熊野鬼城太鼓友の会

恩人!見臺洋一さん


故郷熊野のための数々のイベントを企画実行し
熊野地方唯一のタウン誌かまん・くまの編集者 見臺洋一さんから
熊野鬼城太鼓20周年に頂いた言葉を紹介させて頂きます。

  『20年続いたドンどこドン 成人した熊野鬼城太鼓への賛辞』

 熊野鬼城太鼓という名で撥を握った。
山あり谷ありを乗り越えてきた集団が、視野を広め、各地で技を競い、パワーの交流を続けてきた。
彼らの原点は太鼓に向かい、打てば打つほど跳ね返る、撥が生む音であろうと思う。
腸をえぐるような響が限りなく大きな壁をも乗り越えることが出来たのだ。

 私は拓クンが「師匠、師匠」と呼ぶ中森輝雄さんの存在、尊敬することができるという幸運を得て、
それを根底にしていることも継続の大きな要因であろうと思う。
五郷の子供らによる「北山一揆太鼓」が脚光を浴びていた時代、「太地の鯨太鼓」も頭角を現していた。
「熊野神太鼓」も期を同じくしてホテルのアトラクションに出ていたと思う。
そのころは太鼓集団の創生期で、集団は多くはなかった。
そんな時、佐渡の太鼓集団「鼓童」を新宮に呼ぶことが出来た。
沸き立つ感動を一身に受けていたのが若き藤本吉利である。
私は考えた、彼らと交流することが太鼓集団の本物の魅力を知り、
熊野にたくさんの太鼓叩きが生まれることを。

 爾来20年近くが過ぎ、交流を果たしたトップに熊野鬼城太鼓がいる。
彼らの情熱と技が積み重ねられた結果、記念の演奏会に藤本吉利がゲスト出演するという
すばらしい成果をもたらしたのである。
その舞台で繰り広げられた師匠の軽妙で奥行のある演奏と、藤本吉利とメンバーのコラボレーションが、
燃え上がる火の玉を思わせる熱演となった。
彼らはその夜、素人集団の域を越えていると思った。
「越えている」は私の最大の賛辞である。
地方の先陣を駆け続けて欲しい。
ドンどこドンの腸をえぐるような感動を、次代に繋ぐ努力も惜しまないでほしい。

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