今日の写真:「遥かなる木曽御岳山/蓼科高原」
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NIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR
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「いちばんよいことは、その日その日の出来事を書きとめておくことであろう。はっきり知るために日記をつけること。取るに足りぬことのようでも、そのニュアンスを、小さな事実を、見逃さないこと。そして特に分類してみること。どういう風に私が、このテーブルを、通りを、ひとびとを、刻みたばこ入れを見ているかを記すべきだ。なぜなら、変わったのは<それ>だからである。この変化の範囲と性質を、明確に決定しなければならない。」
ジャンポール・サルトルの出世作「嘔吐」の冒頭の文章だ。
もし学生時代にこの小説と出会わなかったなら、この文章を読むことがなかったとしたならば、私の人生に対する考え方、世界観、そして何よりも人生そのものはおそらく大きく異なったものになっていただろうと思う。改めていまそう思うのだ。
そのことがなかったならば、サルトルの「存在と無」をまくらに寝るようなこともなかったと思う。30年もかけて読み解くことも無かったと思う。
この文章はまさに私にとっても「我が意を得たり」といったものだったのだ。ここで語られていることのじつに深い意味については「嘔吐」を読んでもらうほかないのだけれど、これが私にとっての「この世界」への入り口となった。
それは同時に「宗教の語る神」への決別でもあった。
ひるがえってこのブログを思うに、どうも今日の日記の冒頭のサルトルの文章通りのことを行なっているような気分になってくる。
あるときは伝えたい一心でしたため、ある時はどうでも良いことのように感じながら記す日記。
しかしまさに、これはどういうふうに私が、この森を、山を、空を、ひとびとを、吹き抜ける風を、それらを観ているかを記している。なぜならば、変わるのは<それ>だからだ。
これは私の「世界観」に関わることだから変えようがない。
January 1, 2017・記
from 蓼科高原ペンション・サンセット
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