以下はロラン・バルト「明るい部屋/写真についての覚え書き」からの引用である:
「映像の前提条件となるのは、視覚である」、とヤノーホがカフカに言うと、カフカは微笑してこう答えたという。「いろいろなものを写真に撮るのは、それを精神から追い払うためだ。私の小説は目を閉じるひとつのやり方なのである。」と。
写真は無言でなければならない(騒々しい写真があるが、私は好きではない)。これは「慎み」の問題ではなく、音楽の問題である。絶対的な主観性は、ただ沈黙の状態、沈黙の努力によってしか到達されない(目を閉じることは、沈黙の中で映像に語らせることである)。写真が心に触れるのは、その常套的な美辞麗句、「技巧」、「現実」、「ルポルタージュ」、「芸術」、等々から引き離されたときである。なにも言わず、目を閉じて、ただ細部だけが感情的意識の内に浮かび上がってくるようにすること。
以上、引用終わり。
この考えをどう評価するか、受け入れるのか、受け入れないのか、共感を覚えるのか、違和感を覚えるのか、支持するか拒絶するか。それは各自の思考における直感あるいは素直な主観にゆだねるべきだと思う。
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夕暮れ時のカーテン/curtain at dusk
170106-DSC_1827-9d
NIKON D610, 50mm of AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR
from 蓼科高原ペンション・サンセット
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