鹿の国から'24・・・・・・・・FP汀

鹿の国から'24・・・・・・・・FP汀

★スローライフFPの田舎散歩のページ

鹿嶋市 は、今ではアントラーズのホームタウンとして知られるようになりました。
でも、日韓ワールドカップの会場の1つとなったサッカースタジアムは畑の中にあるし、市の人口も6万人ちょっとで開催地の中では韓国を含めてもダントツの田舎です。
 小さい頃、夏休みに鹿島の海に遊びに来きていましたが、その頃は鹿島港や電車、高速バスなどもなく、東京からは利根川と北浦の先にあり陸の孤島と言われていました。海と北浦に挟まれた平らな台地には今でもそのままの自然が残っているところがあります。

 また鹿島神宮は、皇紀元年(紀元前660)の創建と伝えられ、東国三社の一つです。祭神は千葉県の香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたと言われる武甕槌神(たてみかづちのかみ)で、武の神と言われています。延喜式神名帳での神宮の称は、伊勢、香取と鹿島の3ヶ所だけであり、奈良・春日大社は鹿島神の分霊を祀り、創祀したことでも知られています。
藤原氏の祖中臣鎌足が鹿島の地で生まれたとの説もあり、室町後期には、剣聖・塚原卜伝(ぼくでん)や松本備前守が世に出ています。

そんな鹿嶋や故郷 水戸 大洗 に今でも残るのどかな田舎の風景をご紹介していきます。(市の名前は鹿嶋市、その他は昔から鹿島という名前です。)

常陸国風土記が編纂された時代から、常陸国は、「土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで常世の国(極楽)のようだ」と評されていたそうです。
茨城は昔の人々にとっても暮らしやすい土地でした。


オーライ!ニッポン会議 に参加して、当FP相談室も こちら にリンクしていただいてます。



・・広い太平洋の向いはアメリカ

元旦の海2
東側はずっと砂浜が続く海岸です。

新漁船2
浜に近づいて回転し、再び鹿島港に向かう新船。
浜では餅まきが行われました。


もっと海



かしま野

畑とサッカー場1
畑の先に鹿島サッカースタジアムが見えます。

畑と展望台1
はまなす公園の展望台が見える「はまなす通り」は、両側に畑が続く、気持ち良い道です。


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里山 ・・・台地の西側には、里山の風景が見られます。

西側の斜面は雑木林に囲まれています。その谷間に里山が見られます。
冬枯れの里山

玉木様の 里山環境生物学研究所 のホームページに詳しく出ています。


もっと里山



・・・霞ヶ浦(西浦ともいい琵琶湖の次に広い)と北浦(日本で7番目に広い)はつながってます。

北浦の白鳥
西側は、南北に長い北浦です。写真は湖畔にある白鳥の郷です。

北浦2
北浦大橋より南の方には、なぜか湖の真ん中に家が・・・。


もっと北浦



・・・広い利根川の河口近く



鹿島港 ・・・世界最大級の堀込式人工港

鹿島港1
鹿島港の中央航路の入口にある漁船が集まっている一角。そばに鹿島港魚釣園があって釣りもできます。
鹿島港の沖では、自然のイルカをウオッチングできる確率が高いです。

鹿島港2
鹿島港公園から住友金属鹿島製鉄所を望む。


もっと鹿島港



潮来 ・・・水郷の郷。潮来から千葉の佐原にかけては地平線まで広大な田んぼが広がってます。米どころ。
潮来 船着場
潮来十二橋巡りの船着場です。

昔は田の他には「えんま」と言われる用水路とあぜ道しか見えなかったそうです。
昔の潮来の風景 は、こんな感じ。
「船頭小唄」「潮来花嫁さん」「潮来笠」「娘船頭」などの歌謡曲や、 潮来ゆかりの映画 にも、水郷の風情が残されています。今村昌平監督の「うなぎ」の舞台になった水路もあります。


もっと潮来



というように太古の昔から、この一帯は水に囲まれているところです。



鹿島神宮 ・・・紀元年 (紀元前660年)の創建と伝えられる東国三社の1つ。

鹿島神宮鳥居
鹿島神宮の「二の鳥居」です。「一の鳥居」は、北浦湖畔の大船津に立っています。

鹿島神宮楼門1
日本三大楼門の1つ。水戸初代藩主徳川頼房公(水戸黄門のお父さん)が奉納したもの。


もっと鹿島神宮



そして、 鹿島アントラーズ ・・・町と一体になった常勝チームの復活を待ってます。

アントラーズ試合中1
鹿島サッカースタジアムでの清水エスパルスとの試合。フリーキックの瞬間。

サポーター1
アントラーズサポーターの応援は熱い。メインスタンド側には、近くの農家のおじいさん、おばあさんもたくさん応援にきています。


もっとアントラーズ




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