河内の旅人

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人生模様(その5)



M兄弟・・・彼らとの出会い、顔見知りになったのは自分が8歳前後の頃から家に出入りしていたらしい。
彼らは母親のやっている駄菓子屋を手伝いながら、自家製の「シューマイ」を届けに来ていたらしい。
しかし、当時羽ぶりのよかった我が家も親父の人の良さから保証人になり、家もとられ没落してしまった。
改めて親しく付き合いしだしたのは中学3年の14歳で働き出した頃からであるが、卒業して文房具の中卸問屋に勤めだしてからは夕食を済ますとすぐに家に行き
10時、11時まで遊んで帰ったものだ。
ある日、オッちゃんからの言葉で弟の勤めている会社で働き手に職をつけたほうがいいと言う誘いで世話になる。
それからは朝夕の通勤、仕事中、夜家で食事を済ますとすぐ兄弟の家に行く。土曜日の夜などは泊まる。食事は頂く、まるで三兄弟のように過ごした。
自分の息子二人と同じように分け隔てなく可愛がってくれたオッちゃん、オバちゃんは残念ながら、もうこの世の人ではない。
青春真っ盛りに、阿闍梨の称号を持つオッちゃんの月一回の護摩木法要、大峰山修行、墓守などに付き合い
般若心経などの薫陶を受けたのだった。
弟のUさんはとにかく人の良さは天下一品、純粋で混じりけなし、辛抱強く、面倒見のいいことでは指導者としては最適人だと思う。
仕事習い始めには、幾十回と同じことを聞いても、嫌な顔一つ見せず、その都度初めて質問を受けたような受け答えをしてくれたものだ。
それぞれ年頃になり、互いに親の勧める兄弟と姉妹同志が夫婦となったが、自分が結婚して形ばかりの新婚旅行に出発する大阪駅まで見送りに来てくれた。

そして、何度も何度もくどいように前置きして「Tやん怒るなよ・・・お前は3等に乗っても、嫁さんだけは特2に乗せてやれよ・・・お前も十分用意してると思うけど金は荷物にならん。これ持っていっとけや」と無理やりポケットに封筒をねじ込んだ。

こちらから無心を言えば貸してくれる友人もいようが、相手の気持ちを傷つけないように気を遣いながら持たせてくれる友は世界に一人しかいないと、終生忘れえぬ人である。
封筒の中には、当時(昭和38年)で10万円が入っていた。

爾来、今日まで二組の夫婦とは50年近いお付き合いを兄弟同様にさせてもらっている。
正に大きな声で叫びたい・・・
俺にはこんな素晴らしい友がいるんだぞ~と・・・・





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