トルコで急遽怪しげな国際学生証を作り、格安で入手したエジプト行きのチケット。うっかり日付を間違えて、あたしと王はまたもや空港で青ざめる。日本じゃキャンセル料がかかりそうなもんなのに、ここでは、にっこり笑顔で日付を訂正してくれた。あたしらの必死さ(多少芝居かかっていたことは否めない事実であるが)にきっと胸をうたれたのであろう。そんなわけでどうにかイスタンブールを脱出したものの、このチケットはギリシャ経由でカイロへ向かうものであった。アテネでトランジットせねばならない。もちろん一筋縄で行くわけはなく、ここでもまた天国と地獄を味わうことに。(キャンセル待ち。「乗れなかったらどうしようね~?明日また空港に来てみりゃいいか~。」などとのんびりと名前を呼ばれるのを待っていると、出発5分前にOKが。こんなんばっかしでまるで危機感のないうちら。)深夜11時過ぎ、あたしたちはカイロへ到着した。
ホテル入り口の踊り場付近にたむろする日本人8人。その内わけは、今日到着した私たち6人に、すでに一週間ほどここに滞在し、ピラミッドの下見をすませたという男の子たち2人である。1人は麦わら帽子にビーチサンダルという出で立ちでわりとこざっぱりした印象を受けた。もう1人は真っ黒で小柄な感じ。私はてっきり現地人かと思っていた。聞けば、パキスタンの方からえんえんと旅を続けてきたのだという。世界遺産のたっぷり写された写真にわたしたちは圧倒された。早稲田大学の2年生なのだそうだ。それを聞き、私は再び目を見張る。風貌は若い。でも彼がかもし出す雰囲気は、とても同世代のそれとは思えないものがあった。この年齢にありがちな妙な熱さや、浮かれた軽さが全く無い。さまざまな危険を、たった一人でくぐりぬけてきたという記録の数々が、ただ彼の背後に静かに漂っている。長老のような風格すらあった。彼の名はユウスケ。さまざまなピラミッド登頂にまつわるエピソードをおもしろおかしく話してくれた。ドイツ人の何某という人が一番大きなピラミッドに登ろうとしたが、結局落下してしまったこと。現在はピラミッドの風化が激しいため、全て登るのが禁止されていること。実際足場がかなりあやしいらしい。それなのに、深夜大勢の日本人がピラミッド登頂を計画していること。それが国際問題に発展しそうな勢いなので、いつ本格的に取締りが行われてもおかしくない状態にあるということ。従って、ピラミッドの登頂のチャンスは、もう二度と訪れないかもしれないということ。
スルタンホテルじゃ安心して眠ることができないため、翌朝わたしたち2人はもう少しマシな「ニュウガルデンパレスホテル」(注:エジプシャンイングリッシュ)へ移動した。朝食は皆で朝マック。それにしても、カイロのマクドは高級店さながらで驚いた。入り口にはガードマンが立っていたし。ひどい服装ではどうやら入店できない模様。皆でハンバーガーにかぶりつき、ひとしきり今夜の計画で盛り上がった後、集合時刻の確認をして解散となった。チェックイン後、眠りこける私たち2人。





