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低く暗く、手の届きそうな雲…。山は雨と靄で幻想的に浮かんで見える。気温は上がってるのに、木々の枝にまだ芽は見られない。………戸ノ口という所に住んでいた頃の或る一日…憶い出す。従兄弟はいろんな事を知っていた。山での遊び方…こういう日の山での雨の凌ぎ方…。家人にもいろんな事を教えてもらった。周り近所からもいろんな事を教えてもらった。………………いろんな意見を聞き過ぎて…悩んで…答を見失った事がある。………………人は、人それぞれ自分の正解をもってる…持たなければならない。他人がどんな正解を説いても、自分にとってそれが正解とは限らない。頭の良い人が理論づけた説明…これが正解、これが見本っていうものがまかり通る。けれども、その正解は必ずしも絶対ではない。頭の中だけの正解。その人の経験からの正解。けれど、自分にとっての正解は…。自分と同じ経験、人生を送ってる人は無いのだから、自分の正解は自分で見つけるより他にない。それが例え、他から見れば不完全でも、自分にとっての正解は其処にしかない。こんなんで良いんだろうか…他から見れば不完全…。でも、そこに生き甲斐、自分の幸せ見つけられるならそれで良い。他と同じ生き方をするだけが成功に繋がる訳でもなければ、幸せに繋がるわけでもない。大きくても小さくても、自分にとっての完全な○は、他から見れば、所謂△だとしても、それで良い筈。誰にとっても、その全ては一つの参考。自分自身の出した答えでさえ、明日になれば正解とは程遠いものになる。そしてそれが成長している唯一の証。誰にとっても正解は…其処此処に在り、何処にも無いもの。在るとすれば、明日への夢の中にだけ………………雪の無い一月下旬…こんな年はまだ経験が無い。生活には都合がいいけれど…後が怖い。ダラダラと…春先が遠のくのか今に一気に降り積もるのか…夏、水不足で困るのか…二つ良い事が無いのが世の条理。雨乞いならぬ雪乞いでもしたくなる。
2014.01.30
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25日…今日からは大寒の次候。沢に氷が厚く張りつめる…とある。昨日は厚い氷が張っていた…今日の朝は…。初候に蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す…なんて事になっているけれども、少しは当たってるかも。庭の日当で雪の無い部分に、今は一個だけそれらしいものが芽を出している。昨日、坊さんが近所を歩いていた。托鉢…煩悩の塵垢を落とし、衣食住についての貪り・欲望を払い捨て、清浄に仏道修行に励むための十二の実践項目のひとつだとか。これを寒にやるから托鉢寒行なんだろう。坊さんが無病息災や家内安全を祈願する托鉢。何かの祈願、報恩講などでの托鉢もある。他人の家の前に立つ…なかなか出来ない。経験があるけれど、構えれば構えるほど心が引いてしまう。飾らない自分でいれば良いんだけども。本当は、足袋に草鞋なんだけど、いつだったか…シューズ履いてるのを見かけた事がある…あ~ァ…南無阿弥陀仏…かも。自然って、命って…かなり強いと感じた光景。蕗の薹の直ぐ傍に、だいぶ前に捨てたサボテンが青々しているではないか。凍りついたりしている真冬になんていう生命力。そういえば去年、この場所にチラッとオレンジ色のものが見えたのは、多分これの花かも。今年は確かめよう。それにしても…執念か。占星術では、大寒を宝瓶宮…水がめ座の始まりとしている。所謂私の星座…なんて関係ない…か。二十四節気、七十二候…昔の人はなんだかんだと言いながらも、上手い事考えるものだと思う。口煩いって言うだけではないって事か。元々中国のものだけども、今は日本の四季に合うように作り替えられた。(意味不明なものも多かったから)そもそも、大陸と島国では同じはずが無い。そう言えば…今日は初天神か…。勉学に励む人にとっては、苦しい時の神頼み。それでも行けば気が済む…けど、何で代理が行く?数を頼りに奉納する人…何なんだろ。合格だけが幸せとも思えないのに、そこまでして形だけの幸せが欲しいんだろうか。そういう気持ちも今の社会の仕組みからすれば、解らないわけではないけれど…幸せって、自分で掴むものではなかったのか…と。幸せを掴む方法…『一日だけ幸せでいたいならば、床屋にいけ。 一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。 一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。 一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。一生幸せでいたいなら、正直でいることだ』…と、西洋の諺にもあるけれど、幸せはいろんな形で在ると思う。幸せを追う勉学と、幸せを感じられる人間性と…どちらが先に幸せを掴めるんだろ。
2014.01.24
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今日は珍しく暖かな日。昼近くになっても陰にはまだ氷が残ってはいるが、日当はかなり暖かい。少し動けば汗ばむほどに陽射しが強い。カーテンが引いてある部屋…半分しか開けてないのに、部屋は不自由ないほどに明るい。暫し、廊下の戸は開けて網戸にしているが、少しも寒いという感覚は無い。遠くの山の杉林には雪が見えない。近くに行って初めて確認できるくらいに雪が少ない。屋根の雪は、この暖かさで雨だれとなって落ち、庭のくぼみを小川の様に流れる。冬の日の爽やかな一日…。こういう日の夜明け前は、一段と気温が下がる。今日の朝はかなりの冷え込みで目が覚めた。厳しい朝には、穏やかな昼下がり…こういう冬の日を繰り返し…乗り越えてやがて春が来る。今日から小正月。女正月…。明日には角松も取れるんだろうし、今日または明日はどんと祭。やっと正月気分も抜けるって事だけども、正月…語源が外来語だとは知らなかったなァ
2014.01.14
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今日の朝、車のフロント、ミラー…全て凍ってた。雪が無い分、エアコンだけで解凍はしたものの、やはり寒い。こんな朝…昔、日野川に木造の橋が架かってて、表面の土が凍ってたのを憶いだす。橋は、道路と同じで表面は土。所々に穴があいてて、そこから川面が見えてた。今日みたいな冬の朝早く渡ると、所々に霜柱が立ってて、サクサクしたのを覚えてる。郷愁というか、懐古…ノスタルジア…。今は新しいものを追求するあまり…便利さだけとか個性とか、ウケだけを狙ったものが幅を利かせてるから、なんか物足りなさって云うのを感じてしまう。何千年も前からみれば殆どのものが変化はしていても、根本的には何も変わっていないっていうのが科学的な結論だそうな。言い換えると、過去の人の方が試行錯誤という作業を,惜しみなく繰り返していたということになる。今日は、合理主義を追求するあまりに、『時』というものを限りなく省こうとする。省力化…。だけど、本当に大切なものを合理性だけで求められるんだろうかと思う。一見、無駄に思える事の方が…その中にこそ本当の合理性が在るのではないのかと。インターネットでの買い物は確かの便利だけども、結局そういう物は、作り易く、買い易く、運び易く…って云う事だけを追求したものになってしまう。私はそういう買い物をする時でも、少なくても一度は電話で納得いくまで話をする。品物の確認というより、電話の向こうの人に関心が在るし、その人に納得できなければ買はない。昔渡った橋の様に…今、橋を渡ってる…と言う感じが伝わって来るのと同じで、この人の作ったものなら…この人の売っているものなら…という感覚。合理的に考えれば必要でなさそうなものの中に、本当は一番合理的なものが在るんだろうと思う。洗練されたもの…それは、試行錯誤、創意工夫という膨大な、一見無駄に見える作業の中だけに育つものかも知れない。無駄ばっかりしてる自分は、実は洗練されてる???今日も冗談ばっかりの一日になりそう…。
2014.01.03
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