策もセンター方式に移行し、さらに民間委託して効率化と低価格化ばかり狙う行政も、冷凍食品ばかりのおかずの問題も率直に明らかにし、子どもを政治や経済に利用するのではなく、子どものために何が大切なのかを問い直す機会にしたいと思う。
2010.01.28
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昨日、級外でいつものように給食を食べながら、給食について、いろんな話をした。「年度末を控え、給食費滞納の問題、頭痛いです。今年は例年以上に滞納が多い。多分回収できないと思います。どうしたものやら・・。」と事務職員。今年から給食費・PTA会費・学級費などの諸経費を一括「引き落とし」にしていただいた。(今までは保護者選択)しかし私は滞納率が上がると予想していた。子どもを通しての集金であれば無理しても準備する保護者がいる。しかし銀行引き落としとなるとそのプレッシャーがなくなり、ほったらかしになると考えていたからだ。残念ながら、この予想は的中した。集金の督促はまず担任。お手紙がダメなら家庭訪問。この借金取立てが辛い。それでもダメなら管理職の家庭訪問、それでもダメなら市教育委員会の職員による教育長名の書面を携えての家庭訪問と督促。それでもなかなか集金できない・・。「給食事務も大変なんですよね。」と担当教員。これもあまり知られていないが、給食関連の集金以外の事務処理は事務職員ではなく、級外の教員が受け持っている。今年の場合は「音楽専科」の女先生。遠足・発表会・社会科見学など学校行事で給食を止める、臨時休校で給食を止める、学級閉鎖で給食を止める、陸上大会の選手だけの分を止める、長期欠席者の給食を止めるなどなど、毎日毎日食数が変化し、それをすべて「給食センター」に連絡、詳細に記録して600人を超える児童・教職員の一年間の食数を割り出し、調整月である3月の給食費を個別に割り出す。食材だけでなくセンターの運営費なども含まれるため大変煩雑。それまでは公的施設であった給食センターは、早々の「仕分け」(民営化の動き)により民間に委託されているためだ。また、今月が「給食月間」ということもあり、給食センターの栄養職員と連絡をとり、栄養指導の打合せをする。栄養指導にこられる職員を各教室に案内し,同席するため、その日は給食も食べることができない。これが毎月ある。給食試食会などの企画運営もこの担当職員の仕事。その上給食センターからは学級別の「残債チェック」が詳細に送られてきて、残菜が多い担任を指導するよう、圧力をかけられる。何と本来の音楽指導を半分に削り、半分を給食事務に当てている。こんな現実を保護者の皆さんはあまり知らない。届けられた大量のパンや副食を学級ごとに数え、分類するのは「学校嘱託職員」、昔の言い方で言うと「用務員さん」。毎月の検便を義務付けられ、徹底した衛生管理の下、半日近く給食室に張り付きのため、本来の教員の印刷補助や学校整備、玄関周りの掃除や植物の世話などなかなかできないが、めまぐるしく動き続け、何とか仕事をしておられる。さらに、ここにも「家庭科専科」の講師が本来の授業時間をけずって投入されている。そして各教室では給食指導。「給食当番」を引率し、整然と給食室まで来て「いただきます」といって食缶やパン箱などを持ち帰る。そして配食。「窓際から順番に」とでもしなければ、同じ子どもの配食が一番後になるといったいやあなことも起きる。私は久々に2年生担任したとき、保護者から厳しいお手紙をいただいた。「私の娘が八宝菜のうずらの卵が一つしか入っていなかったと泣いて帰ってきました。平等に配るべきではありませんか。気をつけてください!」長らく高学年を担任していた私は不覚にも2年生の子ども任せにしていたため、偏りが出てしまってたのだ。それ以来、大きいおかずの前に張り付き、子どもが配るのを監視するようになった。「うずらの卵はみんな3つずつ。数えながら入れなくちゃダメだよ」と。食は学習以上に好き嫌いの個人差が大きい。平等に入れると、今度は「私の息子はうずらの卵、食べられないのに3個も入れられたと言っています。減らしてください!!!」もういやだ!!そう叫びたくなる配食が終わると、今度は食が細く、なかなか食べられない子どもへの手立て。「少しずつでもいいから、出されたもの、食べようね。一つも箸をつけないのはいけないよ」「家では嫌いなものは食べなくていいと言われています」「・・・・」そして恐るべき時間、それは「おかわりタイム」。人気のあるメニューには殺到し、そうでなければ大量に残る。私は何度もルールを変えた。しかし一度としてすべての子どもが納得したことはない。どんな方法をとっても、偏りが生じてしまい、またまた保護者から「うちの子は好きなものでもおかわりできないといって帰ります。平等にすべきではありませんか」と苦情が届く。そして、苦労しても苦労しても結果として、どうしても出てしまう「残菜」。30人学級であれば、毎日5合くらいのおいしそうな真っ白なご飯が残され、温野菜や豆料理、魚料理が大量に残され、焼却処分となる。牛乳も半分位飲んで水道に流す子も多い。なんと「食缶にもどしてはいけない」という給食センターからの奇妙なお達しがあるからだ。水の汚染問題はどうなる???600人規模の学校の残債合計量はすさまじい。以前のように残菜は「飼料」にはならない。もったいない・・。心からそう思う。こんな状況で「食育」はもとより「環境教育」なんてできるのか・・。そのくせ、ハンバーグとか肉、カレーなどには動物のように群がる子どもたち。日常の食生活そのものが、学校に持ち込まれ、教師はそれを矯正することを強いられる。不可能である。箸のもち方、姿勢もすさまじい。指導しようと思えばできるが、そうすると自分が食べる時間がなくなるだけでなく何となく学級の雰囲気が楽しくなくなる。いすの上に左手を置いて食器に顔を近づけてかき込む子我多い。共通して多いのが食器を持たない子ども。しかし保護者からは「食器の形がいけないからです。持ちにくいと言っています。変えてもらえませんか!!」とクレーム。一人ひとりの手にあった食器など準備できるか!!「三角食べ」(おかず、ご飯、お汁といったローテーションで食べる)はほとんどできない。真っ白なご飯だけかき込み、おかずだけ食べる子、反対におかずだけ食べてしまい、ご飯を残してしまう子、牛乳を一気飲みしてお腹いっぱいにしてしまう子、まずそうに一つずつおかずをつまみ上げ、においをかぎながら食べるため、5分の1も食べられない子、肘をついて食べるのは当たり前、いすの上に足を上げて食べる子さえある。大声でしゃべるのも当たり前、しゃべる続けるから残す。だから「もぐもぐタイム」のような奇妙な時間が生まれる。ラスト10分くらいしゃべってはいけない。ひたすら食べ続ける。それでも残る給食。箸の持ち方にいたっては、職員さえ正しいのは半数程度。子どもで正しく持てているのは多くて2割程度。ほとんど「握りばし」で、動かせない、つまめない。幼児期の発達に課題があるそうだが、鉛筆のもち方とも共通しており、大切な指導になるが、個別指導には限界がある。「給食、やめてみたらどうでしょう」と私。「いやあ、できないでしょう。食育の時代ですしね」と給食担当。「困ります。弁当準備するなんて」と嘱託職員。子育て真っ最中だから、朝が忙しい。「でも、栄養補給の時代は終わりましたよ」と私。「いやいや、朝はお菓子かお菓子のようなパンだけ、夜はハンバーガーという子も実際います。学校給食だけがバランスが取れているんですよ」と養護教諭。「給食やめたら、弁当持ってこられない子、出ますね。今滞納している家庭を中心に」と私。「高校みたいに食堂や売店つくったらどうですか?親の考えに任せれば。」と家庭科専科。「だったら、単独方式がいいな。学校ごとに給食作れる場と職員を確保して顔が見えるようにする。残菜も減るかも。」と私。「単独方式がセンター方式になる時代。何千食も一度に作ったほうが安上がり。無理です」と給食担当。「人気のハンバーグもさばの味噌煮も冷凍食品じゃないですか。食育といいながら、効率ばかり。手作りの弁当がいいですよ。それに滞納問題に悩まなくて済む」と私。「私も基本的にはお弁当に賛成。でもご飯しか持ってこられない子どもも出ますね」と養護教諭。実際、給食の歴史は古く、明治時代から始まっているが、必要だったのはやはり戦後。それまでは、農家の子どもを除き、弁当が用意してもらえなくて、家に帰って来るだけの子、食べる振りして山で過ごしていた子どもも多くいた。現代でも、遠足や運動会は休ませてしまう親がいる。弁当が作れないからだ。コンビに弁当の詰め替えでもと思うのだが、それもしてくれない。私が担任した子には両親がおらず、小学校3年生だというのにけなげにも自分で弁当を作って持ってきていたなあ・・。楽しいはずの運動会、おじさんの車の中ですごしていた・・。(こんな日だけはおじさんが弁当を準備してくれた)同僚からはおかずがないので、白だけの弁当がはずかしくて、桜の花びらで隠していた女の子がいたと聞いた。そういう私も中学生のとき、家が厳しい状態になって給食費一部補助してもらっていた。でも給食費が人と違うのが辛くて、率先して給食費の袋を配ってたから、先生からよくほめられていたなあ・・。だから給食は否定できない。でも、現状を保護者にもっと知ってもらい、本当の意味で「食」を考える契機としたい。秘密裏に動いている「米消費アップ」や「地産地消」政策もセンター方式に移行し、さらに民間委託して効率化と低価格化ばかり狙う行政も、冷凍食品ばかりのおかずの問題も率直に明らかにし、子どもを政治や経済に利用するのではなく、子どものために何が大切なのかを問い直す機会にしたいと思う。
2010.01.28
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昨日は参観日だった。私は先生方に「万全を期す」よういつもより鋭く迫った。潤いのある教室環境になっているか、子どもの学習の足跡が目に見える形になっているか、今年の抱負やら3学期のめあてが明確になっているか、深い教材研究によって当日の指導の見通しは持てているか、どの子も活躍できる場が想定されているかそして何より、懇談会の準備は万全か・・。実質的には最後の参観日。子どもたちの成長を感じていただくだけでなく進学・進級に向けて各家庭でしていただきたいことをきちんと伝えたい、そう考えていた。実は昨年暮れにとった「家庭学習アンケート」というのがある。冬休み、分析してみた。まず本校独自に、そしてお隣のN小学校と比較して。本校とN小の2校から一つの中学校に進学する。連携しながら教育活動を展開し、スムーズに中学校に移行してほしいという願いで始まったプランの一つがこのアンケートと結果報告、そして啓発。比較によって、とても興味深い課題が浮かび上がった。一つ目が学習時間。低学年30分、中学年60分、高学年90分、中学生120分(中3のみ180分)が本中学校区プランの目安である。低・中学年では両校ともほぼ同じ傾向で、低学年8割、中学年7割が達成。しかし高学年で明らかな差が見られた。お隣のN小のほうが断然学習時間が長い。90分の目標達成と答えた保護者の割合がN小は6割であるのに対し、本校は2割以下!理由はと聞けば、「部活が忙しい」「テレビを見ている」と本校保護者。N小はそんな回答はほとんどなく、「根気が続かない」と出た。「学習内容を知っていますか」は保護者の関心を聞こうとするもの。やはりN小は高学年になっても8割の保護者が「知っている」と答えたのに対し、本校は3割程度にとどまり、多くの保護者が「知らない」と回答した。トータルで考えると、子どもが小さいうちは本校保護者もそれなりに関心が高く、かかわりを持とうとするが、大きくなるにつれ子ども任せ。部活が盛んで、遅くまでサッカーやバスケをし、県内でも活躍している反面、家庭で学習する時間がわずかになってしまうことも、やむを得ないと考えている。N小は「塾で忙しい」という回答も多いことを考えると、教育熱心で大きくなっても勉強を迫るN小に対し、部活に燃え、手伝いをたくさんさせ、勉強はほどほどでいいと考えている本校保護者像が浮かび上がる。どちらがいいというわけではないが、実はこの結果はほぼ予想されていたもの。長年中学校での両校間の学力格差が続く要因の一つになっている。中1の5月、中学校から初めてのテスト結果が渡されるが、平均点でN小を上回ったことは一度もない。そのために保護者に働きかけなければならないことは・・といった職員研修をし万全を期して臨んだ保護者会。ふたを開けてみると各学級30人近く在籍しているのに懇談会に残ってくれたのはそれぞれ3~4名。平日の寒い時期、この不況の中、職場を休めなかったのだろう。でも、これからどうしたら保護者が「家庭学習」の大切さに目覚めるのだろう・・。私にはっぱかけられ、以前にもまして準備に多くの時間を費やした先生方もあまりの参加者の少なさにがっかり。一年間の子どもの成長をスライドショーにしてともに語り合おうと準備していたのに・・。保護者の皆さん、忙しいのはわかっていますが、ぜひ懇談会に残ってください。授業だけ見てどんどん帰っていく姿を見るのは悲しすぎます・・。部活を夜9時までやっているのはやりすぎです。まだ小学生なのですから。もっと本を読ませてください。親子で語り合ってください!!!勉強に関心を持ってくください。今の中3、本校出身者の多くが行ける高校がないのです。これでいいのですか?低学力→低進学率→不安定就労→教育への関心の低さ(関われない現実)→低学力→この「負の連鎖」をともに手を取り合って、断ち切りましょう。
2010.01.23
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年末に体調を崩して入院した母。感染症らしき症状と肺と腹部のかげ、あらゆる種類の抗生物質を投与するも効果なく、日に日に体力は落ち、とうとう食欲もなくなり、現在は大腿部の付け根に挿入したカテーテルによる栄養補給で何とか生かしてもらっている。ところが昨日、主治医から電話があり、説明したいから病院に来てほしいとのこと。母の症状をずっと考えていた夜中、ふっと「結核」を疑ったそうだ。せきも痰もないが、念のため、胃の中と鼻の奥のものを採取、何と「結核菌」が検出されたので治療を開始するがいいか、というものだった。「母が結核???」しかし記憶を手繰ると、若い頃父が結核で入院したことがあり、母も入院こそしたことはないものの、保菌者であったらしい。それが「糖尿病」などと複合し、抵抗力が下がってきたため発症したのではないかというのだ。なるほどと、納得。それにしても、主治医は母の原因を突き止めるため、多くの症例に当たってくださったことが言葉の端々から伺えた。しかも「結核」とひらめいたのは夜中。医者としてたった一人の、しかも年老いた母のことをそこまで考えていてくださったのかと感謝し、深い感銘をうけた。30歳そこそこの若き女医さん。これからも「母」のこと、よろしくお願いします。すべて先生にお任せします。そんな気持ちを伝えた。もう84歳。回復はなかなか難しそうだと感じたが、「はあはあ」と苦しそうな呼吸をし、「全身がだるい」と言いながら母は病気と闘っている。
2010.01.20
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妻の臨時講師としての仕事が始まった。勤務前日、勤務形態についての教頭との話し合いでまず妻は違和感を感じた。「教育公務員は、祝日も勤務日です。したがって、成人の日の勤務分は平日に上乗せいたします」あまり知られてはいないが、確かにそう。土日は「週休日」であり、勤務を割り振らない日であるのに対して、祝日はとりあえず「勤務を要しない日」であって、勤務日なのだ!正式採用の教職員は月給なので、ぴんと来ないが、臨時講師は時間給なので、厳密に適用すると引導を渡されたのだ。しかし・・・。初日に言わなくてもいい問題ではないだろうか。教頭のいかにも「管理的」な話しぶりに常々管理職批判しがちな私の影響をけている妻は「なに、この教頭???」と思ったらしい。それよりも自分はこの学校の中でどんな役回りを期待され、どんなことに取り組めばいいのか、どんな課題があり、何をすればその課題が少しでも解決するのか、それだけを考えていた妻はがっくり来た模様・・。遅ればせながら話があったのは「特別支援教育の補助をしてもらいます。情緒障害児学級のサポートです」それだけ????「あとは担任と相談してください。では・・」何だこの教頭、ふざけんな!妻は心の中で叫んでいたという。というわけで今度は担任と打合せ。この担任、昨年4月に大学院を卒業した27歳男性。この学級の児童は3年から6年までの6名。県によって若干事情は異なるが、障害児学級は8名を超えたとき、やっと2クラスになる。しかし規定により、在籍児童が3学年以上にまたがるときはサポート教員が1名配置される。そのサポート教員として、昨年4月に現担任が赴任。しかし9月に4月からの女性担任が産休に入ったため、そのまま担任に。しかもその後サポート教員に配置されたのが新卒の24歳女性。なんと新卒の講師二人が「情緒障害児学級」というきわめて専門性を必要とするポジションに配置されたのだ。そして学級が回らなくなり、緊急対策として配置されたのが妻である。大丈夫なのか、この学校の人事!!!!しかも特別支援教育主任は4年生の担任の若い男性。すでにこの時点でねじれている。さすがに主任は講師に持っていけなかったからだろうが、4月の校内人事の時点で産休に入ることはわかっていたはず。であれば、この男性教師をこの学級の担任にすべきであろう。主任は配置しなければならないので、とりあえずといった感がある。わけがわからない人事に私は憤っている。若いからダメといっているわけではないが、そもそも高度な専門性を要するポジションに、なぜ途中で産休に入ることがわかっている人間を当てるのか。それ以降講師に担任させることをすでに決めていたのであろうが、それでは負担が大きすぎるだろう。さて、その27歳男性講師、妻の要望で担任は個別の指導計画を出してきた。要望がなければ出すつもりはなかったらしい。6名もの特性が口頭だけで把握できるはずはないのに・・。それによれば、3年生のM君はADHDと軽度知的障害、4年生のY君は学習障害、ADHDと境界域知的障害、同じく4年生のN君はパニックを伴うADHD、5年生Y君は学習障害、同じく5年生のF君はADHD、6年生H君は高機能自閉症である。「私はどんな支援体制に入ればいいのでしょう」「まあ、6人もいて大変なので、これから様子を見ながら、支援してください。」何だこのいい加減さは!!!!!個別の支援計画があり、具体的な指導計画があり、時間割が編制され、交流の時間も設定され、その中で妻の支援が必要なところは明確なはず。それが明確ではないのに、人員配置の要求が通ったところが行政も甘い!!!どれだけ人件費がかかっているか、それらはすべて税金だと言うのに・・。まるで「子守をすればいい」というふうにしか聞こえなかった妻は切れた。「もっと具体的に教えていただけませんか。明日からスタートですので、よろしくお願いします」この質問に27歳男性の担任はうろたえた。「まあ、明日までに考えておきますので今日のところは・・」もう一人の若い女性講師も似たようなもの。1単位時間のワークシステムを確認しようとする妻に対して「まあ、例えばF君の場合、長続きしませんから、遊ばせています」と、こんな返事。同じ5年生であってもY君は学習障害、F君はADHDである。しかし基本的に時間割は同じ。これは仕方ないにしても、「根気が続かない」という理由で知的障害のないF君は45分の授業の中で15分しか集中しないという。しかし同じ5年生のY君は時間がかかる。だから目標を達成したF君は隣の教室で遊んでいいことになっているという。そしてその後女性講師はY君に付きっ切りで指導ということになる。結局F君は15分しか学んでいないことになる。「それでいいの???」妻は率直に言った。「F君、もったいないですね、時間の過ごし方が」「仕方ないんです。集中が続きませんから・・」だからなんだというんだ。手立てがないからだろう?妻はそう言いたいのをぐっとこらえた。「わかりました。例えば私がそのF君の学習を支援していけばいいということですね」「まあ、そういうことになります」「お家の方の願いはどうですか?」「まあ、・・」と、資料を見ながら両講師、とまどう。「いったいこのおばさん、何を聞くんだ」という怪訝な顔をしていたらしい。当たり前じゃないか。障害児学級に入級させようと決定するまでに、どれだけ葛藤があったか、どんな願いを持っているか、深い話し合いがあって当然だろう。それを資料を見ながらでなければ語れないこと事態、妻は許せなかった。「わかりました。とりあえず資料をコピーしていただけますか。明日までに読んできますので、それからいろいろ質問させてください」時間の無駄と感じた妻は、そこで引いた。どうだろう。これが本校のほんの隣の公立学校の実態である。私は信じられない。校内人事をした校長も、教頭も、指導すべき教務も、特別支援教育主任も、学校体制も何もかも!!!6人の子どもたちの学力保障・進路保障、何よりも社会的自立に向けたプログラムがあまりにもずさんすぎる!!どんな顔して保護者とやりとりしているのか、保護者は学校に要求しないのか。多分さまざまな要望が学校に届いているのだろう。その中の一つが人員配置の要求だったに違いない。学級が学級として機能していない、学力が保障されていない、そんな気持ちで校長に要求したのではないか。だから校長も教頭も主任も担任も「かなり厳しい実態です」と言ったのだろう。確かに6人の、しかもやんちゃな男の子ばかりのこの学級、そう簡単にはいかないだろう。だからこそ学校体制が必要なのだ。若い講師だけでできるはずもなく、教務や主任の出番だ。時間割編制の工夫も欠かせない。いわゆる「交流学級」担任との連携も必要。社会性を身につけさせるためにも、交友関係からもその学年の担任の力量が問われる。障害児学級から同学年の友達が入ってきた、授業をかき乱したとする、飛び出したとする、その時担任はどうふるまうのか、周りの子はどう対処するのか、それらはすべて「交流と共同」学習の成立条件であり、成立することが特性のある子どもたちの自己肯定感を高め、ひいては周りの子どもの固定的な見方を変革していく。たった一日ではあるが、私はこんな学校が許せない。少なくとも、コピーされた「個別の指導計画」は指導計画でもなんでもない。あまりにずさんだ。私は闘う。よその学校であっても、一人の子どもの進路を保障するために介入する。まず指導計画を練り直す。そのために妻には保護者との面談を働きかけてもらう。まず保護者の思いや願いからスタートする。その上で学校の取り組みを練り直す。学校に限界があれば積極的に専門医との連携を図る。関係機関に相談する。若い講師にも気づいてもらう。いまどきの若者らしく、勤務時間内ですべて終わりと考えているらしいがそうはいかない。まず早急に家庭訪問してもらう。進級に向けて懇談してもらう。あと3ヶ月、何ができるか、何をしなければならないか」整理してもらう。単なる文書の引継ぎでは済まされない。自分で計画は練り直すもの。計画は日々変わって行くもの。産休に入った前担任が作成したものを担任名を変えるだけで済まそうとするふざけた根性をたたきなおす!「短期目標」「中期目標」「長期目標」に分類し、練り直してもらう。(何とこの分類さえされていないずさんなものなのだ!)もちろん、妻の仕事も厳しくなる。要求すればするほど周りの見方は厳しくなる。しかし3ヶ月の臨時講師を軽んじてはならない。甘く見てはならない。学校は変えられる。これは私の信念であり、実感でもある。この学校の教務、一緒に勤めたことのある後輩でもある。熱心な実践者だっただけに、いろいろな思いは持っているだろう。指導しきれない、いやな何かがあるだろう。独特の学校文化があるのだろう。例えば管理的な教頭といった存在、何も語らない校長などなど。しかし彼にも働きかけたい。現状を容認しているわけではないだろうと。数ヶ月前、教務主任研修会で出会った時「しんどいです、うちの学校。特に特別支援が・・」と言っていたのを思い出した。であれば改革しかない。しんどいことは必ず改革によって克服できる。彼に元気を取り戻すことも同時にやっていきたい。1ヶ月いただけの、妻の前任校とのあまりの違いに戸惑う妻のサポートも大切になってくるだろう。時間給なので、深入りしない方が得であるし、時間内で、それなりに仕事ができた前任校であったが、今度の学校は違う。時間を超越してでもしなければならないことはある。まあ、私が家事全般と母の介護を引き受けるということで、バックアップしていきたい。
2010.01.09
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あけましておめでとうございます。私の地域は昨晩から降り続けた雪で約30センチの積雪。久々です。とうとう母は病院で年越し。昨晩は妻と長男が食事介助に行きました。少しずつ体力が回復し始めていますが、リハビリを平行していかなければ寝たきりになりそうというのが看護師をしている姉の見立てです。苦労続きの母。もう少し長生きしてほしい、いろんなところ連れて行きたい、せめて車椅子で移動できるまで回復してほしい、それが新年の第一のお願いです。第二は長男の高校受験合格。ようやく受験モードに入り、信頼する担任の先生の「8・8・8」計画で過ごそうと努力しています。一日24時間を8時間睡眠、8時間勉強、8時間はその他食事や自由時間で過ごそうというのがこの計画。冬休みに入ってから毎日7,8時間は受験勉強、ストレス解消は何と大好きな車のタイヤ交換と洗車!息子は「職場体験」でマツダの営業所を希望したくらい車大好き。でも進路は揺れていて、とりあえず普通科高校に、というところです。1教科50点、250満点で、あと20点は上乗せしなければならないこの熾烈な戦い、ど根性スポーツと同じのりでふんばれとはっぱかけています。第三の願いはやはり家族の健康。下の子二人は新型インフルに感染するも、脅威の回復力。この調子で家族元気に過ごせたらと思います。第四の願いは妻の仕事。年末県教委から電話があり、1月から3月まで臨時的任用の話が来ています。1ヶ月の体験は、妻にとってとてもプラスに働いているようで、キラキラ輝いていました。できれば母の介護は姉と私、ヘルパーさんやデイサービスで乗り切り、妻にも生きがいを持ってほしいと思っています。最後の願いは私の仕事。今年8年目になる私は、慣例でいけば異動対象。第一希望は「留任」ですが、第二希望として二校あげています。この二校も本校と負けず劣らず「教育困難校」として市内では有名な学校。そんな学校で自分の力を発揮したい、校長にはそう話しました。今年受験した教頭試験、二次も通過し、「教頭候補者名簿に登載した」との通知をもらいました。まあ、私に管理職は似合いませんが、ある意味県のお墨付きをいただきながら、現場監督である「教務」の仕事に全力を尽くしたいと思っています。年始第一に設定した職員研修が「児童を語る会」と「読書交流会」。「児童を語る会」は各担任が個人名を挙げながらそれぞれの課題と手立てを交流し、指導のあり方や時間割編制、加配などに役立てる研修です。その資料も各担任が着々と準備しているところ、どの子もその力が発揮しきれる環境を整えることが公立学校の責務だと、私の学校の職員は口をそろえて言えます。「読書交流会」は校長の提案。教養を深めるという趣旨で、教職関係以外の読書をし、報告しあう予定です。私はまだ選定していませんが・・・たくさんのお願いで、しかもアップしてしまったら、神様は聞いてくれないかも・・・。でもまあ、家族一緒に楽しい一年にしていきたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いいいたします。
2010.01.01
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