なっち&るんのおうち

なっち&るんのおうち

後悔



が、その中でいつも思うこと。
「後悔」です。

悲しみはもちろん、後悔が大きいです。
あそこの病院じゃなかったら・・・、もっと私が積極的に医師に訴えていれば・・・。
そして、火葬する前に髪の毛を遺しておけば・・・、頑張った姿を写真に遺しておけば・・・。

髪の毛は残念ながら火葬してから気がつき、写真はホントは気がついていました。
ただ、私の気持ちができなかった。
娘が頑張った姿は、私たちなら誉めてあげれるものです。
でも、それをきっと直視できないだろう。と思いました。
元気な頃、あんなにピンクだったほっぺた、ふっくらしてたほっぺた。
でもね、最期は娘の面影が感じられない姿。
痛々しい姿。
ふっくらほっぺでも、ピンクのほっぺでもなかった娘は、全身痩せこけていた。
顔は血だらけ、胸はあざだらけ。
「きっと娘は生還する。」
その言葉だけを信じ、数時間苦しめてしまった。
医師から「もう戻る事はないと思います。」
そう告げられて娘と対面した時に本当は、安心した私。
「苦しめなくていいんだ。」
気持ちは楽になったはず。
だったのに、すごく悔やんだ。

その後、看護士さんに娘をきれいにしてもらった。
血で汚れた娘を拭き、髪も元気だったころのようにむすんでもらった。
それから私は自分の車で、姉に乗ってもらい一緒に帰宅した。
病院をでる時、私たちは見せ物だった。
裏玄関と言うか、待合室を通り車に向かった。
泣いてる私たちを、周囲は容赦なく見た。
でも、そんなことは私には関係なかった。
手術に向かったときと同じ、黄色のストレッチャー。
あれから私は、黄色のストレッチャー、救急カートの中身がこわくなった。

こんな事になる前に、今の息子の主治医に会っていたのなら。
病院を転院する前に、「後任の先生がみえるので、診療は続けます。」
と言う言葉を聞いていたら・・・。

車の中で、「私も死にたい。」ともらした。
ホントに死にたかった。
娘がいないのに、生きてる自分が許せない。
生きてる意味もわからない。
娘のそばに逝きたかった。
家に着いても、力が抜け放心状態の私は娘を抱き階段を昇ることはおろか、抱きかかえる事もできなく、姉が抱っこして階段を昇り、家に連れて行ってくれた。
泣くしかできない自分、娘を見れない自分。
弱くて、ダメな母親だった。

いつもの憎まれ口を聞きたい。
あの笑顔に会いたい。
抱っこしたい。
添い寝したい。
一緒に遊びたい。

そして、こんなに早くいなくなるのなら、優しく育ててあげたかった。
甘やかしすぎって言われても、思うとおりにさせてあげればよかった。

あまりにも突然すぎて、何一つ幸せにしてあげれなかった。

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: