ココロ ニ アカリ ヲ・・

ココロ ニ アカリ ヲ・・

クリア(8・9話)

クリア(8・9話)

heartpink




 女の子独特の柔らかさと甘い香で、僕はしばらくの間ぽーっとなってしまったが、ユカをそっと押し返した。

 雰囲気に流されたくなかった。どうにかして拒絶しなければと思った時、いつもいつも感じていた疑問がするっと口から飛び出した。
 「ユカはいつも俺の事好きだというけど、そんな風に思えないよ。なんだかいつも空元気でヤケクソみたいに見えるけど。」
 僕をいたわるようにそっと抱きしめていたユカの手がカクンと落ちた。
 しまった!と思い恐る恐るユカを見上げると、ユカは硬直して顔色が真っ白になっていた。

 暗い沈黙が部屋をおそう。
 しばらくの沈黙の後、ユカは両手で口元を押さえ震え始めた。
「私さぁ・・・・、毎日部屋に戻って一人になるのが恐ろしいの。おかしいでしょ?」
 急変したユカの暗くて太い声に僕は驚き、悪い噂が頭をよぎった。
「寂しくて寂しくて寂しくて、息もできない。寂しさで死んでしまいそうになるの。」
しばらく無言になった後「ケイとならこの寂しさを埋められそうな気がしたのに。」とぽつんと言った。

そしていきなり
「寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて、苦しい。」と発作のようにうなった。。
 僕はしばらく呆然とした後、すすり泣き始めた女の子の背中を擦りはじめていた。
 優しく優しく。
 そういえばユカには悪い噂があった。同じバイトの男達の何人かと寝てるとか、キャンパス内でも関係を持った男が数人いるとか。
 僕は噂を疑いながら、ユカを観察していたのだ。なぜこんなに恋愛に性急なのか。
 ユカは震えながらボロボロボロボロ泣き始めた。
「ねぇ、私を抱きしめて。もう、寂しがらなくていいよって抱きしめて。」
 そんな事言われても、僕には背中をさする事しかできない。誰もが泣きじゃくる子供にするように。優しく優しく。

「ユカの、積極的なとこ苦手だったけれど、すごいと思うし、今ではユカのそういうところ僕は好きだよ。」背中を擦りながら優しく話しかける。「ユカが好きだって何度も言ってくれてホントの所は嬉しかったよ。」
「寂しいの。寂しい。苦しい。誰も私を必要としないの。誰も私を必要としてくれない。」

 その時、気がついた。僕はすでに人間としてユカのことを「好き」になってしまっていたことに。
 ユカにつきまとわれる時間を「迷惑だ」と言いながら楽しんでいたことに。
 だけど、この「好き」は恋とは異質の感情だった。
 この気持ちを恋に変えるには、あと一つ何かが足りない。
 だから僕は慰めでもユカを抱きしめる事ができなかった。
 二人でいるのに僕達の間には、手が届かない程の大きな大きな空虚感がぽっかりと口をひろげている。
 僕はその空虚感に気がつかないふりをしながら、ただただユカの背中を擦り続けた。
「誰だって寂しいんだ。大丈夫だ、寂しいのはユカだけじゃない。みんなそうなんだ。抱き合って寂しくないような気がするのはほんの一瞬だけだよ。」

 僕の狭い4畳半の部屋いっぱいに満たしたユカの重苦しい寂しさに押しつぶされそうになりながら、僕は一生懸命考えた。
 ユカはなぜこんなにも寂しがるのだろうか?誰でもいいから肌を合わせずにはいられないくらい?
 僕には今まで自分から人の人生に踏み込んだ経験がなくて、聞いていいのか聞かないほうがいいのか判断すらつかない。
「もっと自分を大切にしろよ。」呪文のようにつぶやきながら背中をさすり続ける。
「私、誰でもいいわけじゃないんだよ。ケイだから・・、ケイがいいんだよ?どうしてもダメなの?」ユカは嗚咽して泣き続けた。

 ユカが泣き疲れて眠ってしまうまで、僕は彼女の背中をさすり続けた。ユカの背中は僕と違う種の生き物みたいに華奢で細く壊れそうだった。
 僕はその時、女の子という特殊な生き物が僕の部屋で眠りこんでしまった事にドキリとしてしまい、それを恥じるように、ユカの存在をこの部屋からかき消してしまうように、そっとタオルケットをかけた。

 ユカがゆっくり眠れるように電気を消す。今度は暗すぎて身動きが取れないのでカーテンを開け放した。僕は一人の人間と対峙して疲れ果てていた。
 ぼんやり夜空を見上げる。
 こんな夜は星の光まで瞳を刺すように細く冷たい。もう夏はすぐそこまできているというのに。


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 翌日から、ユカは僕を見かけても、かけ寄ってくる事はなくなった。
 ユカと話さなくなっても、今までそうだったように、眠たげな毎日が穏やかにのんびりと過ぎ去っていく。

 しかし、あの晩の出来事は、確実に僕の中の何かを変えてしまった。 

 僕は兄弟もなく友人と大喧嘩することもなく、本音で人と向き合った経験がものすごく少なかった。
 僕は喧嘩をしても本音を言うのをめんどくさがっていた。フジタとの時もとことん話し合う事をしなかった。
 僕はフジタの事をユカに聞いてもらえることで、心の中がすっきりと整理され、心に気持ちよい風が通るようになった。
 人に本音を聞いてもらい優しく受けてもらう事がこんなにも穏やかな気持ちへと導いてくれるものだと、今まで本当に僕は知らなかった。

 人から相談されても、僕の狭い許容範囲で許される限度を忠告するくらいの事しかできなかった僕。
 いかに正しい事を言うかしか興味のなかった僕。

 正しい言葉を、かっこいい言葉を、耳障りのいい言葉を聞きたかったんじゃなかったはずのユカ。
 ユカは?スッキリしたのだろうか?
 僕はあれから何度も何度も、ユカの背中を擦った晩のことを思い出す。
 僕とは異質の人間が抱える寂しさについて。
 彼女がなぜあそこまで寂しがるようになったのかについて。
 もっと踏み込んで聞いてあげればよかったのだろうか。
 彼女の寂しさの元凶を。僕がもう少し気の利いた男なら、もっと違う方法で癒してあげられたのだろうか?

 僕の許容範囲には今まで許容か拒絶しかなかった。
 自分と違うタイプの人達をいつもいつもいつも自分の尺度でしか許容できず、否定していた。
 僕は考え続ける。
 人を受け入れるという事について。
 僕は考え続ける。
 人を許すという事について。

 いかに、僕の許容範囲というものが、周りの世界を狭く、僕を息苦しくしていたかについて。
 ぐるぐるぐるぐる考え続ける。

 7月になった。
 前期試験も終わりバイトに励んでいると、バイトの同僚相原が、中途半端にのびたヒゲをポリポリかきながら話しかけてきた。
「なぁ、最近、佐々木優花 お前にまとわりつくのやめたみたいだな。」
「あ?どうだろうな。」相原とユカは噂になっていた事があった。
「今は佐々木優花、経済学部の新田を追いかけてるみたいだぜ。」
「ふーーん。」
 相原はまだ何かを話していたがよく聞く事ができなかった。

 久しぶりに大学に行くと、7月の陽射しに照らされて青々と光る木々に囲まれたキャンパスで、小走りに急ぐユカの姿を見つけた。
 ユカは髪を栗色に染め短く切っていた。
 のんびりとした生暖かい風にユカの髪がユカの動きにあわせて柔らかく跳ぶのを、僕はのんびりと見つめた。

 気がつくと僕は衝動的にユカを追っかけ、人気のない校舎裏の木の下にユカをグイッとひっぱりこんでいた。

「どうしたの?」ユカはびっくりして僕を見つめ返す。

「なぁ、今日バイトないだろ?」息を切らして言葉をつないだ。「今から映画見に行こう。」
 ユカは驚いて口をポカンと開けた。「なんで?」
「俺、ユカと友達でいたい!ユカに本当に大好きな人が現れるまで、寂しさに負けて変な男に引っかからないように守ってやるよ。」
 しばらくの沈黙の後、下をむいていたユカが顔をあげた。泣き笑いのような顔で
「私は、私を受け入れて抱きしめてくれる人を捜しているんだよ。そんな中途半端な男いらないよ。」ってつぶやく。
 僕は優しく笑った。
「そういう男が見つかるまでの暇つぶし、手伝ってやるよ。」

 夏独特の湿気を帯びたベタベタした風が僕達の肌を包む。
 「なぁ、この夏休み海に行こう。山にも。」
 季節は夏本番。
 僕達の頭上で木々がザワザワとそよぐ。更にその上で青々とした東の空に、入道雲がもくもくと巨大な大男を形作っている。


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