こんな国に生まれて…日本狼…純粋バカ一代…山崎友二

こんな国に生まれて…日本狼…純粋バカ一代…山崎友二

「お局様」


どの会社にも「お局様」はいたりする。古株の女子事務員だ。その会社のお局様は、あと2年で定年退職と言っていたから、58歳だろうか。
総務課長という男性社員もいるが、その上をいく影響力を発揮していたようだ。噂では、部長級の給料をもらっているとか。
人事などに口を出さなければ、こちらも持ち上げておけば、他の女子事務員の重しにもなるし、重宝な存在といえるのだが。
休憩時間などには、よく話をした、あちらも、中途入社の俺に興味があるようだし、こちらも、「お局様」のご機嫌をとるということではないが、探りを入れるために質問したりしていた。
「趣味はなんですか?女性の趣味っていうのが、さっぱりわからなくて」
「わからないの?私は、海外旅行かな」
『わからない』という言葉に反応してるな。

【2】
「あたしはね、海外旅行かな」
「そうなんですか。どこら辺行きました?」
「香港ばっかりだよ。もう何回も行ってる」
「香港?いいじゃないですか。おいしいものとか食べましたか?」
「あたし、中華料理きらいだもん」
「名所とかは行きました?」
「行かない。買い物だけ」
「買い物だけ?なにを買ってくるんですか?」
「バッグとかだよ。ブランドもの。ヤマザキさんはブランド好き?」
「ボクは買わないですよ。似合わないと思ってるし」
「なんで買わないの。いいのに」
「ってことは、香港にブランドものを買いに行ってるってことですか?」
「そうよ。ほかに用がないじゃない」
「用がない?海外旅行で?」

【3】
お局様は、買い物依存症だろうか。海外に行く目的が買い物だけなんて、バブル期には多かっただろが、いまでも治らないのか。もう少し話を聞いてみよう。
「バッグとか買ってきて、使わないものもありますか?」
「あるわよ。いっぱい。使わないどころか、箱を開けてないものまであるもの」
「使わないのに買ってくるって、もったいなくないですか?」
「いいのよ。ほしいものを買うことが楽しみなんだから」
「そうですか。家族にお土産なんか買ってきますか?」
「お土産は買わない。あたし離婚して、今独身だから」
「そうだったんですか。失礼しました。子供は?」
「子供2人いるわよ。」

【4】
「子供さんは、どうしてるんですか?」
「子供はあっち…」
「ああ、おとうさんが引き取ったんですか?たまには、子供に会ってるんですか?」
お局様は、メガネの奥で鬼のような怖い目をして
「どうして、子供に会わなくちゃならないの」
「…」
この時点で、このお局様は性格異常だと思った。買い物依存症で、子育て放棄で、子供に会いたくないという性格のひずみ方はどこから来たんだろうと考えていた。子供のころの育ち方だろうか。
どちらにしても、社内だけでの人間関係なんで、俺の迷惑にならなけれは、ほっといていいんだけど、向こうから攻撃してくることがあったら、つぶしてやろうと考えていた。
自分に近い関係の人間だったら、必ずつぶしてやると考えるような女性だった。

【5】
俺とお局様が話してる間、他の社員はしずかにしていて、二人の会話を聞いているようだった。ときどき「なに!」などと声が入るが、みんな黙っていた。お局様が何を言うのかと聞いていたのもあったし、中途入社の俺がどういう人間かを探る意味もあったかもしれない。
買い物依存症のお局様は、なんでこんなふうになったのかは、わからなかった。ただ、「買い物をやめたら」と言っても、治らないだろうなとは思っていた。依存症は、もっと性格に関わることだから、精神科医でも、治すのはむずかしいだろう。
子育てを放棄して、自分の子供に会いたがらないという異常さも、買い物依存症と元は同じと感じられた。
治してやれれば、本人のためにもいいことだけど、方法がはっきりとわからない。心理専門家ではないのだから、仕方がないが…

【6】
「ところで、出身はどちらですか?」
「仙台よ」
「横浜」といっしょで、その近くでもそう答えてるかもな。
「仙台け?おら行ったことねげど、いいとこだべな。広瀬川なんかあったりしてな」
と、東北弁で言った。
「やめなさい。東北弁なんか!」
と、怒ってる。
俺の東北弁がうますぎたかな。お国なまりなんだから、笑ってもいいんだけどな。きっと、地方出身者のコンプレックスがあるのかな。
「たまには、仙台に帰るんですか?」
「盆と正月くらいわね。テレビでやってるでしょ」
「ああ、帰省ラッシュのニュースですか?」
「あれ見て、帰らなくっちゃならないのかと思って、帰る」
人と同じことをするということか。

【7】
俺のお局様に対する感想は「憎たらしい」だった。ただ、それを態度に表すことはしなかった。感情をすぐ表に出す女子供じゃあるまいしと思っていた。
俺がどう思うかより、会社にとって、他の社員たちには、お局様の存在はどうなのかということのほうが気になった。
定年退職まであと2年ともなれば、ほっとこうかという感覚も強かったように思う。ただ、それで、若い社員が理不尽な思いをするのは、許しがたいことだった。
極端に言えば、職場環境を変えるためには、お局様に辞めてもらうか、その性格を直してもらうかということだった。
俺には、辞めさせる権限もないし、力もなかったから、性格を変えてやる方法をとることになるのだが。人の性格を変えられる自信はなかった。当然だ。そんなこと誰にでもできるわけがない。

【8】
何日かの、休憩時間の俺とお局様の会話が続いたあとで、俺はお局様に対して
「殺してやろうか」と言っている。
俺の「憎たらしい」という感情だけでなく、この人間を、会社から社会から排除しなければならないような使命感も感じていた。
周りの社員たちは、黙って成り行きを見守っていた。邪魔するものもいなかった。
ただ、そこへ行くまでの経緯を覚えていない。肝心なところなのだが、なぜそんな過激発言になったのか覚えていない。
ただ、お局様の反応はこうだった。
「あなたに助けてほしいの」
「あんた、馬鹿じゃないか。殺してやると言ってる人間に『助けてほしい』と言っても助からないぞ」
「そうじゃないの。あなただったら、あたしを助けられそうだってこと」
今回は、警察も呼ばないのか。

【9】
殺して助けるということか。いやな役目がまわってきたなと思った。
お局様は、こちらを向いて立って、下を向いていた。俺にほんとに殺されると思ったのだろう。恐怖のあまり、小便を漏らしてしまった。
「シャー」という音をたてて、小便が流れたようだ。周りが「なんだよ」などとざわついた。
俺は、平然とお局様を見ていた。ここで俺が動揺したら、おれの行為が間違ってたんだよ、ごめんねということになってしまう。
若い女子たちに
「若い子たち、後始末してやってくれるか?」
と言うと、「はい」と何人かが立ち上がって、濡れた床なども拭いていた。お局様は「いいから、だいじょうぶよ」と言っていた。
俺もその日は、それ以上責めることはしたくなかった。

【10】
後日、休憩時間は俺とお局様のお話の時間になっていった。周りも「治してやれ」とまるで俺が専門家のような扱いだった。
さて、お局様のような人は、自分で自分が嫌いなんじゃないかと思った。だから、好きになるためにか、自分に嫌気がさしてか、依存症になるんだろうと見ていた。
だが、50歳を過ぎた人に「自分で自分を好きになりなさい」と言ったところで、無理だろう。だから「殺される」と感じるような荒療治が必要だったように感じた。
問題は、その後だ。どうケアしていくかで、あらぬ方向へ飛んでしまうかもしれない。本当は心理専門家でないと無理だろうな。
でも、俺がご指名いただいたので、恐る恐るではあるけれど、治るという確信もないまま、やってみることにした。
まず、質問と答えだろうとは感じていた。カウンセリング術など知らなかったが…

【11】
依存症などの性格異常の人は、こどもの時の親子関係に原因がある場合が多い。それくらいのことは、本を読んで知っていた。そういう人にもあったことがあるし。
アルコール依存症の父親を持つと、母親が父親の世話にかかりっきりになるので(共依存)、子供は、自分が母親からかまってもらえず、母親の愛情を感じずに育つ。
それが、原因で、大人になっても、性格異常のままの人もいる。治し方は、親子関係を意識しなくなるようにもっていく方法をとっていた、ボクは。
それが最善の方法かどうかはわからないが、それでよくなればいいと思っていた。
お局様の子供の頃の話を聞いてみようか。たぶん、聞かれることには抵抗はないはずだ。逆に、自分が注目されているようで、気分がよくなるはずだ。
「子供の頃のこと、覚えていますか?」

【12】
「子供の頃?全然覚えてない。ヤマザキさんは覚えてるの?」
「ボクは覚えてます。それはいいんですよ。子供時代のことを覚えてないってことは、親のことは覚えてますね」
「どうしてわかるの?」
「なんとなく…目をつぶって思い出してもらえますか?親のこと」
「いいわよ」
「親にぶたれたことありますか?」
「あるわよ」
昔のことだから、親がたたくことはあったかもしれないけど、女の子は傷物にしてはいけないと暴力はなかったはずだが。
虐待のあった家庭なのかなとも思った。
「ぶたれた時のこと、よく覚えていますか?」
「よく覚えてるわよ」
「そのときのこと、映像にして思い出すことできますか?」

【13】
「うん、思い出した」
「おとうさん、どんな服装してます?」
「着物着てるよ」
「着物の柄わかりますか?」
「うん、黒と茶の縦じま」
昔の「どてら」と呼ばれた着物か。よく思い出したな。
「そのとき、おかあさんはどうしてました」
「おかあさんは、おとうさんの前で正座してる」
そういった後で、お局様はしくしくと泣き出した。
「どうしました?」
「ぶたれたのは、わたしじゃなかったんだ。おかあさんだったんだ」
「そのとき、おとうさんとおかあさんはどんなふうにしてました?」
「おかあさんは…ぶたれて、よろけて、着物のすそを直して座りなおしてる」

【14】
ずいぶん気丈なおかあさんだったんだな。昔のことだから、夫の暴力に妻が逆らうということもできなかったのだろう。
だが、おかあさんがおとうさんを強く意識して対応していたら、ほかにも家事が忙しいことだし、子供にかまってられなかったろうな。「手がかからないしっかりした子」でいてくれる子が、親のためにはよかったということもあるだろう。だけど、子供は、ほんとうはおかあさんに甘えたかったかもしれない。それができずに、心残りどころか、心の傷に近いものになっておとなになったかもしれない。
さて、お局さまだ。子供のころの親子関係が原因とみて間違いないだろう。少なくとも、その原因に対処しておけば、一部分は治るとみた。
子供のころのトラウマやカタルシスというものを解消してあげればいいはずだ。問題は、その方法だ。

【15】
「両親とも、ご存命ですか?」
「ううん。父親は亡くなってる」
「お墓参りしてみませんか?」
「帰った時、お墓参りはしてるよ」
「それはいいことですけど、特別にお墓参りのために帰省してみませんか?」
「うーん。いいけど。特別なの?」
「そう特別なお墓参り。塩を1kg買っていって、墓石に全部投げつけましょうか」
「いいけど…怒らないかな、おとうさん」
「だいじょうぶ。父親って娘のためだと思ったらがまんできるもんだから」
「じゃあ…やってみる」
「その塩を投げた手は洗わずに、実家でおかあさんのほっぺを触ってみて下さい」
「それで、よくなる?」
「っていうか、なにかが変わるはずだから」
「なにかが変わる?なにが?」
「わかんないけど、必ず変わります」

【16】
その後、本当にお局様は実家に帰って、塩ぶつけ墓参りをしたみたいで、ボクが言ったことだからということは別にしても「信じる」のはいいことだと思った。
「墓石に塩ぶつけてるとき、誰かに見られなかったでしょうね」
「私も見られてないか、どきどきしながらやったわよ。あの塩は掃除しなくていいの?」
「塩は清めるものだからいいんです。今度お墓参りしたときに掃除しましょうか。それで、どうですか?その後」
「家に帰って、おかあさんのほっぺ触ったら、なぜだか涙が出てきたの」
「うん。そのときどんな感覚でした」
「おかあさんの顔はしわだらけで、涙が出たのはなんでだかわからなかった。でもそのあと、すっきりした感覚はあったわよ」
「それはよかった。少し治ったかもしれない」
「治ったでしょう?私もそう感じるもん」

【17】
その後、俺は神戸に長期出張になったので、お局様からは、現場事務所に電話があった。
「最近、里帰りが楽しくなってきて、帰れるのがうきうきして待つようになったの。それっていいことでしょう?」
「すごくいいことですね。なにかを楽しみに待つって最高じゃないですか。ところで、今でも買い物はしてます?香港とかで。」
「買い物はやめたのよ。お金の無駄遣いだし、買い物しても、以前ほどうれしくないと思うようになったし」
「それは、いい調子ですね」
「そうでしょう。だいぶよくなったでしょう。これもヤマザキさんのおかげよ」
「いえいえ、つらいのもうれしいのも本人の問題なんで、俺はそのきっかけを作っただけですから」
「でも、私にとっては神様みたいなものよ」
「こんなだらしない神様いないですよ」

【18】
しばらく経ったころ、お局様から電話があった。
「子供たちに会ってみようと思うの」
この人は、かなり正常になってきたなと感じた。
「いいことですね。ぜひ会ってあげて下さい」
「でも、不安なの。ずいぶん会ってないから、子供たち怒らないかと思って」
「きっと、誰でも同じ状況だったら不安だと思います。でも、思い切ってぶち当たってしまいましょうよ。子供たちが怒るのも無理はないって、受け止めてあげましょうよ、親なんだから」
「そうね、やってみる。やってみるでいいのよね。でも、だんなには会いたくないな」
「だんなさんには会わなくていいでしょう。やってみるでいいと思いますよ」
「ヤマザキさんの許可も下りたし、私やってみる」

【19】
その後、お局様は子供たちにあっただろうか。躊躇して取りやめになったんではないだろうななどと思っていた。
ある日、お局様さまから電話があった。
「子供たちに会ってきたの」
声がはずんでいる。きっとうまくいったのだろう。
「よかったですね。子供たちも喜んでくれたでしょう」
「喜んでくれたかどうかは…わからないけど。楽しかった」
「楽しかったのなら、きっと喜んでくれたでしょう。よかったですね。思い切って会ってみて」
「最後まで、会うのよそうかなって不安だったけど。子供たちが笑ってたの。楽しそうに。会ってよかったと思ってるの。ヤマザキさんのおかげね」
「いえいえ、ぼくは…子供たちの勝ちですね」

【20】
「子供たち、大きくなってたでしょう。今おいくつですか?」
「中1と小5なんだけど、大きくなってた。びっくりした」
「でしょう。体も成長してたでしょうけど、精神的にも成長してたでしょう」
「そうなの、驚いた。『おかあさん、ひとりでだいじょうぶ?』なんて言うのよ」
泣いてるような震える声だった。
「泣いてるんですか?」
「うん、うれしくて…涙は出てないけど」
「おかあさんも成長したみたいですね」
「あたし?あたしは成長したかな。老化はしたけど…」
「そう言えるのも成長した証拠ですよ。親子ともよかったですね」
「ほんと、思い切って会ってみてよかった。また会う約束してきたんだけど。いいよね」
「もちろん」

【21】
「それにしても、息子さんかっこいい男に成長したね。俺が負けそうだよ」
「そうなのよね。これからが楽しみなの」
将来は、田舎に帰ろうかとも考えていると言っていた。それもいいだろうと答えた。大事なのは、自分が本心で思い、それを行動に移せるかどうかだということだと思った。
「でも、あたしあっちへ帰って、ちゃんとやっていけるかな」
やはり、環境が変わることの不安はあるのだな。もともと性格が弱いということもあるのかもしれない。
「おかあさんと二人きりで不安があるなら、習い事なんかのサークルに入ってみるといいよ」
「そこで、ちゃんとやってけるかしら」
「うん、そのくらい下手にでたほうが、他人との関係はいいんだよ。心配ない。親の面倒を見てる同じ境遇の人もいるだろうし」

【22】
その後、会社の他の人に、お局様はどんな様子に見えたか電話で聞いてみたけど、まろやかな普通の女性に感じたという意見が多かった。
性格の底に、自分でもいやなものがあったのだろうと思う。それがなくならないうちの言動は「悪あがき」でしかなかったので、他人にも迷惑をかける女性になっていたのだと思う。
今回、「殺してやる」という極端な状況になり、やっと自分で、心の底のいやなものを取り去ったのだろう。
だいたい、俺の役目は終わったかなと思ったので、悩み相談のようなものは断ることにした。今度は、俺に依存されても以前と変わらないことなんだから。
その後の消息は聞かないが、普通に幸せに暮らしているであろうと願っている。
(終)


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