あたしはあたしの道をいく

2008.04.03
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何年かぶりに、源氏を読んでいる。

読んでいる、と言っても今更に原文を読む気にはならず、田辺聖子版。

新源氏物語(上)

考えてみれば、中学時代にコレを読んだがために大学まで源氏を追っかけたのだが、

現代語訳源氏は、コレと『あさきゆめみし』しか読んでいない。

与謝野晶子、挫折。

谷崎潤一郎、挫折。

瀬戸内寂聴、当時未完。

まあ、卒論に扱ったくらいなので、原文(現代活字版)は読んだけどさ。



当時どっぷり漬かっただけに、源氏を読むのが辛くなって、



10年ぶりの源氏、15年ぶりの田辺聖子訳、

読み返してみると、当時と感覚が違っていて面白い。

もし今が初読だったら、私は源氏にハマらなかっただろうな、と思う。



以前、ライトノベル、という分野の定義が知りたく、

Wikipediaの ライトノベルのページ を読んだことがある。

その中で、源氏物語もライトノベルだと言う人もある、との表記があったが、

今、田辺源氏を読み返してみると、「これぞライトノベル!」という感じが確かにする。

中学・高校時代、私はティーンズ向け小説にも随分はまったけれど、

世間の扱いは全く違っても、源氏も似たようなところがあったわけだ。



ライトノベルの特徴の一つに、キャラ立ちがあると思うのだけれど、



女性たちにしても、それぞれにキャラ立ちしている。

ツンデレの葵、嫉妬のカタマリの六条御息所、カルい夕顔、野暮ったい末摘花……。

キャラ立ちと言う面では、ライトノベルの特徴を十分満たしていると思う。



それに、展開が恐ろしく速い。

出会った途端に口説く&ヤる@空蝉、軒端荻



あっけなく死ぬ@夕顔

簡単に妊娠する@藤壺

この展開、ケータイ小説顔負けなんですけど、どーよ?



それに、丁寧な言葉で書かれた現代語訳では分からないけれども、

実は、原文源氏はとっても「話し言葉」なのだ。

私たちが目に出来る原文、といったって、所詮活字になったもの。

当時の文化には句読点は無く、活字版原文にある句読点も、

しょせん、後世(主に現代)の研究者が挿入したものに過ぎない。



以前、現役高校生がパーソナリティーを勤めるラジオ番組があって、

それを聞いて呆気に取られたことがあるけれども、まさしくあの調子だ。

「―――――――――――でぇ、

 ―――――――――――なんだけどぉ、

 ―――――――――――しちゃってぇ、

 そしたら―――――――――――――でぇ、

 でも『―――――――――――――』って言われてぇ、

 ―――――――――――なっちゃってぇ」

という調子で話し続けて、「―――――――――――なんですよぉ」

と一旦の区切りがつくまで3分ぐらいかかる、アレ。

アレに酷く似ている。



ということを頭に入れてみると、とてもライトノベルやケータイ小説に近いのだ。

勿論、歌人定家をして、「源氏読まざる歌詠みは……」と言わしめた、

現代の日本人に通じる、あの感性は特筆すべきものがあるし、

紫式部一人の著作であることに疑いがあるにしても、これだけの大作はなかなか無いこと、

その後の日本文化に多大な影響を与えたことや、

千年間も愛され続けてきたことなどは、ラノベの域を超えているけれども。



なんてことを思いながら、拍子抜けする思いで田辺源氏を読んでいるのだが。

源氏は、桐壺・ハハキギ(字が出ん)で光源氏の親帝の恋を描き、

光源氏出自を描くのだけれども、田辺源氏はこの2つを割愛して、

突然、空蝉の巻から始まる。

いやー、濃いねー、空蝉。

久々に、疼いたー(笑

女が書いた小説だってのを今更に思い知ったわー。



男が読む源氏、ってどんなんだろう?

男の人が源氏を読むと、どう思うのかなあ?

土方も読んだんかなー?

土方、歌詠みだったらしいしなー、源氏って歌人必携の書だもんなー。

あの当時、源氏ってどんな風に読まれてたんだろう?

本居宣長とか調べたら、近いものが分かるかなー?





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Last updated  2008.04.03 12:29:08
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