江戸東京ぶらり旅

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上野戦争<上野>



 寛永寺の創立者は徳川家光さん,初代の住職は天海さんでした。寛永2年にできたから「寛永寺」と言うのですが,徳川さんの祈祷所,最高に大切なお寺。今の東京国立博物館のあたりにお寺のお坊さんの住む本坊を作ったのです。綱吉さんのときには,大噴水のあるあたりにお寺の本堂にあたる根本中堂が完成しました。上野公園全体は当時寛永寺の境内だったのですね。お寺の裏には徳川将軍15人のうち6人(家綱,綱吉,吉宗,家治,家斉,家定)が眠っています。

上野公園噴水.JPG



 江戸から明治に時代がかわるとき,最後のあがき,幕府側にしがみつく彰義隊と新政府軍の戦いがここで繰り広げられたのですね。戊辰戦争と言われる一連のいざこざの,上野であったいざこざが「上野戦争」。新政府軍は東京大学敷地内から大砲をぶっ放し,寛永寺に火を放ったのですね。
旧体制など完全に消してしまえ,あいつらも皆殺しだ,と。彰義隊は一日でギブアップ。焼け野原となった上野の山,その後市民に開放されましたが土地利用について各省間でぶんどり合戦,すったもんだの末に公園になったのですね。

 今も東京芸術大学の向こう側に「寛永寺」がありますが,これは1879(明治12)年に現在,蔵造りのある町,小江戸なんて呼ばれている川越喜多院の本地堂を移築したものなので,寛永寺本来の建物とは関係ありません。

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 それで,上野戦争で焼けずに残った建物ですが・・・
 ●旧本坊表門:東京国立博物館東側にあります。寛永年間の建造物で,東京国立博物館正門の位置にあったのもです。

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 ●清水観音堂:西郷隆盛銅像の裏手にあります。1631年にできたもの。京都の清水寺に見立てて作ったそうです。

清水観音堂.JPG


 ●弁天堂:ある不忍池の中之島に天,琵琶湖の竹生島の弁財天に見立てて作ったもの。戦災で焼失し,その後に再建されたものです。

 ●旧寛永寺五重塔:塔は上野動物園の敷地内にあります。

 ちなみに,家康さんの墓所は静岡県の久能山から日光東照宮へ移され,家光さんの墓所は日光の輪王寺,慶喜さんの墓所は谷中霊園にある寛永寺の敷地内にありますよ。





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