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幻視(まぼろし)-こぬか雨 (2)
幻視(まぼろし)-こぬか雨(2)
『あと3日・・・。』
-戦災-
そう考える彼女の意識の中には、奇跡に縋る気持ちしか残されていない。
望みは、一縷の・・・という部分さえも拭い去らねばならないほどの、
絶望的な状況下にあった。
信与は、度重なる空襲によって、今回のような経験も、重ねてきていた。
その時々に見た光景に、“奇跡”は存在しなかった。
それにしても、親友の裕子が被災した日が、
終戦を意味する“玉音放送”が流される、3日ほど前だったとは。
河郡市が受けた最後の空襲によって、彼女が被災することになるとは、
何という不運なことだろう。
信与にとっては唯一最高の親友だったが、
そしてその親友を失うショックは、耐え難い心の痛みだったが、
そのようにして、支え合う親友を、最愛の肉親を、戦災によって失った人々を、
繰り返して何度も見続けてきたことは、また、間違いないことだった。
今まで見てきた他人の痛みが、
直接、信与に降りかかってきたということなのだ。
しかも、この戦争が終結しようかという、その直前の日に。
その親友の安否が、戦争終結の日に確認されるとは、
これまた、何という皮肉な巡り合わせなのだろう。
息を切らせて駆けつけた信与の目前に、
掘り起こされた防空壕が、暗い口を開いていた。
作業に当たっていた人たちに混じって、
近所から駆けつけたと思われる人たちも、防空壕の中を覗き込んでいる。
『裕子ちゃんは?』
そう思ってさらに足を踏み出そうとした信与の背中を、
後ろからそっと引く手があった。
振り返った信与の眼と、梅田の悲しそうな眼が合った。
その目を見ただけで、結果を察することができた。
『戦争なんだから、人が死ぬことは仕方がない。』
そう考えを切り替えて、長い戦争の年月を、乗り切ってきた。
今回の悲劇も、多分そのようにして、乗り越えられるはずだ。
梅田がゆっくりと歩を進めた先には、数人の人が横たえられていた。
説明されるまでもなく、防空壕から引き出された遺体であることが解った。
近づいてみると、益子と裕子は、並べて横たえられていた。
梅田が、ふたりが見つけられたときの状況を、説明してくれた。
彼もまた、周囲の人に聞いた状況ではあるのだが、
事務所の同僚が含まれていることから、大筋で正しい状況を、
伝えられているはずだった。
「ふたりを掘り出した人の話なんだが・・・。」
「ええ。」
「割合に、防空壕の出口近くに、
ふたりが寄り添うように、座っていたと言うことだよ。」
「最後のほうに駆け込んだから、中が一杯だったんでしょうね。」
「崩れた土を被ったからなのか、傷みが少なくて、安らかな表情だったそうだ。」
「今見た顔もそうだけど、安らかだったわけだ。」
「うん。まぁ、ほかの人たちがどうだったのか、確認をしていないんだが、
防空壕が崩れた時点で、残念ながら、助からなかっただろうって。」
「それは、どういう事なの?」
信与は、状況が解っていながらも、確認の意味で、梅田に問いかけた。
梅田も、信与の意図はわかっていた。
「防空壕が崩れて、その時はまだ、中の人たちは無事だった。
外と中の両方から、崩れたところを掘り進めば、
今までもそうだったように、救出されることが、ほぼ間違いないから。」
「そうだよね。」
「ところが、今回はちょっと事情が違った。」
「うん、そうみたいだよね。」
「防空壕が崩れたときに、支柱の“杭の先”が、
表に突き出ちまった。」
「そうでなければ・・・。」
「その杭の先に、焼夷弾の火が飛び移ってしまった。
それで、壕の中が、蒸し焼きのようになっちまったわけさ。」
「不運が重なっちゃったんだ・・・。 」
“慣れ”という哀しい精神状態によるものか、
親友であり、職場の同僚であるふたりの戦災死を目の当たりにしても、
意外なほど気持ちが落ち着いている。
現実と非現実が、信与の意識の中で、
不思議な混ざり合いを見せているようだった。
「悲しいのに、涙が出ないわ。」
「そうだなぁ。俺も涙が出ないよ。」
「こんな光景を、今までも見てきたから、慣れちゃったのかなぁ。」
「そんなこともないよ。」
涙が出ない理由を、信与は何となく理解していた。
悲しみは大きいけれど、それよりも“怒り”のほうが勝ってしまったのだ。
何に対する“怒り”だろうか?
この“運命の非情さ”に対する“怒り”である。
なぜ今このときに、戦争が終結する間際に、
人の命が失われなければならないのか。
それが戦争というものであり、運命は時の流れを斟酌してくれない。
それは解っているけれど、“3日”という日にちの微妙さに、
“運命”を呪う気持ちが、否応なく強まってしまうのだ。
「ふたり(益子と裕子)が一緒だったということが、せめてもの慰めか・・・。」
少しの間をおいて、梅田が呟いた。
ほかに、出せる言葉がなかったのだろう。
「慰めになるわけはないけど、そう思うしかないよね。」
どこまでも青い空から、焼けるような日射しが降り注いだ1日が、
“終戦”を告げられた1日が、暮れようとしていた。
濃紺の青空が群青色に染まり、やがて紫色を濃くし始めた。
夕風が、土埃を舞い上がらせ始めた。
防空壕から出された遺体は、急ごしらえの安置所に運ばれた。
同僚の心遣いによって、益子と裕子の遺体は、
並べて安置された。
-信与の心
そして現実へ-
私が居る場所は・・・?
今まで見た光景は、私が見ていたものなのだろうか?
急に、天候が変わっているようだ。
焼け付くような晴天だったはずなのに、湿った風が吹いている。
ぼそぼそと、細かい雨が降っている。
私は炎天下に立って、白い入道雲を見上げていたはずだ。
だが今、いつの間にか私は、ささくれ立った木目が掌にざらつく、
素朴な造りの縁側に、腰を下ろしている。
ふと視線を上げると、目の前には90歳に近い女性が、
柔和な表情を浮かべて座っていた。
落ち着いた和服が、よく似合っている。
彼女が、ひとり語りのように、話し始めた。
その場には、私しか居ない。
彼女は、私に話しかけているのだろうか。
『誰に話しかけているわけでもない。』
そんな風情で、彼女は話を続けた。
「あの日も、こんな風に“
こぬか雨
”が降る日でした。
あの戦争がなければ、あの終戦直前の空襲がなければ、
私の親友は、今も私とお茶を飲んで、話をしてくれていたでしょう。」
おや? とすると、この老齢の女性は、“信与さん”なのか?
終戦の日は、全国的に晴天だったと、教えられたのだが、
“こぬか雨”が降っていた?
「私と、戦中の苦労話もできたし、戦後の出来事も、
いろいろと話し合えたはずです。」
私は、話しかける言葉を、持ち合わせていなかった。
「私の中では、今でも彼女は無二の親友です。
あのあとも親友はできましたが、心に刻まれた親友は、
彼女が唯一の人なのです。」
あの“終戦”から、何十年が過ぎただろうか。
信与さんの年齢から推察すれば、60年以上が過ぎているはずだった。
だが、年月の経過があっても、彼女の心の中には、
“あのとき”の裕子の姿が、そのままに焼き付いているようだ。
「さて、裕ちゃんが私を迎えに来てくれたようだから、
私はこれで失礼しますよ。」
信与さんが、立ち上がりかけた。
私は慌てて、彼女に声をかけた。
「信与さん? あなた?」
彼女は、黙って私に顔を向けた。
なぜか、視線は逸らしているようだ。
「あなたは、梅田さんと結婚なさったのではないのですか?」
彼女は、軽く頭を振った。
「戦争は終わりました。私のふたりの兄も、無事に帰還しました。」
「それならば・・・。」
「終戦直後の混乱は、大変なものでした。
男の数が極端に少なくなって、女にとっては、
結婚相手を選ぶ自由など、無かった時代なのです。」
「それでは、望んでいない相手であっても、
結婚することがあった、と言うことでしょうか。」
「そのようなこともありました。私がそうだと言うことではありませんよ。」
「もうひとつ。終戦の玉音放送があった日は、
晴れていたのではありませんか?」
「?」
彼女は、訝しそうな視線を、私に向けた。
彼女の視線を正面から受け止めたのは、
このときが初めてだったように思われる。
「晴れていましたか? あの日の天気は、覚えていません。
こんな天気(こぬか雨)だったのではありませんか?」
「そうですか。」
私は、納得した。
彼女の意識では、親友を捜し始めたその時から、
“あの日”の天気は、いつも“こぬか雨”がそぼ降る状態だったのだ。
そして、親友の裕子を思い出すときは、
いつも心の中に“こぬか雨”が、降り続けたのだろう。
「さて、私は失礼しますよ。」
信与の姿が、すっと薄れて、私の目前から消えた。
彼女の姿が消えると、それまで降っていた霧時雨が消えて、
真夏の日射しが戻ってきた。
私は、何を見せられたのだろうか。
信与は、私に多くを語ってくれることはなかった。
だが私に、“戦争”の一部を、垣間見せてくれた。
彼女が、私に“あれ”を見せたのだろうか?
そうではない。白い煙の“それ”が、私を、この世界に連れてきた。
戦争の悲惨さを、私に見せようとしたのだろうか。
私の感受性が貧しいために、“それ”の意図を、
充分に私が受け止められたとは思えないのだが、
妙な体験をさせてもらったのは、間違いない。
私の感受性の貧しさに呆れて、白い煙の“それ”は、
再び私の前に現れることが、無いかも知れない。
もしもそうだとすれば、ちょっと惜しい気がする。
変な体験が多いけれど、楽しいと言えなくもない“それ”の誘惑である。
次回の出逢いを、何となく期待している。
ふと我に返ると、私はいつもの雑踏の中にいた。
今日は、日本の“終戦記念日”だった。
終戦が1945年のことだから、今年は61回目という事になるのか?
【戦歿者を追悼し平和を祈念する日】というのが、
内閣が決めた正式名称らしいが、言葉の言い回しは、どうでも良い。
戦争に対する悔悟と反省が考えられる日であれば、
“終戦記念日”で、問題はなさそうである。
完
こちらに、
東京大空襲を実体験なさったかたのHP
を、ご紹介します。
勝手にリンクを張ってしまいますことを、お許しください。
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註)『ついでに』ですが、この遊説は数%の真実を元にして、 90%以上のフィクションで脚色&構成しています。
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