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昨日までそして明日から(1) by yuki
♪あ~ だから今夜だけは~君を抱いていたい~♪
私はこの歌を梅雨晴れの西陽に輝く鳥栖駅を
通過する列車の中で聞いていた。
そして1時間ほど前に熊本駅で
私の手を握りながら 「待っててね・・」と、
力なく告げた彼女のことを思い出していた。
彼女とは知り合ってから5年の月日が過ぎていて
そして、この日の前日に初めて彼女のご両親と会ったのだ。
「初めてご両親に・・・」と記したが
それ以前に彼女の母親には2度お逢いしていた。
このころの僕達は既に
当時 はやりの同棲生活を半年ほど営んでいた。
彼女は僕より1歳年上で、すでに社会人であったが
私はといえば、学業と仕事の2足の草鞋を履いていたのである。
とは言うものの世間様とは反対で昼間は学校に通い
其の後、縁戚のある会社で仕事をさせてもらっていた。
そんな本人たちはともかく、当時としては一般的に
『自堕落』と評されていた暮らしに終止符を打ち、出直す・・
と言う周囲からの説得もさることながら、ある事由もあって
一昨日に彼女を一旦ご両親のもとに還すとともに
正式なご挨拶をさせていただいたのだった。
♪旅立つ僕の心を 知っていたのか
遠く離れてしまえば 愛は終わるといった♪
その後は何度も電話と書簡のやり取りが交わされ
2月ほどのちのある日
僕は母と叔父を伴い再度列車の中にあった。
車窓からは見事なほどに藺草が青々と波打っていた。
彼女の実家では丁重に彼女の御両親に迎えられた。
が、しかし、その場に彼女の姿はなかった。
形式通りの挨拶の後、
彼女の父親は小さな声で、しかし私を睨みながら、
「〇子は綺麗な体で嫁がしてやりたい・・そう思い・・」
その言葉のすべてを聞くまでもなく私は全てを察した。
「そしたら・・〇子は〇〇(私の名前)に合わす顔が無いと言って・・」
そこまで語ると彼女の父親は言葉をつまらせた。
彼女の母親は大粒の涙をポロポロと流しながら
何度も何度も私に謝り
やがて私の足許にすがるように崩れ込んでいった。
母親が語るには、 前回の帰郷後、
彼女の様子がおかしいことに気づき 問いただしたところ、
私の子供を身籠っていたことを知らされた。
との事だった。
そして、結果、父親の説得に彼女は心ならずも応じたのだった。
彼女の父親は虚空を見つめながら
「〇子は必ず〇〇さん(私の名前)の元に返す」
私は喉から飛び出すのを抑えるのに苦労していた
言葉をようやくここで飲み込んだ
そして「ああ・・よかった・・生きていたんだ・・」
不謹慎にも安堵した解放感と
「今日のところは、申し訳ないが一旦引き取ってもらいたい」
そんな言葉を何度か呟くように
繰り返していた父親のことだけは憶えている。
♪もしも許されるなら 眠りについた君を
ポケットにつめこんで そのままつれ去りたい♪
帰阪後、抜け殻のような私に
ある日の夕方、呼び出し電話があった
「〇〇さ~ん。電話ですよ~。〇〇さんからだと思うのだ・・・・・」
おばさんの声が終わる間もなく
私は脱兎のように秋雨の中に飛び出した。
〇子に間違いない!そう思った
「モシモシ!!モシモシ!!〇子!?」
痛いほど押し当てた受話器からは
忙しないほどの「カチャッ、カチャッ」と
10円玉が落ちる音の影から、
幽かに聞きなれた、か細い声が聞こえてきた。
PS/
今、この歳になり
この頃TVで放映されている
サントリーオールドの宣伝に
出てくる父親の気持ちが
痛いほど、沁みてきます。