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昨年もいろいろなドラマを見たな~としみじみ思う年明けです。見たドラマ13本、韓国ドラマオンリーという厳選しての13本で、特に『王は愛する』、『マイ・ディア・ミスター』は心に残る珠玉のドラマになりました。昨年見たドラマについては、また後日にご紹介するとして、最近見終わったばかりの『輝く星のターミナル』について書こうと思います。このドラマ、邦訳タイトルがダサすぎて損をしているんじゃないかな~と思います。原題は『여우각시별』(キツネ嫁星)これだけでは、意味が分かりませんよね。分かりやすい解説がKstyleさんにあったのでお借りしますね。→ココそこからの抜粋です。アニメーション予告動画特に今回公開したアニメーション予告映像には、“キツネ”が仁川空港第2ターミナルの形を象徴するという説明とともに、星たちが降って離れる場所でとめどなく嫁を待つ“花婿キツネ”の純愛が描かれ、作品に対する好奇心を刺激する。出会いから別れ、嬉しさと悲しさが共存する特別な空間“空港”で「キツネ嫁星」に関連したどんな童話のようなロマンスが繰り広げられるのか、期待を集めている。ドラマの舞台が仁川空港第2ターミナルで、そこがキツネの形にいていると言うところからのネーミングのようですね。~ストーリー~憧れの仁川空港に就職して1年のヨルム(チョエ・スビン)は、仕事で失敗ばかりのトラブルメーカーだった。旅客サービスチームに異動した当日も遅刻する。そんな彼女の指導係になったのは、新入社員のスヨン(イ・ジェフン)だった。不愛想なスヨンに反発するヨルム。最悪の相性のように見えた二人だったが、ヨルムは、1年前彼女を自動車事故から救ってくれた人がスヨンだと気付く。多くの人々がやってくる仁川空港ではさまざまな事件が起こる。ヨルムとスヨンは仕事をこなす中で距離を縮めていくが、スヨンには秘密があった。~感想~(ネタバレあり)けっこうはまってグイグイ惹きつけられて見ていたんですが、最終回で冷水を浴びせられたような気がしました。障がい者の恋愛という、なかなか重いテーマを取り上げていて、韓国ドラマは攻めているな~と思っていたんです。障がい者といっても、スヨンはウェアラブルのおかげで見た目は健常者と変わりなく生活しています。機能に至っては、むしろ健常者以上の能力があり、そのおかげでヨルムを何度も助けることができます。また空港でのトラブルも解決していきます。なので見ている私も、スヨンが障がい者だということを忘れて、ドラマに没頭していました。スヨンの苦悩を分かっているつもりで、実は分かっていなかったのだと12話を見て感じました。12話で車いすでヨルムとのデートに向かっていたスヨン。その姿に衝撃を受けました。スヨンは右腕と右足が不自由な障がい者なのだと、まざまざと見せつけられました。ウェアラブルのおかげで不自由ない生活を送っていたけれど、それがなければ大変な生活をしなければならないのです。スヨンの苦悩を理解していなかった自分の甘い考えにがく然としました。ウェアラブルのトラブルによって、体調が悪くなったスヨンは、ヨルムとの未来よりも、彼女の人生で自分は通過点になる決心をします。ヨルムはそんなスヨンの気持ちに戸惑います。スヨンに生きていて欲しいと思いつつ、他人の人生にそんな介入をすることができるのかと悩むのです。そうですよね。自分は生きていて欲しいと思うけれど、生きていくことが相手にとってとてもつらいことだったら、それでも生きていて欲しいと言えるでしょうか。それは相手のためではなく、自分のエゴではないかと思ってしまいますよね。一方スヨンは、ヨルムが空港で、職員をストーカーする男に斬りつけられた時、すぐに現場に向かおうとしますが、車いすのために思うように行くことができません。おまけに持っていたスマートフォンを階段下に落としてしまいます。手を伸ばしてもスマートフォンに届かず、バランスを崩して車いすから落ちてしまいます。そんなこともあり、このまま自分と一緒にいるとヨルムは幸せになれないと思うスヨン。つらい、つらすぎる~~~~~お互いのことを想うが故の苦悩。このふたりはどうなるのだろうとハラハラしっぱなしでした。最終回、ドラマはどのように収拾するのだろうって。ウェアラブルのトラブルで体調を崩したのなら、それはもう使えないとして、スヨンは車いすでの生活を選択するか、このままウェアラブルを使い続け、最悪の場合、死を迎えるか。ヨルムにとっての自分を通過点だとして、彼女との美しい思い出のためなら死をも辞さない覚悟のスヨン。でもスヨンに生きていて欲しいヨルム。ふたりが選んだ道は……。治療のためにアメリカに旅立ったスヨン。仁川空港で働きながら待つヨルム。1年後、彼女の前に帰国したスヨンが現れ、抱きあうふたり。閉められていた「キツネ嫁星」という名前の店に灯りが付き、OPENの札がかかります。ハッピーエンドのはずなんですが、スッキリしないんです。というのは、仁川空港で再会したシーンでスヨンの顔が映らなかったんです。後ろ姿のみ。ヨルムの喜んだ表情と抱きあうふたりの様子や、後ろ姿から、スヨンだとは思うのですが、なぜ最高にいいシーンに、スヨンの表情を映さないんでしょう?会えてうれしいというスヨンの顔が見たいんです。ヨルムは泣きださんばかりに喜んでいるのに。イ・ジェフンさんのスケジュールの都合で別の俳優がダミーになったの?と勘ぐる私。これまでの回が面白かっただけに、この最終回のシーンは残念過ぎます。もしイ・ジェフンさんのスケジュールの都合だったのなら、それまでに撮影したふたりのラブラブシーンを挿入してほしかったです。(無理を承知で)なんだか中途半端な感じで、モヤモヤしたまま見終わってしまいました。他にも伏線が回収されていないな~と感じた点がいくつかありました。ヨルムは空港で仕事中に、学生時代にいじめられていた同級生と再会します。彼女はヨルムの秘密を知っていると言うんですよね。それをばらされてもいいのかとヨルムを脅すシーンがあったんです。結局ヨルムは同級生の脅しに屈しなかったんですが、ヨルムの秘密について明かされなかったと思うんです。ヨルムの名前は、真夏に生まれたからヨルム(夏)にしたというエピソードもでてくるんですが、彼女は両親とは秋に出会ったと言うんです。え?真夏に生まれたんだったら、両親と会うのは夏でしょ?秋ってどういうこと?もしかしてヨルムは養女なのかな?と疑問に思ったのですが、それも答えなしだったような気がします。見逃しているのかな?もしかしていじめっ子の同級生は、ヨルムが養女だって知っていたのかなと。それにヨルムの父親とミスター・チャンの関係も、いまひとつ分かりませんでした。ヨルムパパのお店(現在の「キツネ嫁星」だけど、当時は「ヨルムの店」というような店名だったと思う)でスヨンに紹介されたのがミスター・チャンなんですけど、どういう関係だったんでしょう。ただの常連さん?それとも学生時代か何かの友人?そこにも何か理由付けが欲しかったです。いくつかの疑問点がそのままのモヤモヤより何より、一番残念だったのが、オチが安直だったこと。あれだけふたりとも悩んだのに、結局スヨンは元通り、最強のウェアラブルをアメリカで手に入れ、治療もして帰国して解決したということにするのかと。それでは結局、何の解決にもなっていません。振出しに戻っただけ。障がい者の恋愛という重いテーマを選んだのなら、もう少し先を見据えた結末にしてほしかったです。車いすで生活をするスヨンにとって、何が一番の気がかりだったかといえば、人々の偏見ではないでしょうか。それによってスヨンはもちろんのこと、彼と共に歩もうとしているヨルムも好奇の目にさらされてしまう。それがスヨンには耐えがたい苦痛だった思うのです。それでもう一度ウェアラブルを手に入れて解決ではなく、社会の方を変えようとするアクションを起こしてほしいと思いました。もちろん一足飛びに解決する問題ではありません。それでも問題提起をするラストでもよかったと思います。世の中に偶然はない、すべて必然だというのなら、ヨルムとスヨンが出会い、愛し合ったのも偶然ではないと。障がい者のスヨンの恋は、世の人々の障がい者に対する偏見を解消する目的をもって必然とされるのだと言うオチにして欲しかったです。そうそう、ヨルムスヨンカップルもよかったけど、保安チームのオ・デギとナ・ヨンジュカップルもほほえましくて好きでした。主人公カップルが苦悩担当だったのでよけいに。それからスヨンとヨルムの上司のヤン・ソグンはキム・ジスさんが演じていて素敵でした。好きな女優さんの一人です。このヤン・ソグンって保安チームのチェ・ムジャチーム長と夫婦なんでしょうか。最終回でソグンがムジャに向かって、「また部下を危険な目にあわせたら離婚よ」って言っていたような気がするんですよね。なんとなく雰囲気のあるふたりだったので、こっそり夫婦だったとしてもいいかなと思いました。いやむしろそのシチュエーションのほうがいいかも。ムジャ(左)とソグン(右)ともあれ、ハラハラしながらヨルムとスヨンの恋の行方を見守り、いろいろと考えさせられたドラマでした。↑このふたりの笑顔は最高SBS『여우각시별』HP
2020/01/01
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昨日の日記は、「冬ソナ」脚本家による、「もうひとつの冬のソナタ」について書いた。昨日その本を読む前日、実は「冬のソナタ 特別編」を読んでいた。この「冬のソナタ 特別編」は、韓国KBSの「冬のソナタ、視聴者掲示板」から出来上がったものらしい。言ってみれば「冬のソナタ、特別編」は、ドラマのラストの後が気になるファンによる、ファンフィクション集なのだ。両方を比べてみて面白かったのは、どちらもユジンとチュンサンの結婚でドラマの幕が閉じるようにしていること。(笑)脚本家とファンの思いは一緒だったのか。それとも、ファンの熱い思いに、脚本家が触発されたのか・・・。「もうひとつの冬のソナタ」の方はさすがプロ、人物描写が巧みだ。しかし、である。私はファンフィクションの終わり方の方が気に入った。それぞれのラストシーンを比べてみよう。「もうひとつの冬のソナタ」ラストシーン『ユジンとチュンサンは、手をしっかり握り合ったまま、未来に向けて一歩一歩注意深く踏み出した。お互いに言葉にはしなくても、今、この瞬間、一番言いたいことが何なのか・・・ふたりにはわかっていた。愛しています・・・、永遠に愛し続けます。』(『 』内は「もうひとつの冬のソナタ」キム・ウニ ユン・ウンギョン著 ワニブックスより抜粋)「冬のソナタ、特別編」ユジンとチュンサンは結婚式の後、二人だけの世界に出発していく。その姿を見届けたサンヒョクは、車に乗り、なにげなくラジオをつけた。すると聞こえてきたのは、顔なじみのDJの声。彼は、今日天気予報がはずれて雪になったと告げ、初恋が恋しいみなさんに詩を贈ります、と話す。『いとしいそのまなざしで振り返り、うしろにいる私に気づいてください。あなたの愛をさしのべてください。そよ風がつばめを助けあげるように、太陽が照りつけ、雨風が打ちつけようと、私たちがずっと遠くまで、飛んでいけますように。それでも、私のあの初恋が、私を呼びもどしたら、私はどうしましょう・・・・。』(『 』内は「冬のソナタ、特別編」 「冬のソナタの人々」特別編集員会編より抜粋)どうだろうか。ラストシーンまでの部分は、もちろんキム・ウニさんたちの作品のほうが好きだが、ラストは、ファンフィクションの方が余韻があると思うのだが。ふたりを見送って、吹っ切れていると言っても、どこか寂しいサンヒョク。肩を落として車に乗る。気分転換をはかるように、タバコに火をつけ、ラジオに手を伸ばす。そこから聞こえてきた、いわくつきの一編の詩。クラシック音楽と共に、きっとサンヒョクの心に残るだろう。またそれがサンヒョクの新しい一歩への、応援歌になりうることを暗示していて、味わい深いラストシーンだと思う。私の脳裏では、パク・ヨンハくんの映像がすでに出来上がっているのだが。大部分を脚本家によるストーリーで、そしてラストのみをファンフィクションで、これのドラマ化しないかなぁ・・・。
2004/09/04
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しばらくぶりの「ミセシン」更新です。韓国のドラマと違って、11~12話で完結なので、先が見えてきた感じです。(笑)頑張ってアップしますね♪ストーリー郡山の父が入院している病院で、光に別れを告げたみずほ。しばらく父の元で看病をするつもりだったが、東京の自宅から電話がかかる。姑の亮子がギックリ腰を起こし、家事をすることができなくなったというのだ。東京に戻らなくちゃというみずほに、父は寂しそうな顔をする。「私、あの家に必要とされているのよね」とみずほは自分に言い聞かせるように呟く。帰宅すると待っていたのは身動きできない姑・亮子と、部下と浮気をしている夫の泰之だった。泰之のズボンのポケットから出てきたキスマーク入りのコースターを見て、驚くみずほ。その様子を見た亮子は、「泰之を問い詰めちゃだめよ。浮気は風邪みたいなものだから、ほっときゃ治るものよ」と言う。その頃光も、みずほとの別れに胸を痛めていた。彼は婚約者・志織の父の勧めで、新しい楽団の専属作曲家としてローマに赴任することにしたのだが、みずほとの数々の思い出が、光の心の中で息づいていた。日本での最後の仕事は、ラジオ番組で演奏をすることだった。光は楽団員に、「これは僕の一番大切な人に捧げる別れの曲です。」とみずほのために作曲した曲を紹介する。 さすが王子はやることが粋♪ローマへ旅立つ前日、光はみずほの通うイタリア語学校へやってきた。別れを言い、明日の夜9時の飛行機でローマに発つとみずほに告げる光。お互いの気持ちを抑え、雑踏で別々の方向へ歩きだす2人。背中を向けて、ど根性ガエルの歌を歌いながら。翌日の夜、産気づいたという泰之の妹・千恵からの電話で、亮子は千恵の家に向かった。久しぶりに泰之を2人きりで食事をするみずほだったが、ささいなことで泰之とけんかになる。怒って「パチンコにでも行ってくる」と、家を出て行く泰之。彼が向かったのは、浮気相手の部下の部屋だった。みずほは一人残された家で、「みんな言っちゃった」と呟き、ラジオを聴く。流れてきたのは、光がみずほのために作曲した曲だった。曲の解説をする楽団員が、「これは僕の一番大切な人に捧げる別れの曲です。」と光が言っていたと紹介する。みずほは思わず時計を見た。光の乗る飛行機には間に合いそうな時間だ。急いでタクシーに乗り、空港へ急いだ。空港で光を見つけ、駆け寄ろうとするみずほだったが、彼の隣にいる志織の姿を見て、引き返す。そして光が定宿にしていたホテルに行き、彼の部屋に通してもらう。暗い部屋で窓辺に立ち、光のことを想うみずほ。ふと窓を見ると、そこには光の姿が映っていた。彼もまた、みずほのことが忘れられず、戻ってきたのだ。光にとってみずほは、忘れようとしても忘れられない存在で、「君は僕の心の中にいる」と言う。みずほの中で、何かが動いた。「もうすぐに日本を発つの?」「ああ。」「そしたら、それきりもう戻ってこない?」「ああ。」「じゃあ、今夜だけ・・・今夜だけ、恋人にして。」 みずほを愛おしそうに抱きしめる王子みずほを背後からそっと抱きしめる光。彼の鼓動を感じながら、みずほは心を決めていた。ベッドに横たわった瞬間、みずほの薬指から結婚指輪が滑り落ちた。 KBS「変な女 変な男」でも同様のシーンが・・・。光の腕に抱きしめられ、みずほの鼓動もまた激しくなってきた。優しくそっとみずほをベッドに横たえる光。みずほは目を閉じる。光の香りがみずほの体を包んだ。髪を愛おしそうに撫でながら、光はみずほのまぶたに口づける。みずほは柔らかな光の唇を感じ、ますます体が熱くなった。まぶたから頬へと光が口づけていく。彼の唇が触れた場所が、ほんのり色づいていくのがわかる。みずほの唇を捕らえた瞬間、光の腕に力がこもった。愛おしい人を離したくないという意志を感じる。みずほは目を開いた。光は唇を離し、みずほの顔を見つめる。「愛してる・・・みずほ」「私も・・・」光は再びみずほに口づける。唇から首筋、そして胸へと。みずほは光の作曲したメロディを思い出した。繊細で美しく、そして聴いている者を癒してくれる曲。自分にも生きる価値があるのだという自信を与えてくれる曲。光と結ばれた瞬間、みずほは生きていてよかったと、心の底から感じていた。↑の黒字部分は、ワタクシの創作でございます。ひさびさに・・・。(笑)だってぇ~、ドラマではベッドに横たわって指輪が落ちたところで終わり。次の回は、もう服を着ていますから~。(R15か!?)その肝心のシーンを、ちょっと妄想してみたくて。そうそう、みずほと光が雑踏で別れるシーン。ど~してど根性ガエルを歌いながらなのぉ~!?そりゃあ2人にとって思い出の曲でしょう。でもあまりにもロマンチックじゃなさすぎなんだも~ん。内野さんの声、綺麗なんだけど、「にくいよぉ、このぉ~!ど根性ガエル!」というセリフの部分も、真面目に言うんだもん。客観的に見ていたら、私引くだろうな~。王子は王子のままで、ステキでいてください。
2007/07/28
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映画館で公開当時、激しい性描写の方が話題になった作品、「ラスト、コーション」を見ました。今回はWOWOWでのオンエア(R-15)を見ました。トニー・レオン、けっこう好きなんですよね。1990年公開の台湾映画「非情城市」で聴覚障害者の写真技師役を好演していたんです。この映画、大好きで、おかげで台湾旅行をしてしまったほど。で、「ラスト、コーション」ですが、確かに激しい性描写はありましたが、それだけ突出した演出ではなく、ストーリー上必要だったのではないかと感じたんですよね。抗日運動家の女スパイ、ワン・チアチーは、日本軍に協力する特務機関のイーの暗殺を狙っていたんですが、なかなか好機に恵まれず、一時は暗殺計画も白紙に戻ります。それから3年、再びチアチーはイーの命を狙うように命令を受けます。舞台は香港から上海に移っていました。病的なほど慎重なイーも、次第にチアチーに関心を持つようになり、ある日映画を見に行くという彼女を映画館まで送ってやれと運転手に命じます。しかし運転手が彼女を連れて行ったのは映画館ではなく、とある部屋。不審に思いながらもチアチーは部屋に入り、そこに待っているイーの姿を認めます。彼女はレイプまがいの行為を受けますが、それから急速にチアチーとイーの関係が進んでいくのです。最初私はイーがそのような性癖があるのかと思ったのですが、それ以降のチアチーとのセックスは至ってノーマル?というか、前回のようなSMチックなものではなく、濃厚な愛の交歓でした。ではなぜ彼は最初彼女を手荒に扱ったのでしょう?私が思ったのは、猜疑心が強いイーのこと、色仕掛けの女スパイの扱いは知り尽くしていたのではないかということです。最初あのように乱暴に扱われたら、本当に彼のことを愛していなければ、また少しばかりの愛だけなら、すぐに彼から離れていってしまうと思うのです。彼への愛のリトマス紙として、あの乱暴なセックスがあるのではないかと思いました。女スパイなら、それくらいのことは承知の上かもしれませんが、やはりその後の態度でイーに感づかれてしまうように思います。それからイーとチアチーはお互いを激しく求め続けますが、一方のチアチーはいつ自分のスパイ行為がイーにばれるかと、不安に感じつつ生活をしています。彼女には香港時代から想いを寄せていた仲間クァン・ユイミンがいたのですが、彼の気持ちがいまひとつ掴めずにいました。が、どんどんイーとの情事を重ねていくチアチーに対して、堰を切ったようにユイミンは彼女にキスをするのですが、時はすでに遅く、チアチーの心はイーの方へ傾いていたのです。最初は任務としてイーに抱かれていたチアチーですが、肌を重ねるにつれ、イーへの愛が目覚めていきます。彼らは多くの会話を交わしません。肌を重ねる事でお互いの全てを知っていくようです。でもこの作品はセックスを奨励するものではなく、むしろある愛の形を知らしめる作品のような気がします。もちろん会話は大切ですが、それが許される状況ではなかったら、肌を重ねる事も会話の一つではないかと感じました。チアチーがイーに呼ばれた日本料理店で、彼のために歌った中国の歌「天涯歌女」は印象的でした。イーがそっと涙する姿に感動してしまいました。この時代、中国、香港、台湾は本当に混乱していましたから、イーが中国人としての自分を考えた時、涙してしまうのもわかるような気がします。ラストは悲しい結果になってしまいました。イーを助けた時、むろんチアチーは死を覚悟していたでしょう。でもどうして上層部から渡された毒薬を飲んで自害しなかったのでしょう。私は彼女がカプセルを握った時点で、自害するものだとばかり思っていました。でもチアチーは仲間達と一緒に処刑される道を選びます。仲間達と処刑場に並んだ彼女は、もしかしたら香港の時のように、自分だけ逃げる行為を避けたかったのではないでしょうか。死ぬのなら、仲間と特にクァン・ユイミンと一緒に死にたいと思ったように感じました。それは男女の愛ではなく、長い間同じ目標に向かって(イーの暗殺という皮肉なものでしたが)活動してきた仲間としての気持ちだったように思います。この「ラスト、コーション」を見ながら、ずっと思っていたのは、東方神起の「呪文」の歌詞と重なる部分が多いという事です。映画を見ながら、ずっと「呪文」が私の頭の中を流れていました。(笑)東方神起 呪文の歌詞
2009/05/02
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知人に借りたコミック「ファンタジウム」を読みました。先入観全くナシだったので、どんなストーリーかもわからずに読み始めましたが、とってもステキな作品でした。主人公は北條英明というサラリーマン。彼はセキュリティ会社のモーレツ社員だった。仕事だけで過ぎていく毎日。幼いころはマジシャンだった祖父に憧れていた。祖父のことを魔法使いだと信じ、自分も大きくなったら、祖父のようになりたいと思っていた。しかし祖父と仲が悪かった父が禁じたため、祖父に会えなくなり、そのまま昨年祖父は亡くなっていた。仕事のため訪れたカジノバーで、北條は中学2年の長見良と出会う。彼は弟子を取らなかった祖父の秘蔵っ子だった。良はマジックの腕は天才的だったが、勉強はまったくできなかった。難読症、いわゆるディスレクシアという学習障害だったからだ。文字が読めないため、学校の勉強についていけず、それによって友達にばかにされ、登校拒否になっていた。北條は祖父の忘れ形見ともいえる良の才能を伸ばしてやりたくなり、彼の面倒を見ることにする。良は世界的なマジシャンになれるのだろうか。登場人物が良心的な人ばかりで、読んでいて和みます。良の両親も、表現の差こそあれ、彼を心から愛しているのです。北條も、良への温かな気持ちを持っています。ディスレクシアについては、以前ドキュメンタリー番組を見たので、知識はありました。しかし社会的にはまだまだ認知度が低く、読み書きが苦手なために「頭の悪い子」というレッテルを貼られがちなんですよね。良がディスレクシアという障がいを乗り越え、有名なマジシャンに成長していく過程が、どのように描かれるのか、続きがとても楽しみです。
2007/07/29
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年甲斐もなく「明日のナージャ」にはまっている(笑)家族の要望にお答えして、TVアニメはけっこう一緒に見ているのだが、最近の作品の中ではストーリーがかなり面白い。物語は、今からおよそ100年前のロンドン。赤ん坊の時、孤児院に預けられたナージャは、13歳の誕生日に母親は生きているかもしれないと告げられる。旅芸人のダンデライオン一座に入り、一緒にヨーロッパ各地を旅しながら、母親を探すナージャ。彼女の周りには、美少年貴族のフランシス、彼の双子の兄で義賊・黒薔薇のキース、考古学を研究しているクリスチャン、新聞記者のハービーなどなど、各地で多彩な人々に出会う。物語が大詰めにさしかかってきた今、各地でであった人たちが再びナージャとかかわり、彼女を手助けしてくれる。(これってアニメのオキマリパターンだよね)私は怪盗黒薔薇のキースのファン。彼は貴族の子息で、何不自由のない生活ができるにもかかわらず、鳥かごの中にいるような暮らしが嫌で、義賊になっている。キースの双子の弟のフランシスは、自分の無力さを理解しつつ、貴族の生活に甘んじている。先週のストーリーは、ヒロインのナージャが、キースとフランシスどちらを選ぶか?というものだった。私なら絶対キースなんだけどなあ~。先週のラストの時点では、彼女はフランシスを選んだ。うちのチビたちもフランシス派。はいはい、お子ちゃまは生クリームのように柔らかく甘いフランシスが好みなんでしょうよ。大人の私は、ちょいとビターなキースがいいわ。甘甘な生活ができるにもかかわらず、自由の無い暮らしが嫌で、日陰の暮らしをするキース。ナージャに、フランシスか自分かを迫るキースは、屈折していて拗ねた感じが、母性本能をくすぐられる。そっか、ナージャはまだお子ちゃまだから、キースの魅力に気付いてないのね。フワフワなフランシスが魅力的に見えるのよ。もちろんフランシスも、内面では体裁ばかりの貴族生活に疲れているんだけど、その状況を打破できないのよね。フランシスの家でパーティが開かれ、その席でフランシスと踊り、自分の答えを出すナージャ。フランシスは喜びにあふれ、人々の輪の真中でナージャとダンスを踊る。柱の影で立っていたキースは、再びナージャがキースに視線を移したときには姿を消していた。うう、涙。私でよければ、お相手してくださる?キース。(笑)来週の予告を見ると、フランシスに恋しているメリーアンという女の子が、2人の邪魔をするらしい。私が思うに、フランシスはその優しさ(優柔不断ともいう)ゆえに、結局メリーアンを選び、傷心のナージャをキースが救うというラストじゃないのかな~?(そうであって欲しい)ナージャもきっと貴族の生活は窮屈だろうし、キースと共に自由な生活をしたほうが幸せになれるよ。時々お母さんに会いに行ったりしてね。(ナージャの母親は、ウィーンの貴族、プレミンジャー公爵の娘だということが判明している)そして私は毎週日曜日、朝8時半にTVの前に座るのであった。心の中で『キース!好きよ!』と叫びながら。TV朝日「明日のナージャ」HP http://www.asahi.co.jp/nadja/index2.html
2003/12/15
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珍しく地上波で映画を、しかもハリウッドものを見ました。この「コンスタンティン」は、ロードショー中に予告を見て、興味を持った作品なんですよね。映画館には見に行かないし、DVDレンタルもしないけれど、TVで放送されるなら見るかも・・・という感じ。早々に家事を済ませ、21時にTVの前へ。これも珍しい・・・。いつもは何か用事をしながらの視聴なのですが。おかげでじっくり見ることが出来ましたが、予想よりも怖くなく(私はホラーが大の苦手)悪魔や地獄の描写もCGを多用していたので、恐怖感もあまりなかったです。よりリアルに表現できるCGの方が、人間が演じる悪魔や亡者よりも怖くないとは皮肉です。私自身、すでにCG慣れしているのかもしれません。<ストーリー>生まれつき悪魔や天使を見ることが出来る特殊能力の持ち主ジョン・コンスタンティンは、人間界にやってきた悪魔達を地獄に送り返す仕事をしている。20年前自殺をしかけたことで、天国には行けないことが決まっている。(と、天使ガブリエルが言っている)コンスタンティンが、いつものように悪魔祓いをしていると、今まで感じたことのない不穏な空気を感じた。地獄と天国の間の微妙なバランスが崩れかけているようなのだ。同じ頃、双子の妹イザベルの自殺に不審さを感じた女刑事アンジェラが、コンスタンティンのところにやってくる。コンスタンティンと同じ能力を持っていたイザベルの死の原因を探るべく、コンスタンティンとアンジェラは悪魔に戦いを挑む。(以下ネタバレあり、注意)こういうキリスト教がらみのストーリーは、宗教が生活の中に染みこんでいない日本人の私としては、理解しがたい部分があります。自殺者は教会で弔ってもらえないとか、十字架をつけると聖水になるとか。しかしこの作品を見ながら感じたのは、キリスト教徒は神を信じ、悪魔を恐れるという感情を、日常生活の中でごく自然に持ち続けているんだなということです。だからこのような作品が生み出されているんでしょうね。悪魔、天使、堕天使、地獄、天国・・・・などを作品の中で見ていると、思い出したのは、映画「ドグマ」この映画もキリスト教を描いた作品なのですが、こちらはコメディタッチです。公開当時は物議をかもしだしたそうですが、監督は敬虔なキリスト教徒だと主張しています。キリスト教徒ではない私が見ると、そんなに目くじらを立てるような内容ではないと思うのですが、当人達にとっては神への冒涜だと感じるのでしょうか。(ま、神は女性だったとか、キリストには妻がいたなどという内容ですからね・・・。なんとなく「ダ・ヴィンチ・コード」を思い出しますね)さて、「コンスタンティン」ですが、神を信じないコンスタンティンが、悪魔の息子が人間界にやってくるのを阻止しようと、自らが地獄に堕ちるのを覚悟で再度自殺を図ります。悪魔との取引きで、地獄界にいるイザベルを天国へ送ってもらい、自分は悪魔に手を引かれて地獄へと向かうのですが・・・・。思ったとおり、そこに天国から一筋の光が差してきます。自己犠牲の精神により、人間界を救ったコンスタンティンを、神は許したのです。しかし怒り狂った悪魔によって、天国行きを邪魔され(そんなことが出来るんですね。私は悪魔より神の力のほうが強いと思っていたのですが)再び人間界で生きることになります。あ~、辛そう。まるで続編が出来るような終わり方でしたね。続編が出来たら、またTV放送を待ちます。
2008/05/25
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今日もお出かけしていまして、SBSの「人気歌謡」に間に合うように帰宅したものの、全くつながらず…。(涙)30分くらい前から、長女がPCを開いて接続を試みていたようですが、どこの局にもつながらなかったようです。私が帰宅した後も、何度もチャレンジしましたが、全然だめ。ああ~ん、今日はリアルタイムでSHINeeが見られなかったよぉ~。2PMも出ていたようで、2PMペンの長女も気分ダウン。もちろん某動画サイトで見せてもらいましたが。こちらです。オニュ、カッコイイわぁ~!彼の顔や体のゴツゴツ感が萌えポイント!(笑)てみちゃんは、相変わらずキュートすぎて怖いくらい。keyペンの長女は彼の美しさに壊れてマス。(トンもSSも同じグループが好きなくせに、ご贔屓が全くかぶらない母娘。だから雑誌を買うときも便利です)そしてKBS WORLDでは昨年12月25日に韓国でオンエアされた「ミュージックバンク」が放送されました。番組全体がクリスマス仕様なのは仕方がないですね。(苦笑)でもでもでも、SHINeeの出番が少なすぎっ!!「RDD」が大幅にカットされてました。半分も歌わないうちにミノのラップですかぁ~~~!!ざ、残念!でもてみちゃんのサンタ帽・ミトン姿と赤鼻のオニュが見られたから幸せ♪f(x)のおねーさんとおそろ?(笑)赤鼻のオニュ、めちゃくちゃ可愛かったです~!トナカイの角付きミノも可愛い!!動画はこちら。(2'55"くらいにてみな~とkey、f(x)がSNSDの「Gee」に乱入。SHINeeの2人がハンパないほど可愛い!keyの体の動き、てみのスマイル、いや~、イイものを見せていただきました。眼福、眼福。その後に赤鼻のオニュ登場!笑) これはMBの画像ではありませんが、クリスマスなオニュが可愛くて(画像出処は画像内。コマッスムニダ)
2010/01/10
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昨日本屋で立ち読みした。彼女の元恋人(と噂されている)市川染五郎さんのことを書いていると思われる部分のみ、ざっと読んだ。染五郎さんの名前はもちろん出ていなかったが、今までの事情を週刊誌やTVで知っている者が読めば、一目瞭然なのだろう。昨年11月、染五郎さんの結婚式にあわせて出版するといわれていたが、「なぜか」出版が12月に延期になり、出版前にあれほど騒がれたわりには、密かに出たんだなぁと思った。彼に関する部分も、それほど衝撃的な内容でもなく、ゴシップ的なモノを求めて読もうという人には、物足りないかもしれない。染五郎さんと思われる「彼」に対しての思いは、今はもう吹っ切れたようだ。あまりのあっさりとした記述に、私は、寺島しのぶ嬢のこの本を、暴露本だと思い、戦々恐々としていた(らしい)染五郎さんの方が滑稽に見えてきた。まあ、マスコミが勝手に騒ぎ立てただけかもしれないが。文章も内容も、さらさらとした印象を受け、彼女は今回の失恋と映画主演で、かなり「いい女」に脱皮したと見受けられる。共に染五郎さんに失恋したもの同士、強く生きていこうではないか。(え?私としのぶ嬢とでは、失恋のレベルが全然違うって?笑)
2004/05/11
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久しぶりにはまったドラマ「パリの恋人」(今も「パリ恋」のOSTを聴きながら、コレを書いてま~す♪)そのラストについて、韓国でも賛否両論だったとか。その結果、ラストシーンは2通りあると聞きましたが、私がGyaOで見たのは、どちらだったのでしょう・・・?以下はネタバレを含みますので、未見の方はご注意を!スヒョクの記憶喪失に責任を感じたテヨンは、ギジュに黙って単身パリに渡ろうとします。ギジュの秘書の進言で、仁川空港でテヨンに会えたギジュ。しかしテヨンはパリに行くと言います。彼女の心中を察したギジュは、テヨンをパリに送り出します。きっと探しに行くと言って。スヒョクの記憶喪失は、実は嘘だったとわかったのに、どうしてもテヨンはパリに行ってしまうのね~~~と、気をもみながら見ていたのですが、2年後ギジュがパリに向かってからの生活を見ていると、「こうするしかなかったのかも」と思えてきました。2人が結ばれることによって、スヒョクをはじめとして、周りの人間を傷つけてきたのだから・・・。それが2人の意図するところではなかったとしても。2人が離ればなれになっていた2年間、テヨンは中途半端になっていた映画の勉強を心置きなくすることができます。またいわゆるお坊ちゃまだったギジュは、パリに着いてから、苦労してお金を稼ぎ、生活をするということを学んでいきます。そして再び偶然にも2人はパリで出会います。偶然が重なると、それは必然になるんですよね。セーヌのほとりで、離れていた時間を取り戻すように寄り添う2人。場面変わって、1番最初にテヨンがパリに着いた時のシーン。おのぼりさん気分の彼女が、オープン・カフェでカフェオレを飲んでいるとき、後ろの座席で商談をしていたのはギジュだったんですね・・・。ここでナレーションが入り、PC画面に。シナリオ・ライターの卵?テヨンが、家政婦をしている家で(勝手に)PCを使ってシナリオ執筆をしています。ここで私はちょっと頭が混乱しました。「え?今何がどうなっているの?」ドラマの最初に戻ったように、できの悪い家政婦のテヨンが登場するんですよね。しばらく考えていて、「あ、これは現実のテヨンであって、今までのお話は彼女の創作だったんだ」と気がつきました。でもギジュの家を出たテヨンが、“今までのストーリーのテヨンとギジュ”の結婚を知らせる新聞を手に取りますが、ここでまた混乱するんですよね。今登場しているテヨンが“ドラマの中での現実の”テヨンなら、なぜ創作上の彼らが現実に現れているんだろう?って。ドラマのレビューを読むと、それの答えが書いてありました。韓国でも、創作だったというラストに対する反発があり、急遽今までのストーリーでのテヨンとギジュはハッピーエンドになったということを暗示するため、あの新聞記事シーンを挿入したらしいのです。それでも結局は創作ストーリーになってしまったわけで、だからあのラストには賛否両論いり乱れているんですね。今までのストーリーは創作だった・・・という展開は、「実は主人公の夢だった」という類似の話があるので、それもアリだと思いました。最後にひねりを入れているのね・・・という感じで。でもなんだか虚しさが残るんですよね。ドラマを最後まで見終わって、『あぁ、よかった~。満足~』という幸せな気分が半減しているんです。それはなぜか・・・。やっぱり1話から最終話まで胸をときめかせながら見ていたストーリーが、実は主人公の創作ストーリーだったということに、なんだか裏切られたような気がしたんですよね。私が今まで一喜一憂していたのは、ドラマの中のドラマだったの?と思い、「頑張れ、テヨン!」とか、「スヒョク~~!ファイティ~ン!」と涙を流しながら叫んでいた気持ちを軽んじられたように思うんですよね。もちろん「パリの恋人」はドラマだとわかっています。けれど視聴者は、創作だとわかっているドラマの中で、必死に頑張っている登場人物に感情移入して、恋したり、応援したりしているんです。その気持ちまで「実はその話も作り物でした」って、2重構造でわざわざだまされているようで・・・。GyaOに書かれた「パリ恋」のレビューをいろいろ読んでみましたが、やはり皆さんあのラストに違和感を覚えられたようです。(支持されている方も少しおられましたが)それを読んで、私は「やっぱりドラマでは夢をみたいんだよね~」と思いました。ディテールをきちんと表現していれば、夢のようなベタな展開のドラマでも充分楽しめるし、反対にドラマだからこそ、そういった夢のような展開が表現でき、視聴者もそれを望んでいるんではないでしょうか。もちろんハッピーエンドだけが全てではなく、「ごめん、愛してる」のように、主人公たちは現実世界では結ばれなかったけれど、ラストシーンで愛の崇高さを見事に表現しているドラマも支持されるんですが。だから私は「パリ恋」のラストは、ベタな展開でよかったと思うんですよね。テヨンとギジュの最高に幸せな様子(例えば結婚式とか)でENDマークが出たらよかったのに・・・。ま、これは私の個人的な考えですが。それにしても、最終回ではスヒョクの新しい恋も暗示されていましたよね~。あの彼女、スヒョクのタイプとは違うような気がするんですけど・・・ってこれは私の嫉妬かしら?(笑)
2006/09/07
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