芭蕉の旅と一病息災



俳聖松尾芭蕉が、三重県伊賀地方に生まれて今年は360周年。
三重県は一丸となって、芭蕉にあやかったイベントを繰り広げている。
その生誕地は伊賀と上野が各々主張し、諧謔の可笑し味がある。

芭蕉は、1689年(元禄2年)に江戸を旅だった「奥の細道」で、
江戸文化の爛熟期であった元禄時代の俳人かつ随筆家。
故郷を捨て旅の空をさすらい、終に、我国俳壇に歴史的な蕉風俳句を完成させた。

古来、我が国にも旅をしつ、和歌や日記に紀行文、
さらにはエッセィをものにした気骨ある文人論客の先達も数多い。
負けず劣らず、芭蕉も旅から旅への行脚を重ね、
「笈の小文」など多くの紀行文と名句を各地に残し、日本語の乱れる今も燦然たる輝き。
その格調高き17文字に賭けた精神力の強さと力量は秀逸無比。

「奥の細道」だけでも、随行した弟子の曽良の随行日記を含め、
天気の記録の多さと詳細な記述の量に、改めて感心する。天気で元気を回復したものか。
気象や古気候の研究者にとっては、素晴らしく貴重な気象データの宝庫。

おりおりの季節(当時は太陰暦)を詠んだ名句にあふれている。
生を受けたる人間の儚さ、帰らざる時を見つめ、意識を注ぎ、
歌心として自在に発する大和言葉に、移ろう季節に託し活写した一句の深さと重みの意味が、
己が翁の年も過ぎてしみてくる。

芭蕉の旅日記を読んで分かったことがある。
意外にも、体調維持に呻吟している。
旅は胆石症からくる胃痙攣との戦いであり、我が身をだましだましの苦しい道中だった。
現代の交通の利便性に慣れている私には、想像を絶する辛く厳しい日々であったと衿を正す。

人生50年の江戸時代。
齢46歳に達し、既に翁といわれ、渋さを通り越し枯れた風貌で、
杖をつき蓑を携行しての陸奥の長旅。 

経済的支援者でもある弟子達と、黙々と枯野を歩いて、夢幻を彷徨った。
この直向さこそ、頭を垂れて偉大な業績を偲ぶ価値がある。
「五月雨を集めてはやし最上川」 
轟々と降り募る激しい梅雨の最中、日本海の川面に達し、
大自然に向き合う眼差しの強さで、風景と時間を留めた名句の季節を迎えている。

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