スキルス胃癌 サポート

スキルス胃癌 サポート

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ひろりん-S

ひろりん-S

カレンダー

コメント新着

にこりん@ Re:ぐいぐい行くわ、腹膜偽粘液腫 10(07/02) 二度目のコメントです。 ひろりんさんも…
にこりん@ Re:ぐいぐい行くわ、腹膜偽粘液腫 10(07/02) ずいぶん前の記事に突然コメントしますが…
ひろりん-S @ Re[1]:何故あの時。。。(09/16) 名古屋の娘さんへ 大変ご無沙汰しており…
ひろりん-S @ Re[1]:何故あの時。。。(09/16) にこりんさんへ すっかりお返事が遅くな…
名古屋の娘@ Re:何故あの時。。。(09/16) ひろりんさんこんばんは 6年ほど前までお…

お気に入りブログ

4毒抜き その後 winkiさん

MY HOME TOWN 多似夢さん
バレーボールチーム… まりの会HP管理人さん
純ちゃん’s House 純ちゃん1022さん
スキルス胃癌と闘っ… あり媛さん
2012年04月02日
XML
カテゴリ: 患者さんとの交流
ここに書く患者さんの話は、米村先生の患者さんが7~8割を占めますが、2~3割は米村先生の患者さんではないです。
何せ、私みたいな奇特な存在は珍しいらしく、沢山の方からご相談を頂いてまして、米村先生とは全く無縁の患者さんとも、結構多くお付き合いがあります。

今日、お話するのは、米村先生の患者さんではなく、某大学病院で腹腔内化学療法を受けていたスキルス胃癌・腹膜播種の患者さん(50代・女性)です。

娘さんから最初に相談メールが届いたのは、2010年4月でした。
スキルス胃癌で、幽門部を中心に癌が広がっていて、病気発覚当初から食事が困難だったようです。
それで、自宅近くの×大学病院で幽門部付近のみ切除、腹膜に沢山の癌を確認したまま閉腹。
この直後にメールが届いたのでした。

胃癌・腹膜播種に有効性が認めらるようになった手法・腹腔内化学療法の話をしました。


すると、米村先生の元での治療は、自宅からあまりにも遠すぎますので、○大学病院に相談に行ってみます・・・との返答でした。
その後、○大学病院で腹腔内化学療法を受けることになったという報告が届き、それ以降、ご無沙汰状態になりました。

この時に、○大学病院では恐らく、抗癌剤治療のみで今後、手術という選択肢は出ないと思いますので、治療の効果が出て、手術という選択肢を考えてみたくなったら、またご相談ください・・・こんな返事をしたと思います。

あれからもうじき2年が見えそうになった、今年の2月に久しぶりに娘さんからメールが。
○大学病院での腹腔内化学療法が実に良く効いてくれたこと。
普通の生活がずっと送れていたことから、私のブログもあまり見る日がなかったこと。

そして・・・
それが、ここ数ヶ月、一気に病気が進んでしまったこと。
現在は、腸閉塞で入院となっていること。
今更ですが、米村先生のご意見を聞く意味はあるのでしょうか・・・と書かれてました。

あまりにも元気でいてくれたから、治療が効いてくれたから、現実から目をそらしてしまっていました・・・と後悔と受け取れる文面でした。


セカンドオピニオンであれば、何時でも承りますが・・・と前置きしてから、入院治療を受け負えないこと、今のお母様には、残念ながらやれる治療内容は変わらないと思うこと、現状、見知らぬ土地の病院に移ることは、お母様にとってマイナス面が大きいように思うこと・・・
そんなお返事をしました。

娘さんが母親と相談した結果、やはり今の病院でこのまま・・という結論に至りました。
これ以降、みるみるうちに病状が進んでしまい、今も時折、メールが届きますが、届く都度大きく変わっています。

彼女が今、一番後悔しているのは、最後に受けた抗癌剤治療です。

娘さんは、自分の目からみて、今、抗癌剤治療を受けることのリスクの大きさを感じたと言います。
でも、本人が、母親が受けたいというのだからと、賛成したと言います。

これを機に一気に病状が悪化。。。
あの時、もう治療はいいんじゃないって言えばよかった、反対すれば良かった、あの治療を受けなければ、まだ母親と会話くらいは出来たのに。。。と。

私のある日のブログを読んで、自分も後悔したと。
その時のブログの内容はこのケースとは真逆で、患者である母親が嫌がったのを、娘さんが無理に説得して治療を受けさせたが為に、寿命を縮めてしまった話でした。
それを悔やんで悔やんで落ち込む娘さんの話でしたが、この方の場合は、逆で、自分が止めさえすれば・・・と悔やんで悔やんで落ち込んでいます。

結局、止めたら止めたで、本人の意思を通してあげれば良かったと思うはずで、どちらを選択しても、落ち込む気持ちは同じ・・・
ご本人の意思を尊重したのだから、貴女の選択は間違ってはいないと伝えました。

そして今。。。
彼女はずっと母親に付き添い、時間を過ごしています。
願うことはただ一つ、緩和ケアの病院に移って穏やかな時間を母親と過ごすこと。
会話もままならない状態だけれど、彼女はそう願ってるんです。
時々、今も届くメールにはいつも最後に 

ひろりんさん、聞いてくれてありがとうございます

と私をも気遣ってくれる彼女です。
病状が進行してしまうと、治療の続行は患者さんもしくは、ご家族が「止める」か「続ける」かを選択せねばならない岐路がやってきます。
もう、やらない、やることがないと言い放つ医師もいますが、この患者さんの主治医はそうではなく、最後の最後までご本人の気持ちを優先したのです。

どちらが正義で、どちらが残酷なのか。。。
これは、時が過ぎてから答えが出てきます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年04月02日 21時28分27秒
コメント(1) | コメントを書く
[患者さんとの交流] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


切ないですね。  
新潟C さん

答えを求めているようなもので、
病気の当人の事を、精一杯考えてこれがいいと
確信ある答えは、最後まで見つかりません。

私は、母がスキルス胃癌の患者でしたが、
大学病院の先生からは、癌が転移して、
二度目の入院の際に抗がん剤はしないと言われました。
余命三ヶ月が、四ヶ月例え、命が伸びた所で、
患者さんの体は弱るし、そんなの意味ない事だ。
「それは、日本人的発想で、アメリカ人は選択しない」
と言う事でした。

母には、大学病院の主治医との話は、
伝えられずに、亡くなりました。
転院先の病院で、東洋医学の先生も首を傾げる、
先生との出会いとなり、
脳天気にも、母は「体力が回復したら、
治療を受けに前の先生に会いに行くわ」
と東洋医学の先生に、言っていたそうです。

主治医との出会いも、その人の選択の余地なしに、
決められてしまう、逆らえないもの。
それも、運命だったのかなぁ、って思ったり、
いろんな考えがやはり、今も時々交差しています。

私が、変わってあげたかった。
それは、変わりません。

死の考え方は、人それぞれ。
‘希望’なのか、‘永眠’‘一休み’なのか。

家族は、本人の事を精一杯考えて、
本人の思うようにして、見守るだけ。
切ないですけど・・・ (2012年04月03日 16時39分00秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: