こんな国に生まれて…日本狼…純粋バカ一代…山崎友二

こんな国に生まれて…日本狼…純粋バカ一代…山崎友二

「ホームレス」


江戸川の河川敷に、ブルーシートで作ったテントらしきものがある。対岸からは遠いがよく見える。車で河川敷に入ってもらったが、葦が群生していて近づくことができなかった。
河川の内側に、テントを作って住んでいるホームレスなら、当然河川法違反だし、公共の土地に住むことは許されないだろう。自分の管轄にはまだ一人だけだが、それを許してしまうと、既成事実になって増えてしまう。
一度、近くまで歩いていって話をしてこなければならないなと考えていた。運転手さんにそれを言ったら
「やめといたほうがいいよ。ああいう人は、後先を考えてないから、危ないよ」と言う。
「後先を考えてないなら、こっちもいっしょです」といったら黙った。
天気のいい日に行ってみようと思った。曇ってると、人間の気持ちも曇って、よくないような気がしていた。

【2】
そのホームレスには、一度会って話を聞かなければならないなと考えていた。もし放置しておいたら、そこに住んでいることを既成事実として認めてしまうことになる。
ある日、運転手さんに言った。
「あのホームレスに会ってきます。近くまで行ってもらえますか」
「えー、どうしても行くの。気を付けてね」
「30分で戻ります。もし30分経っても戻らなかったら、出張所に連絡してください。緊急事態だと…」
「わかった。30分以内に戻ってきてよ」
「必ず戻ってきます」
葦が群生する中に、獣道のような、人が通れる道がついている。そこを歩きながらテントに近づいていった。犬がいるらしく激しく吠えている。構わずというか、平気なふりをして、テントに近づいた。犬の吠えるのを聞いて、人が出てきた。

【3】
そのホームレスは、まだ若い人だった。ちょっと見た感じ汚い服装はしているが、目に知的なものを感じたので話せばわかるだろうと思った。
「こんにちは、建設省の巡視員です。お話を聞かせてください」
と言って、2mの距離まで近寄った。人はあまり近づきすぎると、警戒感を持つらしい。しかも、いきなり暴力でも振るわれたら、防ぎようもない。
その男は
「ほっといてくれよ」と怖い顔をして言った。
「ほっとけないんだよ。こっちは仕事で来てるんだ。あんたも仕事はしたことあるだろう?」
「あるよ、昔」
「仕事したことがあるんならわかるだろう。やらなくちゃならないんだよ」
少し語気を強めて言ってみた。

【4】
「今、おいくつですか」
「28ですけど」
「まだ若いのになんでこんなところにひとりで住んでるんですか?」
「いろいろあって…」
「いろいろって、一般社会でいろんなことがあったってこと?」
「そう…その一般社会は向いてないなと思って…」
「それは会社でなにかあったってこと?」
「会社だけじゃなくて、なんていうか人付き合いもうまくいかなくて…」
「それで河川敷で住もうと思ったの?」
「最初は住むところを変えたりしてたんだけど…お金もなくなって…」
「親兄弟に頼るということはしなかったんですか?」
「親兄弟には頼れません。きっと嫌われてるっていうか、いやがられてるみたいで…」

【5】
「もう一度、普通の生活をしてみたいとは思わないの?」
「もう無理なんじゃないかな」
「やりなおせると思うよ。まだ若いんだから」
「でも…つらいですね」
「誰もつらいことはあるよ」
「そうは見えませんけど。みんな楽しそうで…」
「みんなつらいのをがまんして、楽しそうにしてるんだよ」
「そんなふうには見えませんけど。いつも楽しそうで…」
「一般社会がつらいから、こんなところに逃げ込んでるの?」
「逃げてるって言われれば、逃げてるのかもしれません」
「甘ったれるな。みんなつらい思いをがまんして生きてるんだぞ。自分だけ、こんなところに逃げてるわけにはいかないんだよ」

【6】
「逃げてると言われれば、逃げてるのかもしれませんね」
「ところが、逃げ込んだ場所は危険な所だよ。夜、上流で大雨が降ったら、静かに水面は上昇するからね。流されておぼれ死ぬかもしれない」
「ほっといてください」
「人が死ぬのをほっとけって言うのか。一般社会じゃ通用しないよ。安全のためにもここから出て行くんだな」
「別に、死んでもいいし…」
「ほう、死んでもいいって覚悟ができてるのか。じゃあ俺が殺してやろうか。誰も見てないし…」
体の距離を縮めた。1m50くらいだろうか。
「ええ!」
「洪水で死なれたんじゃ、いろんな人が迷惑するんだよ。俺が殺してやる。いますぐにな」
「ほんとにやるのか?」

【7】
一歩前へ踏み出すと、相手は一歩退いた。
相手の顔が曇って、涙と鼻水を出していた。俺の殺意がほんとうだと感じ取ったんだろうな。
「どうしたんだい?いつ死んでもいいんだろう」
「勘弁してください」
「はあ?どういうこと?死にたくないの?」
「死にたくないです」
「じゃあこんな場所で暮らすのはおかしいだろう」
「すみませんでした」
「もう一回やり直してみたらどうだ。一般社会で」
「考えてみます。いますぐにってわけにはいかないけど…」
「今日俺と話したことは、内緒にしとくから、本気で考えてみてくれるかな」
「わかりました」

【8】
「じゃあ、帰るよ」
「はい」
帰り道、犬たちが激しく吠えていた。俺を敵と認識してるのだろう。
「よくなついてるみたいだな」と言うと
「ただ、飼ってるだけです」
「あ、そう」
来た道を通って、車に戻った。運転手さんが俺を見つけると、シートの上で飛び跳ねながら喜んでいた。経過時間は28分だった。
「もう少しで、出張所に連絡するところだった。よかった。よかった」
無事に戻っただけで、こんなに喜んでもらえるとは思わなかった。
運転手さんは「どうだった?」とも聞かずに
「とにかく無事でよかった」と満面の笑みだ。
「ええ、だから言ったでしょ。必ず戻るって」
出張所に無線を入れた。
「ホームレスに会いました。詳細はのちほど」

【9】
出張所に帰り、ホームレスに会った件を報告した。係長に
「で、どうでした?」と聞かれて
「28歳のおとなしい人でした。犬が3匹いました」とだけ報告した。
翌日、所長と2人の係長が、そのホームレスに立ち退き勧告に行った。
帰ってきて、所長が
「巡視員の人と話したからっていうだけで、内容を言わないんだよ。なにを話したんだ?」
「何を話したかは内緒の約束してるんです。でも、立ち退くとは言ってなかったですか?」
「うん、立ち退くけど時間がほしいって言ってた」
「少し待ってみましょうよ。本人の意志で立ち退いてくれるように…」
その後、そのホームレスがどうしたかは不明。
立ち直って、一般社会で生きていることを願う。(終)


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