としきぴ堂

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メンタルサイト1


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最近思うのですが、憂鬱になる原因はたいてい近くにいる誰かのせいだったり、自分のいたらなさやだらしがなさのせいだったり、意外と原因は身近に見つかるような気がします。そこで「抑鬱というのは、当人が憂鬱の種を作って憂鬱を口実に、現実問題の解決を先延ばしにしている」という見方に興味がおこりました。
たしかに辛い時に、これは我がままの言い訳だろうかなんて、のんきに考えてる余裕はありません。でも、少しでもいいから、いつものパターンにないことを実行してみましょう。いつもは、誰にも言わないのであれば、誰か適切と思える人に相談してみるとか。いったんその問題をわきに置いて、解決できそうな現実の問題に取り組んでみるとか。

この呼びかけに応じて、何人かの鬱系の方と知り合えました。あたしとしては、鬱とともに生きる人たちが互いに情報を寄せ合うサイトにしたかったのですが、ふたをあけたら「教えてください系」の人ばかりが集まってしまい、公開したまま放置しています。
この失敗をもとに、思いついたのが、依存心が強い傾向がある憂鬱な人に直接語りかける形ではなく、周辺の憂鬱な人と共に生きる人へ語りかける形ではどうか、というものでした。広場のテーマ「つきあいにくい憂鬱な人」は、そうした動機から投稿しました。

その間にも、メンタル系と自称するサイトをいくつか回って、カキコしたりもしました。多くのサイトは、管理者当人がなんらかの心の問題をかかえている。掲示板では、日常生活のこまごました話題が中心である。メンタルというわりに、心理学的基礎知識もないというサイトが少なくない。掲示板に書き込みにくる常連さんも、心になんらかの問題をかかえていることが多い。
いささか乱暴にまとめれば、心に問題を抱えつつも、あまり自分の症状にくわしくない人たちが日常のぐちをたれあっているのが、多くの自称メンタルサイトだと思いました。
こうしたサイトになんらかの役割があるとしたら、一時的なものでしょう。ただ、こうしたサイトには、症状を固着する可能性があると思います。なぜなら、こうしたサイトで人が集まり、つながりが安定してしまうと、治ること自体が、そのつながりから離脱することになってしまうからです。具合が悪い、調子が悪いと言い合っている快適な環境から、出ていけなくなってしまうというわけです。

上記のあたしのメンタルサイトがいまひとつ不発だったのも、納得がいきました。あたしは日常のぐちのたれあいをしようと思っていなかったので、ユーザから見ればあまり親切心のない管理者に見えたかもしれません。
サイトの理念として「共感・支持・事実を柱に、自助努力によって回復を目指します。従って、重症の方には専門病院での診察をおすすめします。当サイトでは、専門家による治療やアドバイスは行っておりません」という文章をトップページに書きました。
しかし、鬱による辛さの自覚はあっても、鬱そのものと向き合う気がない人には、共感と支持は理解できても、事実でつまずいてしまうようです。現実の自分の問題を客観視することと、自虐や卑下がごちゃまぜになって、考えることができないようでした。
場合によってはコミュニケーションそのものも成立しません。つきあいにくい憂鬱な人は、言葉に特有の色づけをしていることがほとんどなので、言葉による働きかけは、その色づけのおかしさを自覚してもらうこと抜きにはできないとも認識しました。これは簡単なようで、かなり難しいです。
誰もが自分を基準に、普通という枠を持っています。それは心のジャイロスコープのようなもので、それ自体は不健全なものではありませんが、心のジャイロスコープがあやしく傾いていたりする人の場合、自分の普通が他人の普通とどのように違うのか。自分の普通がいかに心の問題の影響下にあるか、といったことに気がつかないと、話が先に進みません。

今回の試みに意味があるかないか、わかりませんが、しばらく続けようと思っています。ちなみに、あたしの彼氏は理系の朴念仁なので、鬱系の話題を日記に書くのには賛成ではないようです。

ていうか (゜.....゜ ;) 不精ひげ、しっかりそってね~w

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