としきぴ堂

としきぴ堂

恥はかきすて



この人とは、あたしの広場の日記にコメントを書き込んだのが、知り合ったきっかけでした。あたしがその人へ書いた返事に、質問をまぜたのが気に入らなかったようです。この手の人は、自分の書いた言葉に責任(説明責任も)持っていないので、質問をかえされると、なんでそんなことをきかれるわけ? と、むかつくわけです。
で、もろに「あんたは自分で回復しなさい。でないと誰も相手にしない」と返してきました。この時点で、気がつくべきでしたが、この文意は、「あたしは答えるつもりがないから、あんたは自分で考えな」程度のことだったと思います。
その直後にメッセージで、この人から罵倒としかいえないようなメールが届きました。この時点でも気がつくきっかけがあったのですが、きっと知らない人(σ(^_^)アタシ)と接して興奮しすぎたんだろうと、読み流してしまいました。
ところが、まったく思いがけないことに「しつこい」「誰があんたの相手をするか」とますますエスカレートさせてしまいました。つまり、あたしが読み違えていたといえるわけですが、普通の日本語で読む限り、読み違えるほどの内容のないメールでした。
ここでつきあいにくい鬱な人の発する言葉にありがちな、言葉の意味のよじれが問題になってきました。この人の言葉を変換すれば、上記の「しつこい」は「深い考えもなく書いたことに、まじめに質問をされても困る」であり、「誰も相手にしない」は「この人が相手にしない」といった程度に受け止めるべきでした。

なかなか信じてもらえないかもしれませんが、この手のつきあいにくい憂鬱な人は、誰に対してもキズつけるような言動を繰り返して、「それがあたしさ」と居直ることはできても、前向きで健全な対人関係を構築することはできません。では、どのような人間関係ならよいのかというと、この人の無責任さにいちいち驚かない、すべて許す、なんであれ質問ではなく同意の言葉をかけてあげる、ことが肝心になってきます。
この人を中心に見た世界は、嫌な人やものごとは悪であり、積極的に切り捨てて恥じません(逃げるともいいます)うわっつらなものでも賛同や励まし、いたわりをもって接する人や快適なものは善となります。したがって、この人の罵倒は客観性のない見当はずれなすかしっぺ(失礼!)のようなものになってしまい、言われる方にしてみればなんの落ち度もないのに、なぜそこまで言われなくてはならないのかと、首を傾げてしまいます。

さいごに「さよなら」ときました。こうして、この人は退場しました。まさに旅の恥はなんとやらといった具合でした。

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