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風に恋して ~自由人への応援歌~
そよ風にのって 12章
私は誰?
日々起きてくることや生命の神秘に圧倒されている。平成6年会社の倒産、平成7年夫の他界。それ以降めまぐるしく眼前で展開されてきた不思議な出会いや出来事によって引き起こされてきた個々バラバラの体験が、ここに来て一つに纏まり、激流となり、渦を発生しつつ大河となった。そして大河自身が明確な意志を持ち、私を飲み込み一つの方向へ突き進んで行く。平成8年の初頭から意味も解からないまま体験し続けてきた出来事が、2000年10月30日、31日の2日間の体験のなかで意味を開示し始め、私の意識はそれらの意味や必然性、関連性に気付き始める。
「私とは誰であるのか?」「私は何故ここに居るのか?」「私は何を意図し、何を創造するのか?」「私の生きる意味と目的は何であるのか?」それらの答えが、震えるほどのリアリティ(現実性)を伴って内から溢れ出てくる。意識がキャッチした目くるめく体験を表現することの怖さ(大法螺吹きだと思われる)はあるものの、その怖ささえ捨てることを、私の意識は了解する。これからお話するストーリーは,誰の目にも見え、共通に聞こえるという次元のものではなく、私のみが見え、具体的に体験した、正に私にとってのリアリティ(現実)です。どのように受け止められるかは、私の話を聞く(読む)あなたの自由意志であることを、あらかじめお伝えしておきます。
時間をはずした日の祭
この特別な2日間が訪れるきっかけは、7月初めの頃だっただろうか。友人から一枚のファックスが届き、「行ってごらん。私は今ひとつだったけれど、浜口さんも体験してみるといいよ」との連絡を受けた。そのファックスには「CRIADOR(クリアドール)光のワーク開催!!-2000年エネルギー変換のとき、私たちの心も意識を変えるときです。あなたの内なる光を観て、あなたが光となるワークです。高(光)次元の水と精霊たちのサポートにより、自分が神(=光)であることを体験します。自分が宇宙の創造主であることに気付く為のワークです。宇宙とつながった時に、自分の宇宙を耕し直し、自分自身を書き換えることが、実生活での変化の契機になります。自分の内側を観ることによって自分の発した問いに対する答えが現われます。答えを外に求めることがなくなります。自分の中心とつながることにより、人生の目的が明確になります。ワークを繰り返し続けることにより、自分自身がクリアーになります。」と書かれていた。読んでも特に感じることはなく、積極的な意思も意欲も湧いてこなかったのだが、ただその開催日が2000年7月25日になっていることに私の意識が反応した。「7月25日、時間をはずした日の祭」をしようという呼びかけを受けており、その日、山形「スバルの会」の友人たちが、それぞれ子供達も連れて一泊二日でその祭を実行することを知らされていた。参加したいと思いつつも経済的な理由から出かけることが出来ず、私は私一人の祭をやってみようという意志だけがあった。「7月25日か?これも何かの縁だろう。他に何も思いつかないし、行ってみるか?」軽い気持で、そのワークなるものに参加した。何も期待していなかった。私の「時間をはずした日の祭」にしようという意識だけがあった。
一回目のワーク体験―2000年7月25日
参加者の中に早稲田大学の女子学生がいた。彼女は心では精神世界に憧れ、そこに入っていきたいとの渇望を持ちながら、これまで多くの人に話しを聞いてきたが、誰も自分の知性を納得させてくれる人に出会わなかったと言う。「言葉で話せないのは、偽者よ。」と主催者に迫る。相対的価値観の中で学び、育てられ、相対的言語で何とか識りたい、解かりたいという想いが交錯しながら苦しんでいる。言葉だけで識ろうとすればするほど、彼女の求めるものは彼女から離れていく。本当に識りたければ、言葉だけに頼って議論することではなく、意識を体験することだし、体験を通して感じることよと思いながら、彼女と主催者のやりとりを聞くともなく聞いていた。
瞑想終了後、彼女から「どんな感じですか?」と聞かれる。「どんな感じ?ごめんね、私の持っている言葉の力では説明できないわ。例えばいい気持よと言ったところで、いい気持という言葉で伝わる内容は、聞き手一人一人で違うでしょう。聞き手が知っているいい気持の中身は、その人がこれまでの人生で体験してきた本人だけが解かる感覚で、私の体験とは厳密に言えば異なると思うの。言葉はとても相対的なものだし、言葉に忠実になろうとすればするほど、伝えたい内容と離れていくので話せなくなるわ。不合理と思うかもしれないけれど、言葉だけでは伝わらないことがあるの。感じて欲しいとしか言えなくなるのよ。スーパーゴッドと言われるイエスや仏陀だって、自らの言葉を残していないと聞いているわ。言葉は聞き手の感性で、神にも悪魔にも変わってしまう。自分の感じる心を大切にしていればいいのだと思うの。人に聞くこともいいけれど、むしろ自分に聞き、自分の感性を大切にして欲しいな。」と答える。瞑想中、何を観、何を感じたのか覚えていない。けれど、こうして今その日のことを思い出しながら書いていて気付く。彼女に伝えた言葉は、私自身への言葉であったことに。彼女の問いかけは、私自身の問いかけであったのだと。名前も聞いていなかった彼女に伝えたい。気付かせてくれてありがとう。
二回目のワーク体験―2000年8月8日
瞑想に入っていくと、すぐに微細で精妙なエネルギーに敏感になり、細胞が総て開いていくのを感じる。地球がビジュアライズされ、地球の中心核(鉄のクリスタル、一次元存在)へ両足が吸い付けられる。私の視点は地球のコアから地表の間に存在する鉱物たちの世界(二次元存在)へ移っていく。鉱物たちがそれぞれの結晶構造を持ち、輝いている。意識が、ここは私の身体を構成している総ての元素たちの故郷なんだと気付く。気付いた途端、意識は「私の身体を創ってくれてありがとう。あなたたちが物質界の総てを創ってくれたのね。私の身体を創っている総ての元素たちよ、御苦労様。私は大丈夫。皆で故郷へ帰っていいよ。あなたたちの故郷へ、お帰りなさい。」と伝えていた。すると第一チャクラが唸り始め、微粒子たちが性器辺りから、どんどん地球へ向けて出ていってしまう。私の身体を構成している総ての元素たちが出ていったと感じた直後、性器周辺に圧倒的なエネルギーが充満し、バリバリという勢いで、そのエネルギーが身体を貫いてきた。
背骨に沿って入ってきたのは大きな樹であった。樹齢が古く、縄文杉のように見える。「そうか、生命の樹なのね。太古、人間は天と地を、その背骨を通して繋いでいたのに、自ら創ったシステムによって、感じる能力を失っていった。だから樹たちが私達に代わって、それを維持してくれているのね。ありがとう。」太く逞しい老古木は、その内部から破裂したかと思うと、形を剱に変えた。「剱?三種の神器の剱だよね。三種の神器である剱、鏡、勾玉は天皇であることの証と言われているけれど、皇(すめらぎ)とは天皇のことだけをいうのではなく、私達一人一人の人間が、本来皇(すめらぎ)だったのね。天地を結び、皇の道を生きる惑星を創る為に、人間を創ったのね。剱(背骨)によって天地を結び、勾玉という魂を持ち、子宮という鏡に宇宙の意志を共鳴させているのが、私達人間だったのね。」意識がそう受けとめると、ビジョンは闇に変わり、光(太陽)が現われる。「ああ、そうなんだ。最初に闇があった。闇から光(太陽)が産まれたんだ。誕生と死を司るのは宇宙の背景そのものである闇なんだ。闇から産まれた光(太陽)は育てることが、その目的だった。でも光(太陽、人間)は闇の中を進んでいくうちに、不安や恐れを感じ始めた。光(太陽、人間)は愛を広げようとしながら、自ら不安や恐れを創り出してしまった。闇自体には不安も恐れもない。ただ総てを内在している闇があるだけで、闇は不動であり、存在を存在させる力だったんだ。」意識が了解する。
瞑想終了後、私の体験を話すと、「僕には子宮がありません。男はどうするんですか?」と青年からの声。「そうか、そうよね。男には子宮(宇宙と共鳴する鏡)はないわね。皇の道は女性の役割で、巫女さんは女でしょ。巫女を通して皇の道を伝えられ、それを具体的に行動で実践し、創造していくのが男の役割じゃないのかな。がっかりしないでね。あなたは今回男として生きているけれど、過去何回も女として生きてきた筈よ。私は今回女としての生を選んだけれど、過去生は、どちらかと言えば、男の方が多かったようよ。男性性と女性性の両方の体験を積み重ねて、少しづつ学び、人間としての本質的な智恵を増やしているんじゃないかな。」と伝える。女性性(精神性)だけでも、男性性(物質性)だけでも不充分で、その両方のバランス(調和)をとることが、とても大事なことだという意識が、彼の言葉によって導き出される。
この二回目の体験が面白くて、山形「スバルの会」中野正子さんに伝えたことで、一人一人どんな体験になるか予想もつかないけれど(気分の悪くなった人もいる。)、山形でやってみようということになった。私の沖縄への旅や、彼女達のスケジュール、弘子さん(主催者)のスケジュールを調整し、その日は10月30日と決まった。
三回目のワーク体験前
三回目のワークは、とんでもなく素晴らしい出来事が起きることを、私は予感していた。「そこで何かが起きる!」沖縄への旅がそれを伝えていた。三回目のワーク体験を語る前に、それを導いてくれた出来事を話したい。
昨年8月、9月、突然晶美嬢の依頼を受け、宮古島や与那国島などムーに関係するらしい南西諸島への旅を経験した。今年も再訪することを晶美嬢から伝えられていたが、私は旅の費用を捻出することが出来ず、同行を断っていた。彼女の出発する日が近づいていたある日、私は一本の電話を受け取った。歓びで飛び上がってしまいそうだった。沖縄のエステティックスクールで3日間の講師を依頼されたのだ。那覇までの往復運賃と宿泊費、そして講師としてのギャラが入ることになったのだ。何というタイミング!私は悦んでそれを受けることにし、9月25日から28日まで仕事で那覇だから、9月29日には合流することを晶美嬢に伝える。17日間のムー意識への旅は、昨年を凌駕する真実(私にとっての)を教えてくれることとなった。
ムー意識への旅で了解したこと
旅の詳細は長くなるので省きますが、旅の間に得た意識の学びは以下のようなことだった。
(1) 現在ムー大陸の実在が証明されようとしていますが、ムー以前、さらに広大な大陸があり、その大地の最西端は現在の与那国島で、最東端は現在のイースター島になると晶美嬢が言う。地殻変動があり、その大地は三つに分かれたけれど、当時の首都はイースター島寄りにあったらしい。その時私はその地を治める王であり、晶美嬢が太陽の巫女であった。王の死に際し、太陽の巫女として彼女が王の葬儀一切を取り仕切り、王の死骸を与那国島まで運んだらしく、多くの従者達を先導して海を渡ったことをはっきりと覚えていると言う。太陽は東から昇り西に沈むため、王の遺体は西に埋葬することになっていたらしい。首都イースター島寄りの地から最西端(現在の与那国島)までの旅に三ヶ月を要したと言う。(防腐処理は、現在の科学より進んでいたらしい。)
与那国島に入る前の4日間、私はこの旅の費用を創ってくれることになった研修会の講師として那覇にいたのですが、夜毎、琉球料理を接待されていました。那覇にいて琉球料理を食べているのに、私の感性は「私は今、北海道にいる!?」でした。「何故、北海道なの?」と自問自答の結果、出てきた答えは「ムー意識(ムーという言葉が正しいかどうか分かりませんが、太古の人間意識の源だと思います。言葉が思いつきませんので、仮にムー意識と言わせてもらいます。)が、私の中で北海道のアイヌと共鳴し、アイヌを呼んでいる。」でした。漠然とした予感「私は、北海道に行くことになるのだろう。ムーとアイヌの意識を結ぶ為に。」が、顕在意識に入ってきた。そして与那国に入ると、仲嵩剛さん(霊能者 31才)が晶美嬢と共に空港で出迎えてくれ、初対面である彼から「あなたは12月にもう一度、ここ与那国に来ることになっています。そして来年の3月には、北海道の釧路へ行くでしょう。」と言われる。「でも私、オケラよ。お金がないわよ。」「大丈夫です。この地の最高神、大天長老(ウッティンチョーローと呼ぶ)が、てはずを整えてくれます。夫婦の天馬が、あなたを釧路へ連れて行く為に、既にあなたについています。」と、まるで御伽噺の世界に入る。
(2) 旅の途上で何度か虹を見たのだが、西表島カンピレーの滝についた時、滝の前方に四角い緑の光が目に入る。そして滝水の中に虹を見てしまい、それからというもの空一面、どこもかしこも虹の饗宴となる。水と光があるところは、総て虹が輝いていることにより、天国とはどこか彼方にあるのではなく、私達の住んでいるこの世界が、正に天国であったことを識る。空間のそこここで観る虹は、私の意識で見えており、それ以降、毎朝洗面の時、蛇口から流れる水の中にも虹は現われ続けている。
(3) 霊能者と呼ばれる人達がいる。見えないものを観たり、聞こえないものを聴くことに対し、多くの人は畏敬の念を持って付き従ったり、ちやほやしたり、恐れたり気味悪がったりしているが、人間は誰でも霊能力を持っていたことを識る。現在私達は直線的な時間の中で、制限され、コントロールされた意識のため、霊能力を失ったり感じなくなっているが、一方的に与えられる直線時間の流れから離れ、宇宙から降り注ぐ磁力場において、「瞬間を生きる」ことが日常化し始めると、時間は直線ではなく、瞬間の点の継続となり、点は空間の中で放射状にひろがる。放射状に時間、空間が広がることで、異次元にアクセスし、そこにある情報を取り込むことが出来るのではないだろうか。それと同時に自分の細胞内に封印されている過去生の連綿と続く記憶の扉が開いていくようである。
こうあるべき、これが正しい、あれは悪いなどの制限され続けてきた意識を開放し、発生してくる出来事に対し、良いとか悪いとかの判断を止めて、第3者的視点に立ち、出来事の裏に隠れている霊的な意味を冷静に観察していると、人間としての本質が甦り、誰でも霊能力を持つ事が出来るのではないか?霊能力とは特別な資質ではなく、誰にも内在している力であり、その力は宇宙の運行により、人類にとって当たり前で共通の能力となる日は近いこと、そして人間とは三次元だけに生きる生命体ではなく、多次元的存在であるらしいことを識る。
(4) 霊能者晶美嬢の後ろ姿を見ていて入ってきた意識の一つに宗教発生の流れがあった。太古、人は自然と共鳴して生きていた。生きる為の糧は自然が与えてくれた。瞬間の中に総てがあっただろう。人類の増加に伴い、自然発生的であった祈りや自然に対し頭を垂れるという流れは、徐々に神事としての形式を取るようになり、儀式化へ進む。儀式化することで、儀式を司る人間達(巫女や神官)が誕生し、人間としての区別が生まれる。「神」という概念が導入され、「神からのメッセージを直接受ける者」としての巫女あるいは神官を一般大衆から分け、位階制を創り、力ある一握りの者たちが、巫女や神官達を大衆支配の道具としていった。
それが権力者と被権力者の誕生であり、富者と貧者の誕生でもある。宗教が大衆の意識をコントロールすることを目的として進化発展していった様子が、まるで映画のスクリーンを見るように鮮やかに脳裏に流れ込んで消えていった。
霊能力はいづれ近い日、人類全体の財産となるであろう。その時、真に望まれることは意識の自由度であろう。意識にいかなる制限も加えられてはならないと思う。一人一人意識の進化度は異なるであろうが、異なっていても異なったままで良いし、誰も他を強制する必要はなく、その人の自由意志に委ねるべきであろう。生来私は人間が創った宗教という組織に興味がなく、神頼みという他力本願にも違和感を持っていた。私は巫女や神官にはなりたくないし、巫女や神官から操られることも望まない。
人類が創った「神」という概念ではなく、宇宙の「創造主(エネルギーの集合体)」という概念の方がしっくりと受け入れられる。人間や地球を創造したのは「創造主」であり、現代生活に使用している物質を創ったのは人間の意識及びエネルギーであると思うから、神や宗教に頼るのではなく、自らの霊性の進化を目指し、人間として、創造する者として生きたいと思う。「天地人」という言葉が示すように天と地を結ぶのは、神ではなく人であろう。総ての人が霊性としての光を内在させ、創造主と繋がっている筈である。平成7年、津留晃一氏が語ってくれた言葉「あなたが創造主です。」が、大きく私の中で輝き始める。
(5) 光と闇、白と黒など相対言語(意識)の世界で絶対世界を求めると、他人との共通言語が消えていく。無の農法、無の哲学を著わした福岡正信氏も、今は山に入り誰とも会わなくなったと聞く。山に入ることなく、一般社会で自己の絶対世界に生きようとするなら「デクノボウ」(宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に書かれている「デクノボウト呼バレタイ」というあのデクノボウである。)として「存在としての愛」を体現できることが、私の目指す道となるが、そこまで辿り着くにはまだまだ現世での体験が足りない。私の意識のはるか彼方に「無を生きる道」が静かに佇んでいる。
(5) 「浜ちゃん、君の愛はとても大きいよ。でも情も大きくて強い。宇宙には愛はあっても情はないんだよ。」平成8年だったと思うが、UFO氏から言われたこの言葉の意味が今なら解かる。愛と情は似て非なるもの、私がそうであったように、情を愛と錯覚している人が多くいる。愛のステップを一段ずつ昇っていこう。本能的な愛から始り奪う愛、愛する愛、許す愛、育む愛、与える愛、叡智としての愛、限りない自己表現としての愛、存在としての愛、創造主そのものとしての愛。どのレベルの愛を生きるか、人それぞれであるが、晶美嬢の愛は創造主そのものとしての愛を生きているのかもしれない。平成7年の暮れ突如として私の生活に踏み込み、私の見ている前で刻々と変化し霊能者となっていった彼女に請われるまま、5年間彼女と行動を共にしてきた。何の為に何をしているのか、その意味が最近になってやっと解かってきたように思う。感情の激しい彼女は、瞬間瞬間、猫の目のように心の場が変わるので、一緒にいることに疲れ果てることも多かったが、神事に入ったときの真剣さは並みではなかった。宮古島での神事は今回で晶美嬢は4回目、私は3回目であるが、太古の水源を探し、浄め、水の輪を創る。彼女は地球の風水をやっている。目の前で風が変わり、海流が変わる。私はそれを見続けてきた。日本での地球風水が終り、彼女はいよいよ日本の裏、南米に向けて旅立つと言う。宮古島の裏、イグアスの滝へ、与那国の裏、イースター島へ、小笠原の裏、バミューダ海峡へ、そしてマチュピチュへ。誰に頼まれた訳でもないのに、「私は地球だから。」と生命エネルギーの総てを賭けて、新生地球誕生を目的として、彼女はほとんどお金も持たず、一人旅立っていく。彼女が自ら選んだ愛の道を。
そんな彼女がよく口にする言葉に「愛の水」がある。雰囲気は何となく感じるものの、具体的には何なのかが解からなかったのだが、宮古島を発つ10月11日の朝、宮古島で6日から合流したM氏の誘いで崎田川へ行った。M氏が南アフリカから持ち帰ってきた海水を崎田川の側にある枯れ井戸に注ぐ為である。今は蚊の住処となっているその場に立ち、M氏と二人で祈る。「私にはよく解かりませんが、昨年から3回に渡りこの地に来ました。この地の皆様のお力添えを頂き、無事水の輪が完成したとのことです。ありがとうございました。人類、地球、宇宙の大調和が完成しますことを心より祈念いたします。」と意識を発した途端、その枯れ井戸全体からの圧倒的なエネルギーが頭上より浸入し、私の全身を覆い尽くした。宮古島の大地から「御苦労様でした。ありがとう。」と言われ、抱きしめられているようで、忘我状態に入る。これほど精妙で優しい波動は初めての体験で、発する言葉もなく、そのエネル ギーを味わい尽くす。「これが晶美の言っていた愛の水なんだ」と解かった。細胞の隅々まで染み渡る慈愛のエネルギーを識った。その日まで強すぎる陽に射かれ、蚊の集中攻撃に遭い、腕も足もでこぼことなり腫上がっていたのに、涙が自然に出てきて「ありがとう、ありがとう。」と感謝の気持が湧きあがり、攻撃してくる蚊の存在も忘れ、いつまでもその場で手を合わせ続ける。初めて体感した慈愛のエネルギーを忘れないよう、そしてこのエネルギーを自ら出せるようになるため、この崎田川の枯れ井戸のビジョンを意識の玉手箱に収める。
スバル星団とフェニックス
旅から帰って、私は連日与那国の波動に苦しみながらも「光のシャワー」を夢で見続けた。視界に複数の二重丸が現われ、それぞれの二重丸から十字の光が放射される。丸の中心が明滅して瞬き始め、十字の光は放射状の光に変わる。(まるで沢山の線香花火を同時に見ているようである。)中心円の煌きから放射する光に重なって、同心円の光が広がっていく。視野は立体的な光の乱舞となる。ある夜、この光の乱舞を見ながら私は意図的に目を開けた。消えるであろう光の乱舞は、紫色の靄に包まれて消えることなく大きく開けた眼前で輝き続けていた。今年の春頃から満月の夜には、必ずこの同じ光の乱舞と月光の発する強いエネルギーを感じていた。月と星に意識が共鳴して観せる映像の不思議さを与那国の剛さんに電話で話すと、「それはスバル星団だよ。スバル星団がママを守っているし、いつも側についているよ」という言葉が返ってきた。
今回の旅の途上、どこでも夜空を見上げ、その美しさに感動しスバルを見ていた。波照間島でも天体観測センターで、双眼鏡をセットしてくれ、はっきりとスバル星団全体を見せてもらったし、大きな天体望遠鏡では月のクローズアップを見せてもらった。与那国島、石垣島、西表島、波照間島、宮古島、どこにいても夜、星を見上げる時スバルを追っていた。私にとって特別な星という意識はなく、ただプレアデス関連の本が沢山出ているのでその興味で見ていただけだったのに、「守っているよ」と言われると急にスバルを意識し始める。
3回目のワーク体験後、晶美嬢から「ママはムーの王になる前、現在のトンガ王国にあたる場所で、ものすごい子沢山の母だったよ。14才から子供を産み始めて、28才まで産んでいたね。そして35才で死んだわ。その後プレアデスに行ってるわ。プレアデスに千年いて、その後ムーの王になったのよ。トンガの時、ママは巨大なオッパイの持ち主だったけれど、左のオッパイ細胞の一つが息子の毅司君で、毅司君はママがムーの王の時、人間として誕生しており、従者になってるよ。与那国の剛君はその時、ママの孫で、剛君のお姉さんのまつみさんがママの子供だね。私はその時近くの海を泳いでいたイルカだったわ。」との解説を聞く。
旅の余韻を引きずりながらも、山形行きを楽しみにしていたある日、与那国の剛さんから電話を受ける。「あなたが与那国を去った日、フェニックス(火の鳥、不死鳥、鳳凰)が生まれました。フェニックスがあなたの後を追ってついて行こうとしていましたので止めました。僕が預かっておきます。」???
創造の原理
山形へ行く前のある日、今度は弘子さんから電話を受ける。「宇宙瞑想をしている人がいて、地球には108個の元素しかないけれど宇宙には144個の元素があり、それを人間が受け入れ易い様に光に変える機械を作った人がいるのよ。その人とお話をする会を開くけれど来ない?」144という数字に意識が反応する。友人を連れて出かけることにした。面白い人だった。「いつもはこんな難しい話はしないんだけれど、どうしてかな?」と言いながら「宇宙の創造の原理」を話してくれる。正にその時、自分なりの思考を通して意識に入れようとしていた内容が開示された。5時間近くの話であったが、私にとってストレートに納得できたことを二つに絞り込んで、私見を交え簡単にお伝えしたい。真理はとてもシンプルであった。
(1) ゼロの意味
ゼロ+ゼロはゼロですが、(-1)+(+1)もゼロ、(-100)+(+100)もゼロ。これらのゼロは一見同じゼロではありますが、そのエネルギーは異なっています。(+100)と(-100)のゼロには合計200のエネルギーが畳み込まれているのだそうです。(+一億)と(-一億)で作られるゼロの質量は2億となります。ゼロに封じ込められる質量が大きくなればなるほど、内在するエネルギーは高く、強くなっていきます。ゼロの進化が創造エネルギーの進化になるのだそうです。この話から私は、創造の源として宇宙の闇に遍在する、想像を絶するゼロの力(質量)を了解しました。
(2) 創造の源
宇宙には無限のエネルギーが充満しており、創造の源とはエネルギーと質量の交点から瞬間瞬間に発生するエネルギーなのだそうです。8の字を横にして無限大を意味する二つの輪をイメージして下さい。例えば右の輪がエネルギー、左の輪が質量とします。エネルギーは陽(プラス)であり、父なる神(男性性)で、質量は陰(マイナス)で母なる神(女性性)で、その二つの力が交わる交点から創造が生まれるのだそうです。
瞑想する時、意識で右脳と左脳をイメージし、8の数字を横にし無限大の形を描き、右廻りでこの形を描き続けますと、額の中心(第3の目と呼ばれる部分)にエネルギーが発生します。この交点である額の中心に瞬間瞬間発生してくるエネルギーに自らの意識を乗せることで、このエネルギーは生命を持ち、あなたの意識を創造し始めるのだそうです。
陰のエネルギーだけで創造したものも、陽のエネルギーだけで創造したものも不完全不調和であり、崩壊を迎えます。(精神世界だけ、あるいは物質世界だけでは、真の理想社会は創れない。)陰陽一体のエネルギーが、新しい調和の世界を創造できるのです。私達の魂は数億年前、生命の誕生と共に女性性(精神世界)のなかで数々の体験を重ね、細胞の中に記憶を保管してきましたが、ムーやアトランティス沈没後、今日に繋がる男性性(物質世界)の体験を加えてきました。陰と陽両方の記憶を保持した今こそ、輝かしい調和のエネルギーで地球を再創造することが出来るのだと思います。自然を破壊し尽くして、人間を金銭の奴隷にしてきた観のある物質世界も、その存在の意味がここへ来てようやく了解できます。私達はその両方を識る必要があったのだと思います。長い長い旅でしたが、今、やっと光と闇の交点に立ち、その両方のバランス(調和)をとることが出来る。調和を目指す魂によって次なるステップ、新しい創造への扉が開かれるのだと了解します。
三回目のワーク体験-2000年10月30日
午前3時に起床。3日前から異様な頭痛と首筋の凝りがあった。起きてからその異様な頭痛と凝りは一層激しさを増している。息子(毅司)の運転で、ともかく弘子さんをピックアップし山形へ向かう。頭痛が激しいので首や頭のマッサージを自分でしていたら、左耳の斜め上部3cmくらいの所に、直径1.5cm位の突起物が内部から頭皮を突き上げていることに気付く。触ると痛い。3日前からの頭痛の原因はこれだったのかと思うが、それが何故発生しているのかは分からない。沖縄旅行中(西表島だったと思う。)、右耳に風が剣となって入ってきたことがあった。それ以来、時々その剣は右耳にも左耳にも突き刺さり、内耳に違和感が続いていた。その事と関係しているのだろうか?考えても解からない。解からないことは、そのまま受け入れるしかない。異常な頭痛だし、左耳下のリンパ腺が腫れており、原因もなく瘤が出来ているのだから、本来なら病院へ行くことになる。
意識が独り言を始める。脳血管の異常かな?病院へ行く?いいえ、私は病院へは行かない。この瘤が原因で私は死ぬ?そうなるかもしれない。でも私は私を信じよう。私が人間としてこの世に残ることが必要なら、私は死ぬことはないだろう。もしこれで死ぬなら、それは現世に私という人間が生きている意味がないということだろうし、肉体は滅びても私という魂の存在は生き続けるのだから、それで良しとしよう。私は今、人間として再スタートしようと準備している事がある。「ホリスティック・サイコカウンセリング講座」の企画案を纏めたばかりだし、その講座が不要とは思えない。東京と沖縄でスタートする流れが、すでに整っているのだから死ぬことはないよね…。車中自己ヒーリングしながらあれこれと思案の末、この瘤とリンパの腫れ、頭痛、頭部の痺れは、理由不明ながら私に必要だから発生している事として受け入れることにする。
私は創造主!?
山形に着き、昼12時半から公営温泉保養所の休憩室でワークは始った。最初に弘子さんから主旨説明があり、トランプ形式の天使カードが廻される。「好きなようにカードをきって、一枚を選び取ってください。選んだカードに書かれている内容の発表と自己紹介をしてください。」私が引いたカードは「スペードの9、変化」だった。そこにはこう書かれていた。「変化を恐れ、拒まないでください。変化を嬉々として迎え入れてください。変化は新生へのプロセスです。」9月25日から10月11日までの旅を通して得た数々の体験から、自分にとっての真理、真実とは何であるのかという気付きが生まれ、私は今、精神的にも肉体的にも大きく変化していることを感じていた。「そう、変化なのよ。新生へのプロセスである変化を受け入れます。」意識がそのカードの言葉に同意した。他の人達も、それぞれその人に必要な言葉を受け取っていた。2回目のワークの時、引いたカードは「ダイヤの5、歓喜」で「魂の歓喜は、あなたの内なる神性が目覚めたしるし、祝福と共に訪れる最高の幸福です。」だった事を思い出す。
休憩室は個室になっているものの、天井部分は開いており館内のざわめきや隣室のテレビの音量が騒がしく、なかなか心を集中する事が出来ない。集中できないまま目を開けると外は雨。静かで優しい雨の後、輝く太陽が部屋一杯に射し込んできた。その太陽を何も考えず、ただただ見つめ続けていると、次第に瞼が落ちてきて瞑想状態に入っていった。
眩しいくらいの黄金の光が視野一杯に広がっている。意味不明の幾何学模様が黄金の線で描かれていく。黄金の線は片時も固定せず、まるで光の万華鏡を見ているかのように、次々と姿を変えていく。「ちょっと待ってよ。そんなに速く動いては、何なのか解からない。少し静止してくれないかな?」黄金の幾何学図形は瞬時も止まらない。「神殿?火の鳥?」意識で見るビジョンは長澤さんの「痛い!痛いよお!苦しいよお!」の声で破られる。目を開ける。弘子さんが長澤さんの側に行き、ケアしてくれている。安心して再度目を閉じる。
ビジョンは茶色に変化し、形にならないウネウネしたものが流れる。沼の中?森?樹の根っこ?色彩は茶から黒褐色へ、そして黒へ変化する。海底?海底からさらに下?太い樹の根のようなものが闇の中でのたうっている。もうどこにも進めない。初めもなければ終わりもない。太い樹の根は複雑に絡まりあって、閉塞状態になっている。意識が動き始める。「ああ、これは光に対する闇、善に対する悪の観念なんだ。私の魂が何億年にも渡る転生で体験してきた闇、そして人類の集合意識が体験してきた闇がここにある。苦しかったね。辛かったね。もう隠れていなくてもいいよ。私は私の闇を、そして人類の闇の歴史を総て認め、受け入れます。もう隠れている必要はない。皆出ておいで。総ての闇よ、出ておいで。一人も残さず出ておいで。私は創造主。新しい私自身を創るため、総ての私が必要。光も闇も必要です。共に調和して創造しよう。バラバラになっていた私自身を一つにしよう。闇は私、そして光も私。私の総てを受け入れます。今日の私は、何億年もの体験を経てきたのよ。あなた達がいるからこそ、今日の私がいる。大丈夫、胸張って出ておいで。何億、何兆、何京もの数え切れないファイン・マター(微細エネルギー物質)で創られている私。新しく創造する者としての私を創っていこう。」
ビジョンは闇から白光へ変化し、白光から黄色へ…。フェニックス?火の鳥が現われる。「ああ、そうなんだ。12月に私はフェニックスを受け取りに与那国に行くのね。解かったわ。」このビジョンをメモしようと私は目を開けてノートに筆記し始めると、ノートの右上から左下にかけて黄金色の龍が、一瞬現われて消えた。
弘子さんの声。「プレアデスだと思いますが、今円盤が来ています。皆さんにお伝えしたい事とギフトがあるので、4時になったら再度全員で瞑想してくださいと言っています。」ノートとボールペンを横に置き、私は再度瞑想に入る。大きく成長した黄金のフェニックスが、光を放射しながら宇宙を飛翔している。弘子さんの声が静かに流れる。「4時になりました。円盤からこの場にいる一人一人に対し、サポートするエネルギー体が降りてきました。これまで何度もワークをしてきましたが、こんな事は私にとっても初めてのことです。エネルギー体からのメッセージです。『真実の道を進んでいる人達を祝福します。このまま進んでください。私達はとても歓んでいます。あなたたちの本質をイメージしてください。ギフトを受けとってください。』と言っています。」広大な宇宙を大きく両翼を広げ、愛と歓びを放射しながら悠然と飛翔していた黄金のフェニックスが、さらに大きく翼を広げ、羽ばたいたかと思うや頭上から降りてきて私の身体に入ってしまった。私がフェニックスになったのです。瞑想中ながら確かめるため、私は両手を広げ、鳥のように羽ばたいてみました。間違いなく私がフェニックスでした。「与那国で誕生したというフェニックスは私だったのね。」意識が了解します。
また弘子さんの声。「彼等からもう一つギフトが降りてきます。『今感じた自分の本質に、現在の自分を合せてください。現在の自分に、自分の本質を受け入れてください。』」「私は現在の自分に、本来の自己を受け入れる事を赦します。」と意識を発した途端、フェニックスも私の肉体も消え、私の意識は全宇宙の源、創造主と合体し、創造主として全宇宙を見下ろしていた。恍惚感に包まれ、強烈すぎるリアリティの中で、「この宇宙を創ったのは私だった! 私は創造主だった!」と、意識は驚愕の言葉を発します。完全無欠、全知全能の偉大なるエネルギーそのものとしての自分を感じ続けます。この体感を説明する事が出来ません。完全無欠で恐れるものなど何一つなく、意志あるところ、総ては思いのままに成し遂げられる。躊躇も揺らぎもありません。パワフルでパーフェクト。広大な宇宙を見下ろしている私の意識は、大きく安定した渦巻くエネルギーの中心に位置していました。
言葉にならない感動を経験している時、「現実の世界で、私はこうありたいという自分の理想像をイメージしてください。」という弘子さんの声で、創造主としての私は消え、再度私の身体はフェニックスに戻り、宇宙を翔けていますが、決意しています。フェニックスの母として、これから出会う人々の子宮に私(フェニックス)の卵を産み落としていくのよと。そして「12月、私はフェニックスを受け取るために与那国へ行くのではなく、地球に住んでいる人達に向けて、ムー意識(調和の意識)の浮上を伝えることを目的として、フェニックスを与那国から解き放つために再度出かけるのだということを理解しました。
ワークが終っても、先程の体験、体感は消える事なく、私の中で息づいています。初めて体験した震えるほどのリアリティです。幻想である人生に対する絶対域としてのリアリティを、例え一瞬間であっても識ることが出来ました。私の意識及び視点は、創造エネルギーの中心にありました。「そうなんだ。私は創造者だったんだ。」言葉や観念としてしか味わえなかったこの真理、真実を身体で識るというこの場まで導いてくださった、これまでに出会った多くの人達、起きてきた多くの出来事に深く深く感謝いたします。人生で起きてくる出来事や出会う人達は、何一つ誰一人、無駄、無意味なことはなく、総てに意味があり(その時には気付く事が出来なくても、後になって解かります。)絶妙な関係を織り成しつつ、ここ(私は誰であるのか?私は何故ここにいるのか?私は何を意図し、何を創造するのか?私の生きる意味と目的は何であるのか?)へ導かれていくのだと識りました。そしてこれらの体験から、地球は再生するという確たる意識が生まれました。それは自分以外の誰かが行ってくれるという事ではなく、地球に住んでいる総ての人達が、「この宇宙を創造したのは、私だった!」事を思い出し、創造の源から意識に意志を加え、意図的に地球の再生を願い、自己の創造エネルギーを毎日の具体的な生活で実践していく事だと思います。地球に生きている一人一人総ての人に、それぞれの役割や自己責任があります。それが解かった今、私はフェニックスであり、創造する者としてこの現実(幻想)世界の中で、縁あって出会うであろう人々の意識に私(フェニックス)の卵を産み続けます。制限された意識は、「瞬間を生きる」事で、その鎖を徐々に解き放っていくでしょう。自分が創った幻想に脅えないでください。私に起きた真実の体験は、今日を生きている総ての人々の真実です。100%の確信を込めてお伝えします。「あなたが創造者です!」と。
自然からの応援歌
その日は山の中腹にある農家民宿に泊まり、翌10月31日希望者と山形庄内方面に行く事にしていた。これまで何度も山形に来ていたのに、一度もそちらへ行った事がなく私の希望で連れて行ってもらえる事になったのだ。予報ではその日雨になる筈だった。軽い気持で「大丈夫よ。雨は降らない。晴れになるわ。」と昨夜伝えたら、曇るどころか快晴も快晴、抜けるような青空が広がっている。皆大はしゃぎで出発する。中野さんが、大勢乗れるように新しくワゴン車を買っており、私達の車と二台で進む。私達の車に長澤さんが乗ってきたので、話しているうちに、彼女から湯殿山のことを聞き、その途端私は湯殿山へ行きたくなった。皆の了解を得て、結局、月山、湯殿山、羽黒山を廻る。途中の景色の素晴らしさに何度も車を止めて写真を撮ったり、優しい自然の波動を堪能し、心は高揚感で包まれていく。
真っ青な空を楽しんでいて気がつく。龍神雲が沢山現われている。あそこにも、ここにもと言うほどの現われ方で、益々心は高まっていく。湯殿山へのバスに乗っている時には、大きな龍の顔が視野一面に広がったり、フェニックスも現われる。空を見上げるたび毎に、天の羽衣、フェックス、龍神が風に乗って見事な舞いを見せてくれる。湯殿山の御神体の上方に、燦燦と輝く太陽を中心としてフェニックスの翼が空一面に広がっている。全身鳥肌となる。「すごい!」全員その場に釘付けとなり、信じがたいほどの光の絵巻物に我を忘れる。ありがとうの気持で手を合わす。下山している時、中里さんが声を上げる。「浜口さん、見て、見て。フェニックスの子供がいっぱいよ。もう既に卵は産み落とされ、フェニックスが沢山誕生しているわ。」視線を上げると先程の空一面に翼を広げた、まるで神の化身かと見まがうばかりに輝いていた大フェニックスは消え、産まれたばかりの小さくて可愛いフェニックスが、新しい生命を楽しむかのように濁りのない青空に沢山舞っていた。
空に繰り広げられる絵巻物を堪能しながら、庄内へ向かう。「浜口さん、山形に住んでいる私達だって、こんなにくっきりと澄み切った鳥海山を、そのすそ野まで見られることは滅多にないのよ。昨日からの祝福がまだ続いているようね。」と長澤さんが語る。自然が共鳴してくれている。言葉にならない感動で頷く。庄内に近づいた頃は、金星が空に昇る。白鷺の群れが田で遊ぶ。これ以上何が必要であろう。総ては目の前にあった。庄内にある私達の最初の目的地、一の宮に着いた時、既に太陽は完全に沈み、空には三日月と星が瞬いていた。「見て!」見上げる夜空、視界の中央に一本の太い雲が走っている。どこから始って、どこまで続いているのか、視界を完全に二分しているその雲を見ている時、右から流れ星が現われ、中央の雲に向かって消えていった。空の饗宴はまだ続くのか。暗闇の中、ゆっくりと階段を上り参拝する。参拝を終え、車に乗る前にもう一度夜空を仰ぐと、視界の端から細い一本の線が三日月に向けて繋がっていた。それが何を意味するのか識る由はないが、昨日から続くプレアデスの祝福として感謝する。
今日を生きる
11月1日午前5時、やっと自分の部屋に辿り着く。深夜のドライブで私も息子も倒れるようにベッドに潜り込む。11月10日、11日の二日間、晶美嬢、M氏と三人で北海道は積丹半島に出かける流れが決まっていた。そこで何が起きるだろう。そこで私は何を識ることになるのだろう。意味も解からないまま、平成6年会社の倒産から始った霊性への旅は、まだ途上であり、6年の歳月が流れていったが、今確かな手応えがある。私は今日までに体験した総ての出来事に感謝する。そして「今、この瞬間を生きる」ことの大切さを学び、日々感動に包まれて生きていることに感謝すると共に、自分の生命に内在しているとてつもなく偉大な「創造者」としての自分を認め、宇宙の愛に生きることを再確認する。
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