沈木・川イルカ・地平線



 20代後半、二等航海士として貨物船で駆け巡った。シベリアの赤松を満載し、悠久の大河アムールを何度も航行した。

 伏木や青森の夜を飲明かし、日本海をリマン海流に乗って、樺太の西、間宮海峡を抜けた緑の海域で潮とパイロット待ち。シベリア大陸の雪解け水はタイガの黒土で濁り、水深も浅いアムール川を慎重に半日程かけ、川岸の港に着いた。寡黙で痩身の水先人はパイプを咥え、目で合図して若い兵士と共に談笑しながら、ここで下船。一仕事終えた白系ロシア人の自信の横顔がようやく微笑んだ。

 本航海で3つの珍しい体験をした。沈木(ちんぼく)と川イルカと地平線。
 シベリア大陸の春と夏が同居し短く一気に生命の緑立つ、渺ゝたる地平線。豊穣の鬱蒼たるタイガを縫って流れ来る、黒き水と岸辺に点在する木造家屋。たなびく煙に水浴びする幼子。

 太陽は低く殆ど変化せず。時間が止まって、うねる大河にぽつぽつと柳がそよぐ。際なき赤い地平は絵画の主題。音もなく流れ来る危険な沈木。主席操舵手は目が吊上がり、パイラーの命令に一々復唱する。 
 沈木にぶつかり舵が破損すれば、即航行不能、荷主に顔向けできない。木は浮くものと思っていたが、見えざる流木は比重が重く、川底に自沈するまで、水面に浮くことなく水と共に流れゆく。

 その折、運がよければお目にかかれるのが、川イルカ。揚子江イルカは夙に有名だが、つかの間望外の川面の慰みを喜ぶ。

 両岸の浮き桟橋が港で、コンクリート岸壁とは様相が異なり簡素なもの。夢見た大陸に今到着した事を、大地を踏みしめ実感した。

 上陸後、濃霧に透ける鉄条網の柵の外で、無線で連絡を取り合う十代の兵士の検閲を受ける。胸には機関銃が当たり前のようにかけられて、鈍く銀色に光っている。

 材木運搬用のトラックの荷台に乗せられ、ぬかるんだ轍の凸凹道を猛スピードで、案内された瀟洒な建物。
 シーメンスクラブで、少数民族の踊りなど純朴な歓迎の宴があった。後にも先にもこれ一回。最初の入港時に、乗組員を慰労する慣わしであったのだろう。

 当時、多くの材木運搬船の士官は日本人で乗組員はフイリッピン人。その夜、人懐っこい南国人の黒い顔は見かけなかった。


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