一口馬主つれづれ日記

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ロードフェイス

ロードフェイス(4.1.3.4)

この馬に出資した理由は2点です。予定厩舎が藤澤和厩舎だったことと、Fairy King産駒であったということ。
藤澤厩舎は当時からリーディング上位で活躍馬も多数抱えてましたので、厩舎としては文句なしだと思ってました(しかし後々辛さを味わうことになるのですが)
Fairy King産駒というのは当時日本では現役で3頭ほどしかおらず、その代表格が シンコウキング (藤澤厩舎)だったのです。
「外国産」、「藤澤厩舎」、「日本での産駒の活躍ぶり」と安直な気持ちで大金を出して入会、出資しました。
まさにシンコウキングの再現を狙って・・・(笑)
3歳2月のデビュー戦こそ出遅れて負けたものの、その後は安定した走りを見せ、なんやかんやでデビューした年の暮れにはオープンクラスにまで上り詰めておりました!
その当時は当たり前のように思ってましたが、今から考えると初出資でそこまで活躍するとは奇跡としか言いようがありません。

明けて4歳の春には京王杯スプリングカップ(G2)で4着になるまで成長しました。

が、 そこからが藤澤厩舎特有の試練を味わうことになるのです。。。

師曰く「馬体の成長を促すために放牧に出しましょう」ということになり、
私としては秋頃には帰ってくるだろうと思っていたのですが、
待てど暮らせどいっこうに帰ってこない。
一般的にサラブレッドの充実期は4歳秋と言われていて3,4ヶ月で帰ってくると思い込んでいたのですが、結局1年半も放置されることとなりました。

この 「放置」 こそが藤澤厩舎の試練なのです。
藤澤厩舎には超のつく良血馬がゴロゴロいます。厩舎に割り当てられている馬房にも限りがあるため全部の馬を入厩させることはできません。そのため、藤澤流のレースの使い方というのが、牧場又は育成場でほぼレースに使えるくらいに仕上げてから入厩させるという手法をとっているのです。
すぐにレースに使える状態の馬を手元に置き、調子が落ちたら放牧に出す、そして次の馬と入れ替え。
つまりは入厩するまでにも熾烈な争いがあるのです。
その当時の私にはそんなことは夢にも思わない話でしたので、この事実を知ったのはフェイスが引退した何年も後でした。

ともかく、1年半の休養を経て復帰したフェイスでしたが、復帰後2戦目で屈腱炎となり、引退を余儀なくされたのです

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