蓼科高原日記

蓼科高原日記

2011.04.05
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2011年4月5日(火)



コミュニケーション幻想


かつてマーシャル・マクルーハンはTVによって地球はひとつの村になると予言した。しかしその予言に最も近い様相をもたらしたのはインターネットなのかもしれない。このホームページとブログを立ち上げてすでに15年を経過しようとしている現在、当初の熱気とは裏腹に「それはやはり違うのではないか」と感じ始めている。

「情報の伝達と交換」という事実と、「コミュニケーション」という行為とは微妙にそして決定的に異なるのではないか。そんなふうに感じている、それもとても強く。

インターネットという未来的な衣装をまとったシステムによって私たちは本当にコミュニケートしているのだろうか。私にはどうもそのようには思えない。それはなぜなのだろう。

私たちの心は抽象やメタファーを通じてふれあうようにはできていないのかも知れない。100万文字の電子メールより、ひとつのまなざし、そっと肩に手を触れる行為のほうが勝(まさ)っているのではないか。「手紙(もちろん手書きの)」のメタファーとしての電子メールはやはり「手紙」ではないのかもしれない。それはあくまでも実体のない手紙(のようなもの)でしかないのかも知れない。

私は何もかもがデータとして扱われる「洗練された(とされる)社会」を「進化した社会」と感じることができないでいる。そのような社会では私たちは上田秋成の『雨月物語』にあるような「物」として振る舞うようになってゆくのかもしれない。

『我(われ)今仮に化(かたち)をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮(こころ)あり。』『我(われ)もと神にあらず仏にあらず、只(ただ)これ非情なり。非情の物として人の善悪を糺(ただ)し、それにしたがういはれなし。』

(「いま私は仮に人間のかたちをしてここに現れて語ってはいるが、神でもなく仏でもない。もともと感情のないものであるから、人間とは違う心の動きを持っている。」「神でも仏でもなく、ただ感情を持たないものである。だから人間の善悪を判断する必要もないし、人間の善悪の基準に従って行動を律するいわれもない。」)





☆たてしなラヂヲ☆

http://twitter.com/tateshina_radio



※※※


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Last updated  2011.04.05 18:36:34
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