蓼科高原日記

蓼科高原日記

2011.06.18
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カテゴリ: 困ったもんだ!

「ゆっくり歩け。たくさん水を飲め。」

良い言葉だ。村上春樹の小説「アフターダーク」に出てくる台詞だ。今の僕にはじぃいんとこころに染み渡る言葉かも知れない。言葉には力がある、だから当然のことながら文字にも文章にも力が宿っている、と僕は信じている。だからこの日記を書き続けることができる、どんなときでも。

急に幼稚園の頃を想い出す。僕は年中組から入園したのだが、そこはいまにして想えばかなりエキセントリックなカトリック教会が運営する幼稚園だった。幼児時代のおぼろげな記憶をたどると、入園早々に「聖体拝受」みたいなことをやらされた覚えがある。「洗礼」ではなかったと思う、たぶん。すくなくともインフォームドコンセントがなかったことだけは確かだ。

その幼稚園の生活は文字通り修道院生活に等しいものだった。あるいは修道院の幼稚園版と言っても良いかも知れない。幼稚園とは想えないほど静けさに満ちた幼稚園だった。すべては主のご意志のもとにあった。すくなくとも保母であるシスター達は徹底してそのようにふるまっていた。静かなふるまいを強制され、祈りを強制された。

奇妙に大人びていた幼児であった僕は彼らの行動や言動の矛盾点が目についてしかたなかった。だから率直にそのことを主張した。今思い返すと僕の言動は完璧に「神への冒涜」だったんだね、彼らにしてみれば。でもさ、年端もいかない子供の言いぐさだよ、何をムキになっていたんだろう。信仰心が足りなかったんだろうね、彼らは、たぶん。

以来彼らは僕をヘルマン・ヘッセの小説の主人公「デミアン」みたいに扱った。「宗教的迫害」が始まったのだ、ははは。多勢に無勢で戦っていてもその喧嘩の悪者は僕と言うことにされて、僕だけが説教され、親が呼ばれた。僕の書く作文も、描く絵も、こんなものは子供の書くものではないといってことごとく否定された。

ああ、これが宗教か、こんなものが神の国ならば、そんなものはいらないと想った。奇跡を起こさなければ信心されない宗教なんて、哀しいね。そんなことすら感じていた僕はじっさいに「デミアン」だったのかもしれない。

まあ、結果として僕は破門されるようにして退園することとなった。おいおい、幼稚園中退だぜ、ははは。彼らには彼らなりの事情なり信条なりがあったのだろう。しかしこれが幼児に対する正しい接し方なのだろうか。それだけは永遠の疑問として僕の中に残っている。



祈るこころこそが世界を救うのであって、民を救うのであって、神や宗教家がそれを行なうのではないと言うことをはっきり区別して認識しなければいけない。どうして世界を救うのに多額の資金が必要なのだ、分不相応なほどの布施が必要なのだ、どうして宗教関係者はリッチな生活を送っているのだ、おかしいじゃないか。そんなものは必要ないと、様々な「神の書」には書いてあるぞ。

イデオロギーとしての宗教、戦争の大儀としての、殺人の根拠としての、権力の理由付けとしての宗教はいらない。グローバリズム、宗教、民族主義というイデオロギーがせめぎ合っているのが現代世界の実像だ。このせめぎ合いこそが終わることのない戦争や殺戮の理由のほとんどすべてだと言うことにそろそろ明示的に気が付いてもよい頃合いだと僕は想っている。

余談だけど、その後僕はどの幼稚園にも行かなかった。理由は簡単、幼稚園のやつらは「幼稚」だから。じっさいに自分がそのような言葉を口にして親が目の玉をひんむいて驚愕していたのを今でもはっきり覚えている。じつにかわいくない幼児だったんだ、僕は。自分でも信じられないくらいだよ、いまとなっては。


from 信州蓼科高原・標高1800m


☆たてしなラヂヲ☆

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Last updated  2011.06.18 13:56:07
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