あたしはあたしの道をいく

2007.11.02
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カテゴリ: 本@AC関連

〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか

東ちづる、って人の本。
広島県出身タレントさんなので、名前くらいは知ってるけど、
そもそもTV見ない、芸能ネタに興味ない、という私はそれ以上のことは何も知らない。
でもこの本はアダルトチルドレン関連本なので、前から興味があった。

その期待は、裏切られなかった。
とても良くて、期待以上。

アダルトチルドレンに関する本を読んできて思うんだけど、日本と欧米に圧倒的差がある。
今でこそ、色々なところでアダルトチルドレンについて語られるようになったけれど、
日本は輸入してその考え方を知ったのであって、日本で派生した考え方ではない。


AC関連本で回復について語られるとき、必ず対決について触れられる。
親と対決するのは、対決によって和解することを目的とするというよりも、
親に対する諦めを持ち、過去の自分自身を越えることを目的とするようだ。
ケンカ別れになるかもしれないが、それはアナタにとても意味のあることなのだ、と。

この考え方に異論があるわけではない。
ただ、国土の狭い日本では難しいと思う。
広大な国土のアメリカでは、州を越えてしまうとずいぶん距離があるはずだ。

対決して、ケンカ分かれに終わった。
でも、車で30分そこらに住んでいるのでは、知らぬフリも出来ない。
車で30分とは言わなくても、北海道から沖縄までだって、飛行機でスグだ。
顔を合わせれば、いつのまにか、ナアナアのままに、以前の関係に戻っていく。


地縁、血縁、たくさんの「縁」が張り巡らされている。
盆正月は日本全国が帰省ラッシュに覆われる。
「年に1・2回は実家に帰省する」というのは日本ではかなり一般的だ。
さらに、戦前ほどではないにしても、儒教の考え方はまだ色濃く残っている。

連絡も関係も断つ、というのは「絶縁」に近いことで、一種の悲壮感を伴う。

いちいち「絶縁」を覚悟しなくてはならないとしたら、それはあまりにも高いハードルだ。

私自身、何度か対決を試みた。
が、その都度挫折してきた。
心構えが、覚悟が足りなかったのだ、不退転で望むべきだったのだ、
と言われてしまえば返す言葉もない。

でも。
でも、だよ?

日本はまだまだジジババを戦力にしない子育ては大変だ。
出来ない、とは言わない。
だけど、とても大変だ。

共働きの支援体制も、整っていない。
専業主婦の支援体制も、十分でない。
凶悪化していく社会は、サービス充実の追随を許さない。
企業風土は少子化対策に向かっていかない。
長引いた不況は、家庭から「サービスを買う」経済力を奪う。

ACの克服を目的に、両親と対決し、ケンカ分かれになった時、
ACという視点からのストレスはずっと軽減されるかもしれない。
親と訣別し、親離れして、自己の人生を生きていくのはすばらしいことだ。
でも、そのために陥る過酷な環境も、別に存在するのだ。
時間との戦い、家計との戦い、眼窩の消えない隈、荒れる肌、慢性睡眠不足、フル回転。

私は、親と対決し、訣別しなさい、というのは日本では難しいと思う。
少なくとも、一般的に「しつけ」と言われる程度の虐待で傷つけられた子どもに、
そこまで求めるのは酷なのではないかと思う。
AC関連本を読んできて疑問を感じていた私には、この本は、理想のカタチに近かった。

散々、親子で「対決」を繰り返しながら、解決できなかったことを、
カウンセラーの力を借りた、三者面談で解決していく。
まさに、和解。

確かに、「ちょっとそれは…」というところもある。
著者が終始「母は……」という視点であることが気になるし、
そんなに親を気にしなくても良いのに、とまだるこしく感じることもある。

私は、ACの克服は「親からの見えない束縛から自由になること」だと思っている。
だから、終始「母は……」と言い続け、母親のAC克服を全面に出している著者の姿は、
とてもACを克服したとは言えない。
親はどうでもいいから、アナタはどうなのよ!!
といいたいキモチを何度も飲み込んだ。

でも、この本に納められているカウンセリングのなかで、母娘の関係は劇的に変わる。
東ちづるさんは兎も角、母親が劇的に変わり、母娘関係も変わったのだ。
これは本当に、大きなことだと思う。

そして。
その変化には、カウンセリングが欠かせなかった。

カウンセリングの様子が書かれているのだけれど、
私は、今になって、私のカウンセラーと私が合わなかったことを知った。

確かに、最初の2・3回は胸の中に長年溜めてきた思いを開放することが出来たけれど、
それ以降、全く世間話以上の話が出来なかったのだ。
私がカウンセリングを受けたカウンセラーも、私と同じように精神的虐待を受けた人で、
「いい子である悲劇」を身をもって知っている人だった。
私は、カウンセラーのその傷口を意識しすぎた。
私が彼女と共通するような傷を晒すと、大きく同意して自分の考えを語った。

これが相性の問題なのか、私が彼女に母を重ねたせいなのか、彼女の力量不足なのか、
それは、専門的なことだし、もうずいぶん前のことになってしまったので、分からない。
カウンセリングを受けたのはじめてのことなので、こんなものだと思っていたし、
友人にも夫にも喋れなかったことを喋ったのは確かなので、疑問も抱かなかった。

でもやっぱり、「合わなかった」としか思えない。
45分の時間中、40分まで関係ないことしか喋れないなんて、変だ。
もっと早くに疑問を抱けば良かった、と思った。
「カウンセリングなのに話せない」「カウンセリングだから話さなくちゃいけない」、
そんなふうに考えて随分辛い思いをしたというのに。

私のカウンセリングがうまくいかなかったのは、
私が悪いせいだと感覚的に思っていたのだけれど、
そうではないと知って、とても心が軽くなった。





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Last updated  2007.11.02 16:14:03
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私も気になってます。  
えみくりん  さん
ずっと東ちずるがACを克服したという話は知っていましたけど、本屋さんで出会わなかったので、何となくそのままになっていました。

でも、たすくさんの日記読んで読んでみたいかもと思いました。

決別は無理ですよね。
それは思います。
今の日本で専業主婦で居られるというのは、よっぽど旦那さんの給料が良いか・・・もしくは金銭的に苦労してるんでしょうね。
それなりに大きな買い物をするためには、自分の好きな事も我慢しなければいけない状況なんですよね。

今日、子供はふとした瞬間に母親の愛情を感じたいのかも・・・って思いました。
いつまでもありのままの自分を受け入れて欲しいんだなぁって。。。
(2007.11.02 16:26:35)

Re:『私はなぜカウンセリングを受けたか』(11/02)  
あめふりん  さん
今日のお話を読ませていただく限り、そのカウンセラーさんは力量が無い方だと思います。

私は多少大学でカウンセリングの勉強をしたので、私も最初は主治医から勧められたのですが、拒否しました。
主治医の先生にもネタバレしているので・・・と話したら笑って了承してもらえました。

一度だけベテランのカウンセラーさんならばと条件つきで他の病院で受けたことがあったのですが、やはり彼ともかみ合わないと感じたので、1度だけでお断りをしました。
自分で自分を知ろう、変わろうという力をもっている人にはカウンセリングはいらない・・・というのが私の主治医さんの考えです。 (2007.11.02 20:47:21)

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