ここ読め本本!!―レビュー&書評―

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いい文章の条件


こんにちは、もっちーです。

情報が氾濫し形式知が価値を失った21世紀において、
今後僕たちに求められる文章能力というのは
「情報を料理する力」「知識を加工する力」です。

(※ 純文学や小説を書くといった場合の文章力は除きます)

それを踏まえたうえで今日は「いい文章って何だろう?」
というテーマについて書きたいと思います。

大きく分けて人が「面白い」と感じる文章には、下記の3要素があります。

(1) 情報・知識の新鮮さ
(2) 独自の発想・モノの見方
(3) 表現手法(比喩・レトリック)


■まず(1)情報・知識の新鮮さについて。

これはそもそもの「ネタ」が面白いかどうか?
料理でいうならば扱う「素材」が新鮮かどうかの問題です。
いかに優れた料理家といえども、腐った卵で大衆の
舌を唸らせるようなオムレツを作ることはできません。

また自分の取り扱える、もしくは取り扱うべき
題材かどうかをここで選ぶというのも大切なこと。

寿司職人がいかにパティシエの真似をして甘美な
ケーキを作ろうとしても限界があるということですね。

自分が詳しい分野の情報でなければ、いかに新鮮で面白くとも
それは単に「情報を伝える」という作業で終わってしまう…
次の(2)で自分なりの加工を施すことが不可能になります。


■(2)独自の発想・モノの見方

まさに情報の「加工」です。優れた文章は例外なく
この「発想」や「視点」の部分が卓越しています。
これは(1)~(3)の中で一番重要な部分に当たります。

仕入れた情報や知識を火で炒めるのか、油で揚げるのか、
イタリアンにするのか和風にするのか、それはひとえに
文章の書き手次第ですが、大事なのは自分の「型」を持っておくこと。

どんな優れた書き手であっても、毎回新しい発想やモノの見方が
できるというワケではありません。そこでは中立的な「情報」に対して、
自分流に味付けできるような「型」を用意しておく事が大切になります。

多作家として有名な齋藤孝さんの例で言えばそれは
「身体論」や「上達論」にあたるでしょう。

「宮沢賢治」という題材に「身体論」的なモノの見方・発想を
取り入れることで『宮沢賢治という身体』という著作が、
「ゲーテとの対話」と「上達論」を組み合わせることで
『座右のゲーテ』という著作が完成したというわけです。


■(3)表現手法(比喩・レトリック)

最後のポイントとして「表現手法」がありますが、
これは料理でいうなら最後に行う「盛り付け」にあたります。

どれだけ新鮮な情報を、どれだけ優れた視点・発想で加工しても
最終的な「見せ方」が悪ければ誰の目にも止まりません。

( )に書いた「比喩」や「レトリック」のほかにも
具体例の盛り込みや名言の引用、目新しい言葉の導入など、
文章を際立たせる表現手法というのはいくらでも存在します。

これはとにかく色んな人の文章を読み「この人はうまい!」
「この人の文章はなぜか読んでしまう!」といった、
自分の琴線に触れる文章スタイルを盗むしかありません。

始めは真似することに違和感を覚えるかもしれませんが、
そのうちに真似したスタイル同士が自分の中で結びつき、
シックリとくる「盛り付け」が可能になるはずです。


■おわりに

以上が「いい文章」と呼ばれるものに共通する3つの要素
になりますが、結局「理解できる」のと「書ける」の間には
大きなハードルが存在します。

この3つが大切だ!といくら頭で理解したところで
実際に文章の中に盛り込めるようになるまでは
おそらく長い時間と根気が必要とされるでしょう。

ただ少なくとも、「いい文章ってなに?」「人は文章を読んで
どんな時に面白いって感じるの?」と把握していない人に
比べれば、遥かに課題は見つけやすいのではないでしょうか。

1歩1歩着実に、情報料理人として、知識加工者として、
21世紀の文章能力を身に付けていきたいものです。




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