江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

新宿御苑<新宿>

新宿御苑<内藤さんの敷地>


東京を江戸の古地図で歩く本 新宿御苑撮影ガイド 東京山手散歩25コース


 私にとって新宿のイメージと言えば「紀伊国屋」のあるところ。本を買うなら神田の古本屋街か,ここ新宿の二カ所だった。「追分だんご本舗」の団子も,中村屋のインドカリーも好みですが,そして買い物するなら伊勢丹がいいと思ってもいますが。歌舞伎町なんてのもあるのですから,もともとは歌あり踊りありの楽しい街にしようと考えたのでしょうが,楽しいだけではすまない,犯罪も多いらしく,あれこれ混在した街になってしまいましたね。

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 新宿で家族で行ってもほっとできる唯一のスポット,それが「 新宿御苑 」。新宿駅東口から新宿通りを東へ進みます。紀伊国屋本店を過ぎると伊勢丹本館,そして新宿三丁目交差点,次の交差点が新宿二丁目交差点で,ここを右折すると目の前が新宿御苑の「新宿門」,インフォメーションセンターがあります。番地名は「 内藤町 」です。もともとは家臣の 内藤清成 さんの敷地の一部で,あるとき徳川家康さんから「馬に乗って一気に駆け回れるだけの土地をあげる」と言われてもらった土地なのです。(青山忠成さんも同席,同じことを言われて青山一帯をもらった)もらった範囲は東は四谷,西は代々木,南は千駄ヶ谷,北は大久保といった羨ましい限りの広さ。

 新宿通りは甲州街道,だから内藤さんの土地は街道筋にあったということになりますね。新宿三丁目交差点あたりは,この甲州街道と青梅街道の分かれるところ(追分)だったのです。三丁目交差点付近にある団子屋さん,店に「追分だんご」と名をつけた理由がわかりましたね。街道のスタートは日本橋,甲州街道の次の宿場が高井戸(杉並区)で,ここまで16Km。一日に歩いて歩けない距離では決してないですね。なぜか,ここに新しい宿場を作ろういう話が持ち上がったのです。できた宿場は「内藤新宿」。四谷4丁目交差点から新宿三丁目交差点あたりまで宿場が続いていたそうです。街道の分かれ目で人通りが多い,鎌倉街道だってここを横切る,だからここに宿場を作れば儲かると計算した人たちがいたのでしょうね。男たちも,宿場に泊まるという口実があれば遊女と戯れても文句を言われないでしょうしね。

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 江戸幕府がOKを出した旅籠屋(旅館ですね)は52軒,そこで働いていいと許可した遊女(飯盛女と呼んでいたのですね)は150人,1軒あたり3人程度ですか。飯盛りと表現したのは偽装ですね,要するにあの手のことでお金を得るのです。遊女にも序列があって,勿論第一は吉原。第二は品川宿だったのでしょうか。板橋宿とか内藤新宿はよりマイナーな街道,泥臭い遊女がいたのでしょうかね。現在ならこんな表現,セクハラと言われてしまいそうですが。実際,内藤新宿は「馬糞臭いところ」との評判だったそうですよ。

 新宿御苑は内藤さんの屋敷のあったところですが,新宿門の次の大木戸門を入った突き当たりの玉藻池を中心とする日本庭園,玉川上水の余水を利用してできた庭園『玉川園』の一部なのです。青山さんの屋敷跡は青山霊園で跡形もないのですが,内藤さんのは残っていますから一度訪れてみてはいかがでしょう。

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