竜馬と瀬戸内の霧 



 NHKのテレビ番組新撰組がアイドルを起用し放映中。
 評価と見方は様々だが、アメリカよいしょの自衛隊イラク派遣で、日本の治安は激変。今や全国民の心配事、暗い怨念に生きるアルカイダ等のテロリスト集団。
何時の世も主義主張はそれぞれにあり、時代や社会状況と経済問題が背景で絡み合い、一筋縄で是非を論じられない。

 「誠」の旗に誓う農家出の成果主義武闘集団とその対極にいた、竜馬率いる亀山社中を改組した「海援隊」の脱藩の志士。
 竜馬草案「船中八策」の近代思想と万国公法を掲げ、土佐藩中心血気盛んな二十代の若者達。いち早く米国の民主主義に蒙を啓き、本邦初の貿易商社結成。尊王攘夷の混沌たる時代の中を徒手空拳で船出。
 幕末の狂気が生んだ突然変異の全国組織。

 我国で、これほど野望に満ちた清濁正反対の集団闘争はない。

 さて、瀬戸内海は4月と5月に濃い海霧が発生し、航行に気を抜けない難所。
約90年後の昭和30年5月11日に紫雲丸も同様な海難事故。

b余されて厄介者扱いの次男坊、三男坊達で饅頭屋までいた。
土佐商人・郷士才谷屋の倅は泣き虫小僧。姉乙女に鍛えられ度胸満点の幕末の英雄。大州藩から借用して手に入れた英国の蒸気船をいろは丸と改名。

 慶応三年(1867)四月十九日、鉄砲・弾薬等を満載し長崎港を舟歌を高吟しつつ、意気揚揚と出帆。
二十三日午後11時頃、紀州藩の明光丸に追突され、鞆の浦に曳航途中に無念の沈没。事故当時は濃霧が立ち込め、備讃瀬戸の魔の六島沖は船人恐れる最悪な気象条件の春の海。

 いろは丸は航法通り、正しく舵を左に切ったが、明光丸は動転したのか大きく右に切り、行き脚鋭く右舷船腹に激突。
 ここからが竜馬の独壇場。
 紀州藩エリート船長も知らない万国公法に則り、理路整然と命をかけて交渉。

 勝手知ったる長崎丸山の芸妓に自作の歌を歌わせ、世論を味方につけ、紆余曲折の後、七万両の賠償金を勝ち取った。
 収まらないのが徳川御三家紀州藩の面子。

 支払済んだ8日後の11月15日、同郷の陸援隊長中岡慎太郎と共に、京都近江屋でその破天荒な生涯に幕。
 刺客の真相は今も黒い霧の中。


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