山紫水明上野焼の里



 北九州から万葉集にも詠われた香春岳に至る福知山脈が、筑豊平野を北西から南東に横たわる。精々20km程度のこじんまりした山系の最も高い山が、901mの福知山。その麓に遠州七窯の一つ、上野焼(あがの焼)の里がある。九州は、朝鮮からの渡来人も多く、郷土の文化や歴史に業績が偲ばれる。山紫水明・風光明媚な自然の中、清流と濃緑な木肌の色と黒く渋い土色を表現した作風が上野焼である。憩いの一服に、手に取ると故郷を想い出す。

 十代の一時期、春から晩秋の晴れた多くの日々、自転車に乗り麓で一掬いの山水を飲み、二時間弱をかけ山頂まで駆け登った。若さは力が漲り少しも疲れない。山頂でたっぷり昼寝の後、そのまま灌漑用の溜池に直行。日が暮れるまで、阿保の様に木の上から飛び込みや水泳で過ごした。その間、何かを食べた記憶がない。受験基準の身体強健なる者を唱へていた日々。

 霊気漂う渓谷の奥、その昔修験者が鍛えた清澄な白糸の滝を眺め、飽きる事がない。滝壷の傍に建つ木柱の銘は南無妙法蓮華経。轟々と流れ落ちくる瀑布の飛沫は四囲の緑に透き通る。水の音・山の精に時と五感が融けて行く。トンビの速い飛翔とひらリ舞い落ちる木の葉が、時の動きを知らせる。

 実りの秋は盛沢山の楽しみ。アケビ採りや山芋掘り。漆にかぶれ、手や顔が真っ赤にただれても、アケビの蔓を見つけ、木にかけのぼり紫色の皮からぽっかりのぞく果肉は野の香り。いくつかはカラスに食われて残念無念。山芋掘りは、コツと精神力と技がいる。蔓を辿って、重く先の尖った鉄棒で、硬い土や粘土と石ころを慎重に分けて堀り進む。少しの手抜きと力加減を間違えると、折角の獲物が途中でぽっきり。気長の作業でわいわいがやがや。

 ある時、いつもと違う麓の裏道で、童謡「かもめの水兵さん」の作曲家・河村光陽の歌碑を見つけ、襟を正した。
 黒ダイア・石炭で一時、賑やかに荒くれた川筋気質の筑豊炭田の町も、エネルギー革命の洗礼を受けた。静けさに復し、元の寂れた山里に落ち着いた。熟し柿を齧った想い出が心打つ名曲を作ったのだと、海に暮らした体験を経て感じる。

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