江戸東京ぶらり旅

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三回忌まで



 死者の魂が7日ごとの王による審判,毎回結論を先送りされ,そして閻魔大王のもとをも離れ,石がゴロゴロとする河原を3200kmも歩いて,やっとたどり着いたところが変成王のところ,7×6=42日目のことです。当然ここでも王の審判は先送り。なんでこんなにじれったいのかね。死者が生きていた間に行った善悪のすべてなら,すべて閻魔帳に書いてあるのですよ。だから最悪でも閻魔大王のところで審判を下せるはずなのです。まるでお役所仕事のようですね。「魂の行き先を早く決めてよ・・・疲れちゃう!」


 魂は今度は200kmの道のりを鉄の岩が突き出ている荒野を歩みます。そしてたどりつくのが泰山王のところです。7×7=49日目のことです。そこでまたまたこの王も責任回避,あなたはこうですよという審判を下さないで,「今まで6回いろいろな王に会って,あれこれ言われたでしょう。それを参考にして,あなたの目の前にある6つの鳥居のどれをくぐるべきか,自分決めなさい」ってなことを言う。なんじゃこれ? 自分で決めていいのなら,もっと早く言ってよね。

 つまりです,この鳥居ですが,天上,人間,修羅,畜生,餓鬼,地獄へ続く6つの門。どの鳥居をくぐってどんな世界に行くのかを,今までの行いをもとに自分で決める。それなら最初にそう言ってよ。その程度なら初七日で判断できるのだから,49日もたってから自分で決めろなんて,なんと時間の無駄なこと。

 でも,この時点になってやっと魂の来世の歩むべき道が決まるのだから,残された人にとっても49日の法要は欠かせないですね。なにせ死者の行い以外に,残された者の法要の有無やら気持ちのありようが王の審判の判断材料になるのだから,たまったものではない。生きている者へのプレッシャーですね。「ちゃんと法要を行わないと,魂は浮かばれないですからね」とお寺さんは主張するのです。

 でも本当の話,どのあたりにどのようなジャッジが王から下されるのか,知っている人など多くはないはずですから,お寺さんや葬儀屋のいいなりになって,まともにお金を払って49日の法要なるものをしている人も結構多いのではないでしょうか。


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 49日の法要でようやく死者の魂の歩むべき来世が決まり,来世に続く鳥居をくぐったと思ったら,寒風の吹く氷山を2000kmも歩くはめになったのです。そしてたどりついたのが100日目,平等王の前なのです。ここでまた王の審判を受けるのです。なんで,もう終わったのじゃないですか,またですか。でも魂がこの王によって救われるかどうかは,残された者の供養で決まる。これが100カ日の法要です。冗談じゃないよ,自己責任でなくて娑婆の人間がすでに去ってしまった私の魂を裁くのですか。よしてくださいよ。


 この100カ日の法要が終わったと思ってほっとしていたら,今度は都市王の審判だってさ。私が死んでもう一年も経過しているのですよ。しかも都市王は49日までに会ったいろいろな名前の王の判断も参考にするのです。どうしてこんな蒸し返しをするのでしょうかね。一度行く先が決まったらそれでいいじゃないですか。私以外に死ぬ人はたくさんいるのですから,お互いに急がしい身,こんな暇つぶしはやめましょうよ。しかもおかしいのは,今までの行いの善悪を私に確認するのですよ。「わかってるってば」と内心思うのですが,さらに「生物を殺さないこと,嘘をつかないこと,酒を飲まないこと・・・これを守ればあなたは成仏できますよ」なんてお説教までするのです。この蒸し返しが行われるのが「一周忌」です。


 そしてだめ押しがさらに一年後にあるのですよ。「二周忌」とは呼ばず「三回忌」と言います。仏教では偶数はだめ,特に二は無力な数で嫌われています。ここでは五道転輪王が最後の,本当に最後の裁定を下すというわけ。ここまでの二年の間に残された者が一度も供養しないなら,あなたも地獄行きになるのは仕方がないですね,なんて言うのですね。もういいですよ,地獄でもどこでも行きますから,勝手にしてくださいよ。こんなやけっぱちの気持ちになりますが,生きている人だってなくなった魂の供養をすることばかりにかまけていられない。今や税金も上がり,その割に収入の伸びも芳しくない。大変なんですから。


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