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年末に東京→京都→愛知(私の実家)と
日帰りのハードスケジュールの見仏の旅をしました。
その おまけ見仏記
です。
餅つきの次の日、父が
「岡崎城に行きたい」
と言い出し、
両親とダンナと4人で岡崎城へ。
岡崎城
は 徳川家康
の生まれた城です。
家康が江戸に移ってからも、
「神君出生の城」として、本多氏、水野氏、松平(松井)氏と
家格の高い譜代大名が城主となった城です。
でも、あまりの年末ぎりぎり30日だったので、
天守閣も家康館も閉まっていて入れず、
公園をぐる~っと散歩しただけに終わってしまいました
家康が能を舞う からくり時計
を見て、
八丁味噌アイス
を食べ
岡崎城をあとにしました。
八丁味噌アイス、確かに八丁味噌の味。
でも、1度食べればいいかな。
やっぱり味噌田楽や赤だしの味噌汁のほうがおいしいな
出る前に駐車場でこんな木を発見!
名づけて エイリアンの木
幹の上のほうにもうすぐ生まれそうな
エイリアンがいるのわかりますか?
そして、帰りの道沿いにあった 大樹寺
に
「せっかくだから、ちょっと寄ってく?」
みたいな軽いのノリで行ってみました。
松平家の菩提寺
で、家康ゆかりのお寺。
今川義元について 桶狭間の戦い
に参戦し、
敗れた際に 家康が逃げ込んだお寺
として知られているそうです。
私は三河の出身だけど、知らなかった…
山門は1641年 徳川家光建立

おお~立派![]()
なんだ~こっちのほうが私たちの好みじゃないかと
のりのり
で中へ。
多宝塔
(重文)1535年松平清康建立
これが、大樹寺の最古の建造物だそうです。
夕日に佇む多宝塔もいい感じでした
電線が邪魔![]()

松平8代と家康の墓
一番手前の立派なのが、家康のです。
そして、いよいよ本堂に。
本尊は 阿弥陀如来坐像
でした。
平安末期の寄木作りで、京都の泉湧寺から迎えられたそうです。
修復を重ねているらしく、金箔がきれいで新しく見えました。
穏やかないいお顔でした![]()
本堂の柱には、家康の旗印となった
「厭離穢土」「欣求浄土」
と大きく書かれていました。
住職の説明によると、大樹寺に逃げ込んだ松平元康(のちの家康)に、
当時の住職13世登誉上人が、「厭離穢土欣求浄土」の教えを諭し、
以後家康は戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として
国を平定していったとのことです。
本堂の脇には、寺宝が収められている部屋がありましたが、
ここには入らず退散するととに。
後で調べたら、 阿弥陀三尊像
と 十六羅漢像
、 木造徳川家康坐像
が
あったらしいです。
私たちが帰ろうとしたら、何かの供養のお経が始まりました。
女性2人だけでお参りしていました。
ちらっと振り返ったら、
住職のそばに ペルシャねこ
がちょこんと座っているではありませんか。
ねこもお経あげてたのかしら![]()
予定外の見仏でしたが、
なかなか歴史の勉強をさせてもらいました。
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おまけ見仏を堪能していただけたら
ぽちっ ぽちっ としてもらえるとうれしいです。
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