河内の旅人

河内の旅人

人生模様(その4)



社長の奥さん付きの運転手兼名ばかりの営業マンとして、初めてIさん宅にお邪魔した。
Iさんは離婚して数年らしく、44歳のご婦人である。
二千万位の融資をしていたとは後日聞かされた事だが、仕事の進捗状況の報告や返済の言い訳に自分を連れて行き「お兄ちゃん、こう言う風に順調に行っている」と言うてね・・・と耳打ちされていた。
そのうち、奥さんとも友人だった母とも親交を持ち、自分の家内、子供たちとも面識を持つようになる。

時は移り、十数年が経過していた。
その間、勤めも二、三変わり、家内も亡くし、毎晩ネオンの巷を彷徨い飲み歩いていたが、勤めが兵庫県の明石だったことをあって、大阪へ帰り着くと自宅に電話を入れるのが決まりのようになっていた。
そんなある日「あんた!今何処やのん・・・」「京橋や!」「あっそう・・さっきIさんから久しぶりに電話があって、お兄ちゃんにも会いたい言うてたから、その近くらしいから電話して上げて・・・」「よっしゃぁ、分かった・・・」と言うことで、懐かしい再会となったのである。

それからの二十数年は家族ぐるみのお付き合い、互いに気心知れ合った旧知の独り者同士、姉さん、友人を交えての旅行などは数え切れぬくらい一緒だったし、
お酒は飲めないが、雰囲気と歌が好きだった彼女は、三日にあげづ呑み助の自分と遊び歩く日々だった。
好んで唄う歌詞を聞き馴染むうち、彼女の女心の一端を垣間見た気が何時もするのだった。

離婚の元は、投機の失敗を再三繰り返し、彼女の兄姉などに多額の迷惑をかけた末、板ばさみとなり、結果周囲の声に不本意ながら別れざるを得なかった辛い悲しい思いが心の奥底に何時も澱んでいたのである。
「俺が悪かった」「辛かったろう」「迎えに来たよ」
「涙は俺が拭く」「めぐり合い」「もう一度一から」
ETC・・・彼からのサインを待ち焦がれていたのかも知れないが・・・

口では強がり言っていても、心の中で何時も未練との葛藤が渦巻いていた事だろう。
そんな彼女が、浴槽から身を乗り出して死んでいるのを発見されたのは、死亡推定時刻から12時間後の事だそうだ。
享年77歳・・・合掌





© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: