河内の旅人

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人生模様(その2)



ハンティング帽にダスターコートを羽織ったその男と知り合ったのは18歳、彼19歳の時だった。
俗に「貧乏人の子沢山」と言われるのを地で行くような、互いに4人と5人の弟妹を持つ長男と言うことで意気投合し、彼をして「竹やんが居らんようになったら、俺よう生きて行かんわ」とまで言わしめる仲になっていた。(注:断っておくが決して怪しい関係ではない)

数年前に呑んだくれた親父が交通事故死して以来、母親と2歳年下の妹とが、梅田の地下街を上がった所で
夕刊の即売をして生計を立てていた。
時折、遊び半分で手伝ったりしたものだ。

その彼が、当時グループでハイキングなど健全な付き合いしているうちの一人の娘と結婚するが、彼女は私の近所で良く知っていた。
女の子二人の子宝にも恵まれ、幸せな家庭を営んでいるものとばかり思っていた矢先、その細君からの電話で「どうも、浮気しているらしい。相手は勤め先の前にある酒店にいる」から、彼を説得してやめさせて欲しいとの事である。

しかし、この道ばかりは「燃え盛っている炎」を消すのは容易ではない。自然鎮火を待つしかないと細君を
逆になだめる始末だった。

年月流れてて旧交を温めるようになったのは、互いに
五十路を過ぎていた。
食事でもして飲みに行こうか?と逢ったときに同伴して来た彼女が、なんと当時の相手だったのである。
聞けば「来年は女房の3回忌で是非出席してくれ・・
喪が明ければ、彼女の姓に入る」とのこと。
都合20数年間の2重生活をして来た訳だ。
訃報を知ったのは、勿論彼女の家だ。

年月の流れは、人の憎しみや悲しみ、恩讐をも忘れさせていくものか?それでいいのかも知れない・・

血と言うものに不思議さを感じずには居られない。
娘二人は、親父に対して一時は憤りを感じただろうが
さほどでもなく、むしろ今の細君に対しての憎しみが
薄らいで来たのは、極く最近のことだという。

彼と夜の街に出ると、決まって過ぎし青春時代の思い出を熱っぽく語り、しみじみと己の過ぎ越し生き様を
悔悟し、亡くなった細君に対しは万感の思いを込めて
只、一言「悪かった!」と述懐するのである。

今では、現細君共々、彼とは46年間の親交を温め合って楽しく過ごしている。



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