あたしはあたしの道をいく

2007.02.15
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『世界の中心で愛をさけぶ』の片山恭一の本。

『世界の中心で愛をさけぶ』の印象 はとても青臭くて透明感のあるものだったけど、

これはまた、ちょっと変わった感じ。



チャットで知り合った、ピラニア・スピード・ソックス・クッキーの4人の物語。

第一章は、チャットルームの会話みたい。

それぞれが好き勝手なことをネット上に書き散らしている。

はっきり言って、苦読。



第二章は、摩訶不思議な怪奇冒険譚じみたものになる。

何を書かれてるんだか、理解不能で、これまた、すごく苦読。





前に読んだのが『蒼穹の昴』だったせいもあって、

浅田次郎と片山恭一の力量の差を見せ付けられる感じだった。





が。





浅慮でした。





読み進めていくうちに、大きなジグソーパズルのピースを一つずつ嵌めていくと、

全く分からなかった全体像が少しずつ見えてくるのと同じように、

いろんなことが、寒気のするほどきれいに組みあがって来た。



なんという、構想。

無駄が無く、シンプルで、スマート。

文章は『世界の中心で愛をさけぶ』同様に、若さと透明感を持っていて、

複雑に絡み合った糸を丁寧に解きほぐすように進められる、ストーリー。



なのに、苦痛にしか感じられない第一章他を通過しなくちゃ、

この醍醐味が味わえないっていうイジワルさ!

絶対、途中で放り出しちゃった人もいるわよ、コレ。

てーか、よく放り出さなかったな、あたしって思う(笑



面白かった!



オススメ。




ところで、気になったところを跋。

これはずいぶん後の方に出てくるところなんだけど、

とても強い印象を残してくれる文なので、ちょっと長いけどそのまま書く。

(ネット上で読みやすくするため、適宜改行を加えた他はまったくの抜粋)



***************************



「戦争がはじまり、土地はすっかり荒れてしまった。たくさんのミサイルが降った。

ミサイルは人を肉片に変え、飛び散った地や肉は緑豊かな地を砂漠に変えた。

それでなくても旱魃がつづき、国全体が飢えに直面していた。

そこへ戦争がはじまったものだから、大勢の人たちが死んでいった」

彼は一つ一つのことを思い出すように、ゆっくりと話しつづけた。

「弱いものからばたばたと死んでいったよ。年寄り、病人、赤ん坊……

俺たちは腹を空かせて、砂漠を何マイルも何マイルも走りつづけた。

途中で何人もの友だちが死んだ。腹を撃ち抜かれた友だちは、

飛び出したはらわたを手で押さえて走りつづけた、泣き叫びながら。

しかし立ち止まったら最後、誰もたすけてくれない。押さえても押さえても、

はらわたは出てくる。とうとう足が動かなくなり、友だちは砂の上に倒れた。

走りながら振り返ると、どこから現れたのか、

野犬の群れがあいつのはらわたに喰らいつくのが見えた」



そこで男は言葉を措いた。

仲間の最期の情景を脳裏から追い払うように、彼は目を閉じたままで頭を軽く振った。

「この国では大人も子どもも、戦争で傷付いて死ぬか餓死するかしかなかった。

運良くどちらも免れた者は気が狂った。餓死がどんなものか、ほとんどの連中は知らない。

歳はおまえたちくらいでも、顔は七十や八十の老人にしか見えない。

一日で何年分も老けていく。自分で自分の体内の養分を喰っちまうからな」



「助けは来なかったのですか」スピードがたずねた。

「いろんな連中が来たよ」男は目をあけて言った。

「しかし何年か、何ヶ月かすると帰っちまう。小麦粉と毛布、医薬品だけを置いてな。

そのたびに俺たちは見捨てられたような気になった。

親しくなった連中もいて、英語を教えてくれたりしたものだ。

でもみんな帰ってしまうんだ。何もかもほったらかして。一時の気まぐれみたいに。

やがて俺たちは、最初からそういうつもりで連中とつきあうようになった。

こいつらから絞り取れるだけのものは絞り取ってやろう。

どうせいつかは俺たちを見捨てて帰るやつらだ。

けっして心を開かず、親しくもならなかった。

なかには親身になって病人の面倒を見てくれる医者もいた。

彼はずっとここに住み着いて医療活動をつづけていた。

村の年寄りなどは聖人みたいに崇めていたが、俺は信用しなかった。

やつには自分の国がある。ここに住み着いているからといって、

俺たちの置かれている境遇とは天と地ほども違う」



***************************



これは、ユニセフだったか国境無き医師団だったか、

とにかくソレ系の団体のサイトで読んだことときれいにカブる。



世界のどこかで、天災にしろ人災にしろ、何か悲惨なことが起きると、

世界中からすごいスピードで援助がなされる。

たとえば、スマトラ沖地震による津波被害。

あれも、被害が起きてすぐ、各国が動いて、援助を行った。

あの迅速さはすばらしいもので、賞賛に値すると思う。



だけど、たとえば、アフガニスタンだったりウガンダだったり、

「悲惨」が日常になってしまった国は、ニュースからも消え、

社会の人々の意識からも消え、支援の手が差し伸べられなくなる。

一時的な被害によるものより、恒常的な日常が悲惨なものである分、

事態は余程深刻だと思われるのに、この危機は忘れられてしまう。



何もしないよりは、良い。

確かにその通りなんだけど、あたしたち先進国の人間がやってる寄付って、

他人の「不幸」に値段をつけて買ってるだけなんじゃないかって気がする。



まるで観劇か何かのチケットにお金を支払うみたいに。

話題性のある劇には、それなりに観客が動員されて収入があるけど、

話題性がない劇は、どれだけすばらしいくても動員がのびないみたいに。


あたしたちの寄付って、何なんだろう。

支援を必要としてる国は、別に演劇をしてるわけじゃなくて、

対等な立場の国だし、同じ価値をもつ人間のはずなのに。



災害に対する寄付って、それ自体を否定したくは無いんだけど、

なんだか、とっても無責任なことをしてる気がする。



大昔、あたしが中学生だった頃の社会科の先生の話を思い出す。

   東南アジアの国で災害が起きて、先進国が支援に乗り出した。

   まず食料を確保しなくちゃいけないから、欧米で主食のパンを送った。

   ところが、そこはタロイモだとかキャッサバだとかが主食の国。

   タロイモとかより、パンの方が余程おいしくて、みんなパンを好むようになった。

   ところが、気候だか土壌だかの問題で、小麦を育てることが出来ない。

   仕方が無いから、小麦を輸入する。

   輸入するためには、お金が必要で……

   と、経済的に悲惨な状態に陥っていった。



こうやって書いてみると、まるでアヘン戦争みたい。

支援って、よく考えてしないといけないことなんだよね。

無責任にお金をばら撒いたって、決して、良いこと無いんだよね。

難しいね、支援って。








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Last updated  2007.02.15 16:01:00
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