三人寄れば文殊の知恵

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お彼岸に思うこと―先祖供養と回向




ところで、回向というのをご存知でしょうか?

真言宗の仏前勤行次第(仏様を拝む時の仕方)には
回向文というのがあります。

「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」

「願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、
我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」

『妙法蓮華経』巻第三「化城喩品第七」

ようは、

「お経を読んだ功徳を、皆に分けてあげよう」

ということです。

この回向というものについて、
高野山にいた頃、先生から

「振り向くことだ」

と聞いたことがあります。

振り向くこと???

良くわかりませんでした(汗)

回向すると言うことは、故人の霊が振り向かせることかと
勝手に想像し、

「先祖供養は亡くなった方が振り向くように
しなければいけません」

と説明していました。

納得できるような説明でしたが・・・

あるとき、回向とは自分が振り向くことだと
気づきました。

「功徳を振り向けるということは、
 自分が振り向くこと」

自分が振り向くこととは・・・

昨日の続きです。

回向というものについて、
高野山にいた頃、先生から

「振り向くことだ」

と聞いたことがあります。

振り向くこと???

良くわかりませんでした(汗)

~~~~中略~~~~~

あるとき、回向とは自分が振り向くことだと
気づきました。

「功徳を振り向けるということは、
 自分が振り向くこと」

先祖供養は
「故人のために行っている」
とは、よくいいますが・・・・
本当でしょうか?

本来の法事は命日に行なわないと意味がありません。

弘法大師の御影供は3月21日、
お釈迦さんの涅槃会2月15日と決まっています。

ところが現実には、生きている人の都合によって
日程を前後させるのが普通です。

土日に法事を行なうのが普通で、
故人が亡くなってから最初の法要である
初七日でさえ、火葬の後の骨上げの法事で
あわせて行ない省略することは少なくありませんし、
徳島では少ないですが、仏教徒にとって重要な儀式の
四十九日(満中陰)でさえ、その日に行なわず、
土日にあわせることも少なく無いようです。

それどころか、何人かの法事をまとめて行なわれる
こともあります。

「お大師さんの命日とお釈迦さんの命日は近いので
あわせて行なう」

などということはありません。

ところで、言いたいことがお判りでしょうか?

私の言いたいのは、法事のやり方に注文を
つけているわけではありません。

「法事は生きている人の都合で行なっている」

ということです。

つまり、法事は先祖を供養するためのものだけではなく、
自分が振り向くいい機会なのです。

「衣食足りて礼節を知る」とはよく言ったもので
日々生活に追われている人は、先祖供養などする余裕が
ありません。

最近は家族だけで法事を行なわれることが
多くなってきました。

普段はなれて生活している親戚とも付き合いが
薄くなっているのでしょう。

しかし、人間は一人だけで生きているのではありません。
人間のみならず、この世のすべてのものに
恩恵を受けているのです。

法事というのはせめて少しでも、
それを返す機会ではありませんか?

がむしゃらに走っている人には、
周りを見る余裕などないでしょう。

当然振り向くこともありません。

自分が振り向くということはすなわち
自分が周りを見る余裕があるということです。

縁のある人に集まってもらい、その人たちに
供養することによって、その功徳が廻って
再び自分に還って来るものです。

回向はそういうもののような気がします。

最終更新日 2008年09月21日

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