江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

日本のへそ<日本橋>

日本橋探訪


歌川広重『東都名所 日本橋の白雨』木版画 紀尾井kioi 江戸百景『日本橋通町』扇子 葛飾北斎 富嶽三十六景「江戸日本橋」

【戸田屋】手ぬぐい東海道五拾三次ふきん判2枚入 浮世絵メガネ拭き(セリート)日本橋 江戸の橋


nihon-bashi


 1603年にお堀を整備したときに最初の日本橋が架けられました。東海道や中山道,甲州街道,日光街道,奥州街道はこの橋がスタート地点です。橋の北側には「 日本道路原標 」(元総理大臣の佐藤栄作の筆による)なるものがありますが,この本物は橋の真ん中に埋め込まれています。ここから札幌市まで1156Km,仙台市350Km,京都市503Km,鹿児島市1469Km。すべての道は日本橋に・・・です。江戸時代の日本橋は長さ68m,幅7mでしたが,今の日本橋は1911年(明治44年)に架けられたもので,長さ49m,幅7m強あります。橋の柱の「日本橋」の文字は,徳川慶喜の筆によるもので一見の価値ありです。

douhyou.JPG



 最近,この橋の上を覆うように,東京オリンピックの際に造られた高速道路が,国の重要文化財にも指定されている橋の景観を損ねているとして,道路の地下化が検討されています。勿論莫大な資金が必要になります。ここを流れている川は勿論「 日本橋川 」,どんどん東に流れ,隅田川に注ぎます。

 橋のたもとには「 日本橋魚市場発祥の地 」の碑が建っています。もともとここに魚市場があったのですが,そして,一心太助もこの魚河岸に通ったのですが,関東大震災で焼け野原になり,現在の築地に移転。築地の中央卸売市場は場外市場は勿論,場内市場も一般の庶民が(たぶん観光客でしょうが,ガイドブック片手に「このお店よ」なんて喜んでいますからね)江戸前の寿司を求めて,朝から長い列をつくっています。ところがこの築地の魚市場もあらたな移転問題で静かな論争の中にあります。

日本橋1.JPG


 橋の南側は「 日本橋高札場跡 」。高札場とは,幕府が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを,木の板札に書いて人目のひくように高く掲げておく場所のことです。要するに「ああしちゃいけない,こうしちゃだめよ」ということを知らせるための,大学構内にあるような屋根付き掲示板のこと。当時の江戸には他に常磐橋門外,筋違橋門内,半蔵門外,芝札の辻など6カ所の高札場がありました。

 この対面の空き地は「 日本橋晒し場跡 」。晒し場とは,犯罪者を朝8時頃から夕方4時頃まで道路に放置し,見せしめにしたのです。日本橋に晒される罪人は,衆目を集める類のもので,女犯を犯した僧侶たちや心中未遂の男女などが晒され,多くの野次馬がこれを見学に訪れたとのこと。特に心中未遂をはかった女の人気はすさまじく,「いいぞ,次は俺と心中しねえか」なんて声が掛かったとか。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: