三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

坊主が祈祷?


というようなものがありました。
確かにその通り!という方も少なく無いかも知れません。

普段僧侶は法事・葬式などの仏事に
関わっているイメージが強く、祈祷などすると
怪しげに思われかねないところもあります。

実際に祈祷を行なっている僧侶と、
行なっていない僧侶を比較すると、
祈祷を行なっていない僧侶のほうが多いでしょう。

しかし、仏教が日本に導入された経緯は
「国家安泰を祈願するもの」すなわち祈祷です。
これはもともと古神道の分野の仕事です。
それよりすぐれた先進技術として仏教が取り入れられたのです。

さらに、為政者にとって最大の脅威である怨霊の鎮魂に
用いられるようになりました。
これは古神道では処理し切れなかった問題でした。

定期的に修法を行うことによって
死者の魂を鎮めていくのです。
そしてお葬式も行うようになりました。
もともとの仏教にはお葬式など関係ありません。
すなわち、日本の民族信仰を体現する道具として
日本仏教が発達したといえるでしょう。

一方の古神道も道教や密教に一部を取り入れ
陰陽道のように発達していきます。

お分かりでしょうか?
実は日本仏教と神道は日本古来の信仰を
表現している双生児なのです。
根本的にはあまり変わりありませんし、
現実に江戸時代はお寺と神社は一体化していました。

明治以降国策により、日本仏教と神道は袂を分かちます。
したがって、表面上は全く違うように見えますが、
内容はさほど変わらないといっても言い過ぎではないでしょう。

実際に神社でも後継者に密教僧を欲しいというところがあります。
神官の養成システムよりも、密教僧の養成システムのほうが
祈祷に向いているのかも知れません。

現代の祈祷師はほとんどが、日本仏教と神道の末裔です。
(新興宗教の多くは西洋系の宗教も混じっているかも
しれませんがこの二つのつぎはぎです)
それゆえ、「坊主が祈祷」は意外ではなく当然なのです。

ちなみに、日本の仏教者にとって一番問題なのは、
日本仏教がその成り立ちゆえに、
本来の仏教とかけ離れていることです

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