こんにちは♪ ス~ジ~です♪ 

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中途半端な戦争には


中途半端な戦争に黙ってしたがうことはするまい>

パウエルは、このように、軍縮と外交手段による問題解決
にとりくんできました。パウエルが一貫して主張しつづけ
てきた――そして受け入れられなかった――意見は
「政治的な目的が明確になるまで、アメリカは軍事力を行
使すべきではない」ということです。それは、彼の2度に
わたるヴェトナム戦争体験に根ざしています。

「最初の従軍期間を終えたとき、私はこの仕事を完了する
には50万の人間が必要だろうと予測した。6年後の2度
目の在任中に、アメリカの兵員数は54万3400という
ピークに達し、それでもまだ充分ではなかった。あの地形
を考え、北ヴェトナム軍やヴェトコンの戦争のやりかたや
彼らが死をいとわずに戦っていたことを考えると、アメリ
カ軍がどれほどの防衛力を注ぎ込んでも充分ではなかった
だろう。

私がまだ大隊の副長だったころに、地雷を踏んだ兵士がい
た。片脚が垂れ下がり、胸にはいくつもの穴があいた。彼
をヘリコプターに乗せ、およそ15分ほど離れたダクホの
後送病院へ向かった。まだ子供のような彼の表情が、私に
はどうしても忘れられない。驚きと恐怖と、何が起こった
のか知りたいという好奇心が入りまじった表情だったが、
何よりも理解できないと言いたげな表情が印象的だった。
何か言おうとしているのだが、言葉が出てこなかった。そ
の目は、なぜなのだと言っているように思えた。そのとき
もいまも、私には答えられない。ダクホに着く前に、彼は
私の腕のなかで息を引き取った。

戦争は政治の最後の手段となるべきなのだ。そして、戦争
に行くときは、国民が理解し、支援する目的がなければな
らない。国の資力を動員して、その使命を遂行し、勝ちに
いくようでなければいけないのだ。ヴェトナムでは、われ
われは生半可な気持で中途半端な戦争に加わり、国民の半
数は反対か無関心のままで、一部の者だけが重荷を背負っ
ていた。

われわれは、われわれを戦争に派遣して遂行しようとした
政策が瓦解したという事実を受け入れた。わが国の政治指
導者は、反共政策というしごく大まかな大義のためにわれ
われを戦争に引き入れたが、その大義は民族主義、反植民
地主義、あるいは東西の対立を超えた市民の努力など歴史
的な独自の根をもつヴェトナムの戦争には部分的にしか妥
当しなかった。

上級将校たちは戦争がうまくいっていないことを知ってい
た。それなのに、グループ思考の圧力に屈し、辻褄を合わ
せるために、ボディ・カウントとか、村の安全保障といっ
た気休めの幻想にふけり、水増しの戦況報告をしていた。
一つの企業体として、軍隊は政治の上層部や自分たち自身
に直接話をしなかった。現地の最高指導者が国防長官や大
統領のところへ行って、この戦争はいまのような戦いぶり
では勝てませんと言うわけでもなかった。

私の世代の多くは、たいていが職業軍人の大尉や少佐、中
佐として、あの戦争で鍛えられたが、われわれが砲撃を呼
びかける番になったときには、アメリカ人が理解できず、
支援できない生半可な理由で中途半端な戦争に黙ってした
がうことはするまいと誓っている。そうした誓いを、自分
自身にも、民間の指導者にも、そして祖国にたいしても守
り通せるなら、ヴェトナム戦争の犠牲もむだではなかった
ことになる。」

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