トカトントン 2.1

トカトントン 2.1

2005/10/14
XML
カテゴリ: 読書
kinsyo

■男は浮気相手と心中事件を起こし、相手の女は死に、自分だけが生き残った。首筋には今でもその時の女がつけた傷跡がある。それが原因で妻であった女とは離婚する事になる。やがて女は別の男と再婚、子供も産まれる。ただその子は、生まれつき障害を持っている。離婚して10年、その男と女が偶然蔵王のゴンドラの中で再会することになる。

■ただし、そこではふたりはかすかに目を合わせただけで、そのまま別れてしまう。この小説はこの再会を機に女が男に出した手紙から始まる書簡のやりとりで構成されている。

■最初のやりとりでは過去をなめあうふたりだった。あの時、私はこんな事を考えていた。あの時、私にはこんな秘密があった。10年前はたしかに夫婦だったはずの男と女は手紙という方法でしかお互いの心の内側を切り開いて見せる事はできなかったのだ、しかも10年経った後で。

■再婚相手に対する不満、発育が遅れた我が子に対する不安をもらす女。心中事件以降の転落人生を語り、その後もヒモのように行く先々の女に生かせてもらっている男。それぞれが過去の業(カルマ)のなせるわざであるとあきらめにも似た後ろ向きの人生感がこの小説の前半部分を貫いている。このあたりは太宰の一連の作品とか、成瀬巳喜男の「浮雲」あたりの腐れ縁テイストを感じる。

■女が男からの返信を読むのがモーツアルトしか流さない喫茶店。そこはこの店主にとって長年の夢だった。モーツアルトは彼にとって全てであり人生そのものだ。「 生きていることと死んでいることは同じことではないか 」。女がモーツアルト39番交響曲の感想を喫茶店で店主に向かって言う言葉である。生も死も喜びも悲しみも紙一重、いや表裏一体であるということなのかな。

■この喫茶店が火事で全焼してしまうあたりから、俄然二人のやりとりの時制が変化し始める。覆っていた雲が少しずつ、はがれていくように。男は世話になっている女と新事業に手を染め始めようとし、女は我が子を独り立ちできるように必死で育てていく決意を語り始める。つまり過去に支配されていたように見えたふたりが現在に目を向け、やがては未来を語り出すのだ。女の子供がノートに拙い字で練習していた「みらい」「みらい」「みらい」・・・という言葉のけなげさにちょっと揺さぶられた。

■読み終えて一体どこにこの小説の吸引力があるのだろうかと考えている。井戸の底から見えた希望の光のようなものを人は思うのだろうか。なくしてしまった物を再生する物語として評価するのであろうか。それとも隙のない丁寧な日本語に、しかも手紙という風流に惹かれるのだろうか。



■ただ、あの3人が熱く語ったようには私にはこの小説の価値が掴みきれないでいる。それはこれまでの人生経験の差に他ならないのではないか、なんて頭を掻いているところだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005/10/15 12:26:20 AM コメント(6) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

ミリオン@ Re:「北の国から」を友達にすすめてみる(01/02) こんばんは。 嬉しいです。頑張って下さい…
Dehe@ Re[1]:カルトQ 2005 北の国から(10/18) adventさんへ ご指摘の通りです。例によ…
advent@ Re:カルトQ 2005 北の国から(10/18) 五郎が読んだ大江健三郎> 開口健ではなく…
しょうゆ@ Re:家庭教師 / 岡村靖幸(09/09) …最後まで岡村靖幸はわからなかったのでは…
背番号のないエース0829 @ Re:ヒトラー 映画〈ジョジョ・ラビット〉に上記の内容…
Dehe @ Re[1]:センチメンタル通り / はちみつぱい(04/17) Mr.Zokuさんへ 情報ありがとうございまし…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: